2024年5月22日 (水)

第150回「海程香川」句会(2024.05.11)

芍薬.jpg

事前投句参加者の一句

蹲踞躊躇ひ蹴躓き白躑躅 藤川 宏樹
せんなしや急がば回れの蛇にあう 鈴木 幸江
憲法記念日俺は自由だ オーレ! 島田 章平
すこやかに揺れて金魚のみづ淫ら 和緒 玲子
木蓮のひとひらこれは風よりの 谷  孝江
白髪のばっさりショート聖母月 松岡 早苗
捨てられぬセピアの葉書花の雨 植松 まめ
街角は透明な蚊に刺されてる 中村 セミ
心電図因幡の白兎が小躍りす 十河 宣洋
朝靄に抱かれほっこり山笑う 末澤  等
積み上げし積木ぐらぐら昭和の日 岡田ミツヒロ
常備軍持たぬてふてふ共和国 河田 清峰
集まって空のお守や桐の花 高木 水志
軍港を増やして守るお国かな 稲   暁
取り繕う嘘を言いつつ四月馬鹿 滝澤 泰斗
箱庭のちひさな母につきあたる 小西 瞬夏
あどけなき手書きの地図や夏燕 大浦ともこ
表面は卯浪に任せ海深し 川本 一葉
時は去りゆたけき吾のルピナスよ 疋田恵美子
紅梅落花水面に寄せ来たる 佐藤 稚鬼
月朧柩に入れる眼鏡拭く 菅原 春み
鳥雲に入る海底は獣道 菅原香代子
化野や今日も濡れ咲く著莪の花 増田 暁子
春雷や忘れてた母だったこと 薫   香
黒揚羽昼の浮力と重力と 三好つや子
霾や爆音もなくしんしんと 森本由美子
曇天は心の重り春の山 石井はな
三盗を知り先ずは路傍の菫草 時田 幻椏
確かむる一芯ニ葉茶摘みの子 佳   凛
思うことわたしをはみ出して陽炎 月野ぽぽな
海の日のジャズ集団の静かな老い 重松 敬子
逃げ水を海岸通りで追いかけた 榎本 祐子
束の間をこぼれはじめし螢かな 男波 弘志
もう結構ってさくら日向の少女です 三枝みずほ
青鷺や震え一路の門超えて 豊原 清明
地に穀雨君の彈き語りのように 野田 信章
菜の花の真ん中はいつだって雨 柴田 清子
病室は人ゐて無言春の昼 柾木はつ子
婚活を拒否する息子夏みかん 藤田 乙女
春眠の乙女唇にピアスして 樽谷 宗寛
蜜蜂はチェロ弾くごとく分蜂す 松本 勇二
海のいろ脱いで上陸渡り蝶 津田 将也
鞦韆や子は説得を拒みおり 大西 健司
咲かぬ芍薬愛って誓うものなんだ 岡田 奈々
花筏君へ内緒の文託す 山本 弥生
立小便かわずさわがす色即是空 田中アパート
知らんぷりという思いやり躑躅に雨粒 伊藤  幸
鳥帰る戦無き国俯瞰して 塩野 正春
涅槃図の隠れ上手な濡れねずみ 荒井まり子
躓いて躓いて花びら流れ去る 山田 哲夫
脳外科手術ゴリゴリ蘖の音かしら 若森 京子
下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先 花舎  薫
鯉のぼり空がとっても広いから 吉田 和恵
奥の間の暗がりに転がった紙風船 銀   次
花は葉に怒りが透けていくように 佐孝 石画
聖五月暴虐に抗する学生等 田中 怜子
雉鳴くや鎮守の森の影法師 漆原 義典
隊列はもう葬列に麦の秋 山下 一夫
草の花花小さくて花の色 福井 明子
鳩になり鷹になり汗だくのシャツ え い こ
ジャスミン茶ほわりほんわり蝶の昼 向井 桐華
強面の山羊うずくまる草いきれ 桂  凜火
人間に飽きてきてをりよなぐもり 亀山祐美子
青き踏む近江ふわふわしゃれこうべ 飯土井志乃
燃えかすは煩悩だろう啄木忌 新野 祐子
街角にジャズにレゲエ春の宵 三好三香穂
吾子の手と象舎の記憶若葉風 松本美智子
万緑の中にわれ在りわれ眠る 竹本  仰
櫻島薄暑ドーンと「俳句造型論」 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「海の日のジャズ集団の静かな老い」。港町のジャズバーだろうか。バンドのメンバーも年をかさねている。それでも静かにジャズを奏でている。その一人ひとりに醸し出されるそれぞれの物語。そんな老いの重さがジャズの演奏にのってずっしりと、でも軽やかに感じられる。

松本 勇二

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。新しいサンダルに足を入れた時の感覚をうまく言葉にあらわしています。

月野ぽぽな

特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」。近しい人が他界されたのかもしれないが、一読、自分のメガネだと思った。いつか必ず来る日を静かに覚悟し、人生の大切な友であるメガネを磨く。一緒に連れて行くからね。この景色が月朧と出会い、情感と達観が浮かび上がってくる。

十河 宣洋

特選句「地に穀雨君の彈き語りのように」。春のしっとりとした時間。弾き語りのようにしみじみと心に響いてくる雨の音が心地いい。イルカの名残り雪が私には響いてくる。特選句「花は葉に怒りが透けていくように」。桜の少し喧騒が耳に付いた時期が終っていくような思いが込められている。

岡田 奈々

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。新しく買ったばかりのサンダル。もう直ぐ夏が来るウキウキとした気分が溢れてる。素足の輝きが若さを誇っている。特選句「憲法記念日俺は自由だ オーレ!」。この型破りの自由さと、駄洒落が素敵。「せんなしや急がば回れの蛇にあう」。どうしようもないよね。蛇がそこを通りたいって言うんだから。『演劇の「涙」がんばる豆の花(津田将也)』。劇の中涙出せるのは、並大抵の努力ではありません。「表面は卯浪に任せ海深し」。大したことない波だと思わせて、中は結構速く流れている。陰の努力が目覚ましいってか?「傷つけど傷つけど天へ雲雀よ(銀次)」。海だけじゃなく、空では一生懸命目立たない雲雀も頑張ってるんだ。でも、そろそろ頑張って傷つくなんて、非生産的なことやめて、楽しく生きようぜ。何も天使になる必要は無いんだもの。「青葉浴茶の湯の中に風の浴」。野点して、青葉の清しさ。風の心地良さ。このくらいゆったり風流に暮らしたいものです。「蜜蜂はチェロ弾くごとく分蜂す」。自然界は巣分かれするにも滑らかに踊るように楽しく。人も見習いたい。「蟇鳴くやほんに人の世可笑しかろ(岡田ミツヒロ)」。ほら、蛙にまで、笑われているじゃないか。反省反省。お金とか、物とか、義理人情とか、もっと拘束されない私はあるのかな?「街角にジャズにレゲエに春の宵」。はい。決まりました。結局、自然界から食べさせて頂き、歌と踊りと浮かれて暮らす。皆で踊ろ。難しいことは抜き。以上、今月も楽しくて為になる御句の数々。めちゃくちゃ面白かったです。香川句会最高。で、宜しくお願いします。

福井 明子

特選句「春墓所跳ねて歩いて鴉二羽(榎本祐子)」。昔は鴉といえば墓場、というイメージがありました。それも遠くなりました。今や、鴉はどこにでもいて、じっと上から見つめられているような気もいたします。春の墓参の折見かけた鴉の動きに、いずれ自身もたどるであろう行く末を思うまなざしがあります。眼前の二羽の鴉は、すべてわかっているのかも。

佐孝 石画

特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。「母だった」という措辞には、作者の内面的な時空の奥行を感じさせる。現在も「母」であるはずだが、子育てに全てを捧げていたころの記憶がじんわりと蘇ってきたのだろう。パラノイアではないけれど、老いに従って、かつての自分と今日の自分が、ふと混在してくることが多々ある。それは何人もの過去の自分と共存していく、おぼろげな世界。そのおぼろげながら優しい瞬間が、「春雷」の一閃によってもたらされたのだろう。

豊原 清明

特選句「憲法記念日俺は自由だ オーレ!」。「オーレ!」は俺にかかっていますが、掛け声として響く。反体制。決まりからも自由だと、自らに、励ましているよう。問題句 「母親は印紙のような春キャベツ(中村セミ)」。母親の紹介句。手書きのこまめで雑ではなく、何でも印紙のようにこなす、しっかりした母とも思えるし、逆に、のっぺらぼうのような母さんとも読める。

樽谷 宗寛

特選句「せんなしや急がば回れの蛇にあう」。共鳴しました。上、下の句の取り合わせが良い。山川草木生きとし生きる物に教えられ気づかされることの多々ありましましたが、なかなか俳句は作れませんでした。

高木 水志

特選句「人間に飽きてきてをりよなぐもり」。黄砂で視界を遮られ、何となく憂鬱な気持ちになっている。人間に飽きてきているといった作者の心情に霾晦があっている。

稲   暁

特選句「童心を灯せよ瓦に雨、雨、春(佐孝石画)」。童心は灯すべきもの、言われてみれば確かにそうだ!特選句「ジャスミン茶ほわりほんわり蝶の昼」。私はジャスミン茶は、あまり飲まないが、ほわりほんわりという表現にやられてしまった。

え い こ

特選句「一滴の響きわたるや山青葉(亀山祐美子)」。静かという 無のような空間に広がる空をかくすような森林 澄み渡る空気が感じられました。肺が浄化されたようです。特選句「海いろ脱いで上陸渡り蝶」。アフリカ?から 蝶々が飛んできた 強さ 美しさの表現が巧みですね。海にいろを脱ぐ いつかこのような表現ができるまで、勉強したいです。問題句「絵本読み母のふりして水中花」。問題というより、最後の水中花は松坂慶子さんの 愛の水中花 を聞かれているのでしょうか?勉強不足で理解できませんでした。ごめんなさい。♡みなさま、初めまして。同級生の野﨑さんの熱意と魅力に、軽装で小舟に乗って、俳句という海にでてしまいました。急いでいま、準備やら勉強しているところです。よろしくお願いします。

榎本 祐子

特選句「束の間をこぼれはじめし蛍かな」。蛍の命の時間は短い。その間に命を滴らす哀れと健気を思う。

島田 章平

特選句「鳥雲に入る海底は獣道」。空から海底を俯瞰した壮大な句。「海底は獣道」の発想が鋭い。

伊藤  幸

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。上語と下五のフレーズに初夏らしい清々しさが感じられる。現代俳句の忘れ掛けていた新しい感性を呼び覚ましてくれたような気がして嬉しい気分にさせてくれました。特選句「千年の山桜千年の孤独(菅原香代子)。掲句も又上語と下後のフレーズが調和していて落ち着いた雰囲気で魅力的に仕上がっている。宮崎の銘酒で「百年の孤独」という麦焼酎があるがそれとは別と考えたい。

河田 清峰

特選句「隊列はもう葬列に麦の秋」。富めるものは武器と救援物資を送り貧者の葬列は終わらない。

藤川 宏樹

特選句「街角は透明な蚊に刺されてる」。この「透明な蚊」とはブーンの羽音、街にたむろしているワル?それなら、刺され吸われているのは何?想いは膨らみ、わからないながら妙に惹かれるものがありました。

松岡 早苗

特選句「すこやかに揺れて金魚のみづ淫ら」。涼やかな金魚鉢に逆の「淫らさ」を発見されている佳句。なるほど、金魚の鮮やかな朱色、ふくよかな腹、泳ぐときの尾びれのヒラヒラと、人を魅了し幻惑するような淫らさがありますね。「みづ」と平仮名にされているところまで配慮がなされている。特選句「鳩になり鷹になり汗だくのシャツ」。時にはハト派、時にはタカ派になりしながら、人はその時どきを懸命に生きているのですね。ただ、そんな主義主張や処し方よりも、汗だくの身体に感じる素朴な充足感、人間くささこそ、生きている証だと教えられた気がします。

花舎  薫

特選句「鳩になり鷹になり汗だくのシャツ」。無害の優しい鳩になったり獲物を狙う対戦モードの鷹になったりと忙しい日はシャツも汗だくに。多分人間関係でも仕事関係でもそうなのだろう。少々振り回されてはいても、それなりに一生懸命な日々。発想が面白く新鮮でありながら理解し難い句とはなっていない。

野田 信章

特選句「海の日のジャズ集団の静かな老い」。一読後、<どれも口美し晩夏のジャズ一団/海峡痩せ楽器乱打の少年寝る(兜太句)>の海とジャズと青春の世界を想起させた。それは正に戦後処理を残しつつも、復興期にさしかかった昭和三十年代前期の高揚感とも重なるものがある。この前段を踏まえた上での掲句として読んだ。七月十五日の「海の日」のジャズ愛好者の集いとしての景が展く。しかも、「集団」としての「静かな老い」との情景の把握には来し方のさまざまな方の年輪の積み重なりの人生の豊穣さをも現出させている。「海の日」の一句として印象的な句である。

植松 まめ

特選句「積み上げし積木ぐらぐら昭和の日」。長々と政権の座に居座り続けてある政党。裏金問題をはじめとして様々な問題がここにきて噴き出してきた。経済の停滞は失われた三十年とも言われている。明日はもっと良くなると信じていた昭和の繁栄の時代が遠く遥かになってしまった。特選句「隊列はもう葬列に麦の秋」。美しい麦秋のなかを行く隊列それは軍隊かあるいは避難民なのか。その隊列が葬列に変わっているというこの句。ウクライナやガザの惨状と犠牲となる人々をおもい何も出来ない自分の無力を恥じる。

男波 弘志

『演劇の「涙」がんばる豆の花』 。一見どんな花でもいいようだが、豆の花のけなげさが相即であろう。演劇の深部が「がんばる」であるのか?そこにまだ幼年の、そして一行詩としての弱さがある。秀作。「街角は透明な蚊に刺されてる」。はたして刺すで金輪際だろうか?そこが腑に落ちればいいのだが、つまり「無心に十分に刺す」あの刺す、ではない別の次元があるのではないか、蚊そのものが別次元に「通っている」そういうことでも表現は成立するだろう。秀作。「箱庭のちひさな母につきあたる」。上から俯瞰している箱庭の母につきあたる、とはどういうことだろうか、それは作者がもう箱庭の中のひとりになっているのだろう。思い出を意のままに手中にしている、その執着こそが生そのものだろう。準特選。「春雷や忘れてた母だったこと」。親子の距離が離れていることがあたりまえの生活のなかで、鳴った「春雷」に呼び覚まされたのは、傘を持って娘を探しに家を飛び出したあの日だろうか。秀作。「思うことわたしをはみ出して陽炎」。内容は非常に豊満であろうが、陽炎は少し答えを出し過ぎていないだろうか、思いは見せつけるものではなかろう、つまりもっと暗喩が描けないだろうか、と思う。冷たい春の草、などを連想してみればまた別の乾坤がひらけるだろう。秀作。「白鉄線花の間中のうすみどり(佳凛)」。一行詩はこれでいいと思う、この覚悟が備わっているからこそものが見えるのであろう。子規の写生論には現在の時間軸しかないのだが、しかし時空を拡げて行くためには現在を見つめ、現在を知り得なければなるまい。秀作。

津田 将也

特選句「地に穀雨君の彈き語りのように」。「穀雨」は、四月二十日ごろに降る雨のこと。百穀をうるおす春雨のころ、という意味がある。雨は、ほんの三粒ほどを散らして止む雨から、土塊(つちくれ)を溶かしてしまうほどの大仰な雨まで、千差万別だ。そんな雨の様子を「君の彈き語りのように」と比喩している、この感性がよい。

桂  凜火

特選句「海のいろ脱いで上陸渡り蝶」。海を越えて渡ってくる蝶の力強い羽ばたきが見えるようです。本当にたくましい。海のいろを脱ぐという措辞が素敵でした。

山田 哲夫

特選句「表面は卯波に任せ海深し」。一読してこれは菩薩のような心境が読み込まれた句のように感じた。我々凡人は卯波のように揺れ動く日常の営みの中に身を置き、こころを悩ませてあくせくと生きている。悟りを開いた菩薩はそうした人間の姿に限りなき愛惜と憐憫を抱きながらも深い海のような静かな何者をも受け入れる広い心でじいっと見守ってくれている。そう思うと、日々の営みにも気持ちが楽になり、明日への希望も湧いてくる。作者は滔滔たる深い海の様子にそれを感じ取っているのだと思った。

岡田ミツヒロ

特選句「地に穀雨君の弾き語りのように」。生きていくことは心を潤すことであること、弾き語りのメロディーの中にやさしく響いてくる。「穀雨」が効果的。特選句「隊列はもう葬列に麦の秋」。ウクライナに現われた戦争という化物、生者の隊列は、ほどなく死者の葬列と化す。次々と人身御供の隊列。近い将来の日本の姿を暗示する様な昨今の不穏さ。

菅原香代子

「捨てられぬセピアの葉書花の雨」。上ー中句が見事です。セピア色としっとりとした柔らかい雨との組み合わせが絶妙です。「逃げ水を海岸通りで追いかけた」。子供のころの思いでしょうか。夏の暑さと子供の無邪気さを感じます。

和緒 玲子

特選句「箱庭のちひさな母につきあたる」。大人になって初めて自分が実は箱入り娘であったと気付いた時のことかと読んだ。家族に守られ大切に育てられての自分。そして母親もまた同じように大切に守られ育った人だったと。母親の深い愛情とそれを真っすぐに受け入れた作者。ポジティブに捉えたい。特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。読みが違うかもしれないが、老いて子供に戻った母は雷をとても怖がった。そんな母を宥めながら、この人は私の母親なんだなと改めて思った。あれも確か春だった。こんな思い出をついだぶらせてしまった。

大西 健司

特選句「茅花流し帰りたいよお母さん(野﨑憲子)」。予選でいただいたが一度ははずした。魅力はあるが、この切ない呟きだけで一句が成立するのか迷ったため。ある種五月病の類いだろうか。そうでなくても母の胸に戻りたい思いはそれぞれにあるもの。危うさを覚えつつだが最後は是とした。

柴田 清子

特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。一瞬の春の雷に、呼び覚まされた母との事。一つや二つ読み手に、思い出させる母恋ひの春雷の季語の置き方に感心させられました。

三好つや子

特選句「川風や女神輿はひとやすみ(重松敬子)」。男たちが担ぐものとされていた神輿に、鉢巻きをいなせにねじる女の担ぎ手も、ちらほら見かけるようになった現代。女だけで担ぐ神輿もあると思います。川風がみやびな趣を広げ、この句に彩を添えています。特選句「青き踏む近江ふわふわしゃれこうべ」。淡いみどりに包まれた近江の春を楽しんでいるのでしょう。しかし、その 一方で、地中に横たわる歴史の闇に、作者は思いを馳せているのかも知れません。「蹲踞躊躇ひ蹴躓き白躑躅」。画数が多く、凸凹した語感が、句意に合っていて、面白い。「終業のいびきや蘖出てくるぞ(三枝みずほ)」。肉体労働を終えたあとの、地響きのような大きないびき。好感度の高い骨太の句です。

新野 祐子

特選句『櫻島薄暑ドーンと「俳句造型論」』。「俳句造型論」をダイナミックな櫻島に見立てたのがおもしろい!薄暑というのも合ってますね。盛夏とかではなくて。

吉田 和恵

特選句「燃えかすは煩悩だろう啄木忌」。啄木に煩悩とはショック。それが燃え尽きて燃えかすとは言い得てもっとショック。

川本 一葉

特選句「知らんぷりという思いやり躑躅に雨粒」。とてもよくわかります。失敗したときすぐに突っ込まれたくない、というの。破調もあまり気になりませんでした。

薫   香

特選句「下ろしたてのサンダル生まれたてのつま先」。夏を前に新しいサンダルに足を滑り込ませた時に、見えるつま先が生まれたてだという表現に心掴まれました。特選句「千年の山桜千年の孤独」。見事な桜が目に浮かびます。ただ千年生きてきたという事は、周りに誰も居なくなるという事で、それはそれでとてつもなく長い孤独が待っているという事なのですね。♡今月の句会では、私のつたない句に皆さんがいろいろな解釈をして下さり、とても面白い体験をさせて頂きました。俳句の面白さの一面を見たような気がします。ありがとうございました。

竹本  仰

特選句「すこやかに揺れて金魚のみづ淫ら」:すこやかと淫ら、一見反対に見える両者だが、これは生きものの両面ではないだろうか。金魚の水、あれは金魚が作り出したものではないか。だから、水ではなく「みづ」なのではないか。みづからみづみづしく揺れる原形のような動きが感じられて、これこそ写生ではないか。特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」:柩に入れるものって、本当に様々です。ユニークなのでは、お酒を注いだり、ボートレース券や馬券だったり。ここでは、故人によく見えるように、眼鏡を拭いてあげているのですね。そうしていると、死って何?生って何?という感じにとらわれたのでしょうか。でも、きれいにして、いい所に行ってほしいという願いからなんでしょうね。というか、ここに若干の好奇心が働いているのが感じられるところが面白いです。特選句「菜の花の真ん中にいつだって雨」:菜の花というと、どうしても背景に、青い海、晴れた空、と想像してしまいがちです。がここでは、菜の花の中心はいつでも雨なのだと言っています。個人的には、それは実は涙なんでは、と思っています。菜の花が泣いている?これは楽しい想像です。「ママ、何で菜の花は泣いてるの?」なんて言われたら、どうします?絵本の世界がふいに現れてくるようなワクワク感、いいなあと思いました。♡久々のリアル香川句会、何年ぶりでしょうか。わたくし初の香川句会には、天志さんがいましたね。今回は、藤川さん高校時代の「真善美」の書、彫刻、絵画など拝見でき、いい少年の息吹と出会った感じがしました。「真善美」、その筆勢は少年剣士の心意気のような、なまな叫びがあり、青葉の季節にぴったりの感ありました。いいものを、ありがとうございました。もちろん、句会も面白く、昔よりパワーアップしていて、何より、みなさんの流れ、溌溂として躍動していました。ここが香川句会の源なんだと確かめた次第です。行けて、良かった、高松はいいなあ、満喫です。これからも、よろしくお願いします。→ 淡路島からのご参加有難うございました。久々に句座をご一緒できて嬉しかったです!

荒井まり子

特選句「白髪のばっさりショート聖母月」。実感と共感。髪は女の命と昔は言われたが段々と億劫になる。母の眼差しがいい。

菅原 春み

特選句「積み上げし積木ぐらぐら昭和の日」。まさに積み木がぐらぐらしています。昭和の日に改めて気づかれたのですね。特選句「鳥帰る戦無き国俯瞰して」。一見平和に見える戦の無い日本をも鳥は俯瞰しているのでしょうか?季語が効いています。

中村 セミ

特選句「奥の間の暗がりに転がった紙風船」。紙風船が私とすれば、男でも、おんなでも、夫婦のあいて方の家で、同居すれば、家のなかの暗がりに転がっていく時もあろう,かと思う作品かなと思う。私は、そう、鑑賞させていただきました。

山本 弥生

特選句「つばくらめ天寿十年延びて古稀(新野祐子)」。令和の現代、古稀はまだまだ現役です、世の為人の為にお役に立ちたき事は沢山有ります。増々元気が湧いて来ます。

三枝みずほ

特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。自身の中の母という存在を呼び起こすのに春雷は必然だろう。母子の楽しかった記憶だけではなく母であるがゆえの苦しい時期もあったのではないか。喜びと苦しみの間のこの葛藤が人間を悩ますが、生命の謳歌とも捉えられるのは春雷だからこそ。

漆原 義典

特選句「白髪のばっさりショート聖母月」。聖母月と白髪のショートヘアピッタリ合いますね。爽やかな句をありがとうございます。

鈴木 幸江

特選句評「あどけなき手書きの地図や夏燕」。何てったって、〝手書きの地図〟がいい。今時、手書きの地図に出会うと幸せを感じてしまう。それがまた“あどけない”ときたら、その姿の可愛らしい。スマホ頼りの自分がなんか情けなくなってくる。亡父も夫も地図を巧みに描く。そのことを人に頼りにもされていた。地図を描くこの子の瑞々しい才能は、将に海を渡ってくる燕の如しである。特選句評「菜の花の真ん中はいつだって雨」このユニークな残念感はどこか幸せだ。残念にも、ちょっと幸せがあるなんて、素晴らしい発見。正直、どんな状況に作者がいるのかは、よく分からない。一面の菜の花畑の真ん中で雨に打たれているかのようなちょっと残念な日常生活を送っているのだろう。天気雨のようでいて妙に湿気っぽいところがよい。さては、涙雨か。

三好三香穂

「木蓮のひとひらこれは風よりの」。便りとか、贈り物とか、次に来る言葉を思い巡らせる楽しさがあります。連歌なら、次の7、7をどう表現しましょうか?

末澤  等

特選句「捨てられぬセピアの葉書花の雨」。年度変わりの春の雨の日に、年賀状や挨拶状を整理していた際に昔の思い出の詰まった葉書が出てきた時の情景、心情を上手く表していますね。私も実体験しました。特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。母親の介護の真っ只中で、普段は忘れていた昔のお母さんの姿が、春雷によってハッと思い出さされた情景、心情がリアルに浮かんできました。

佳   凛

特選句「燃えかすは煩悩だろう啄木忌」。毎年除夜の鐘で、消した煩悩も一夜明ければ、新たな悩み 苦しみを作り出してる自分、反面煩悩が自分をつくり、生きる糧とも言えるのだと思います。再び啄木の生き様を、読んでみたくおもいました。

滝澤 泰斗

「常備軍持たぬてふてふ共和国」「軍港を増やして守るお国かな」「鳥帰る戦無き国俯瞰して」。掲句の三句はミクロに、マクロにニッポンをシニカルに活写していると思った。大きな拍手を送りたい。「聖五月暴虐に抗する学生等」「隊列はもう葬列に麦の秋」。そして、批判精神は遠くアメリカ、ヨーロッパに飛ぶ。海程の後継、ここにありと言った感が強い。他に共鳴した句は「霾や爆音もなくしんしんと」。しんしんという言い方が少し気になるが、爆音もない不気味さを上手く掬った。「海の日のジャズ集団の静かな老い」。私も二つの合唱団に所属して大声を張り上げているが・・・みんな歳をとった感が日に日に増している・・・。「海のいろ脱いで上陸渡り蝶」。何とも・・・うまいなぁ。どれも特選に推したいが、甲乙つけがたし。

田中 怜子

特選句「若葉風演劇部室 あえいうえおあお(植松まめ)」。5月にはいり、学校にも慣れてくる頃。演劇部の少女たちが発声練習と発音練習している。あえいうえおあお と。少女らのはつらつさや笑い声までも伝わってくるようだ。そこに気持ちの良い若葉風が樹木をざわめかしてふいてくる。今の子は、こんなにのびのび楽しんでいるかしら。特選句「川風や女神輿はひとやすみ」。これも神輿を担いで一休み、笑い転げている元気な女性たちの火照った顔に川風がすーっと気持ちよい一時。

時田 幻椏

特選句「黒揚羽昼の浮力と重力と」。蝶の危うい飛翔を見ながらも、黒揚羽ならではの存在の確かさを表現するために浮力と重力と言う漢字術語を二つ斡旋する妙。注目句(問題句)「夢幻泡影青岬の考よ(樽谷宗寛)」「蹲踞躊躇ひ蹴躓き白躑躅」「一切合切腹は決まらず春霞(末澤 等)」。漢字を遊ぶ、私も好きな手法なので楽しく拝読。宜しくお願い致します。♡自句自解「三盗を知り先ずは路傍の菫草」。SNSの検索では、野球の三塁盗塁までですから、我が三盗はポピュラーでは無いのかもしれませんが、昔から花・本・女 女性を盗む事を三盗と呼んで、前の持ち主よりも愛で大切にするならば盗む事も許される、と言われています。先ずは謙虚に、路傍の荒草の花から、と言う程の句です。いつか美しき女性を盗んでみたいものです。

石井 はな

特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」。大切な身近な方が亡くなられたのだとお察しします。向こうでも困らない様に必需品の眼鏡を丁寧に拭いている姿に、悲しみと寂しさが深く感じられます。

向井 桐華

特選句「化野や今日も濡れ咲く著莪の花」。景がよく見える。説明的でなくそこにある景色を描いているところが良いなと思いました。著莪の花は好きな花です。

銀   次

今月の誤読●「麦秋や綺麗なままの体操着(松岡早苗)」。体育の時間。クラスのみんなはドッジボールに興じている。あちこちで歓声があがり、笑い声が飛び交っている。そのかたわらに少女がいる。ただひとり、膝をかかえて坐っている。彼女はぜん息持ちで、仲間に加われないでいるのだ。いつもの光景だ。生徒たちが騒がしくボールのやりとりをしているとき、少女のまわりだけは、あたかもバリアーにつつまれたように静寂が支配している。そのとき突然、ピカッと稲光が走る。次いでゴロゴロと不気味な音が鳴り、バンとさほど遠くないところに落雷した。一気に空は青黒い雲におおわれ、滝のような雨がザッと降ってきた。先生はピーッとホイッスルを鳴らし「避難しろ!」と命じた。生徒たちは我先にと校舎の軒先に駆け込んだ。ただ少女はひとり、ギュッと膝をかかえ込んだまま動かない。雷はだんだん近づいてくる。先生は大声で少女の名前を呼んだ。生徒たちも口々に少女の名前を呼んだ。だが彼女は動かない。雨が彼女を打ちつけた。すさまじい雨である。一気に髪はビショビショに濡れそぼり、体操着はカラダに張りついた。とたん雷は少女の背後に落ち、その姿はまるでブロンズ像のように浮かび上がった。生徒たちは悲鳴をあげた。だが少女は平然と髪をかきあげ、顔をあげ、気持ちよさそうに雨に打たれていた。少女の顔に笑みが浮かんでいた。

増田 暁子

特選句「地に穀雨君の弾き語りのように」。静かで穏やかな弾き語りのような穀雨。しみじみと心に染み入ります。特選句「知らんぷりという思いやり躑躅に雨粒」。ありがたい思いやり。季語の躑躅の雨粒もさりげなく素敵です。

大浦ともこ

特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」。近しい方がなくなった時のしみじみと悲しい気持ちが静かに伝わってきます。特選句「草の花花小さくて花の色」。わずか11文字のシンプルな字面の中に〝花〟という文字が3つありそこにまず心惹かれます。ささやかな草の花をじっとみている作者の視線が優しいです。

柾木はつ子

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。「生まれたてのつま先」がいいですね。なんとも可愛らしいつま先が浮かんでまいります。同時に待ちに待った解放の夏がやってきたというワクワク感も感じられて素晴らしいと思いました。特選句「人間に飽きてきてをりよなぐもり」。私が人間でいることに飽きてきているのか、それとも社会の中の人間どもに飽きてきているのか、どちらなのでしようか?どちらとも言えるし、或いは両方かも知れませんね。掲句の作者はたぶん疲れていらっしゃるのでは?あらゆることに…「よなぐもり」が頷けます。

山下 一夫

特選句「春眠の乙女唇にピアスして」。「春」と「乙女」には佐保姫やフローラなどの女神、「眠」には白雪姫やいばら姫を連想します。それが唇ピアスの口を大きくあけて(たぶん)居眠りしている。神話やメルヘンのイメージに現代や現実の対比が面白いです。特選句「空に浮く磨かぬ鏡余寒かよ(島田章平)」。上五中七が「余寒」の形容として秀逸でそこまでで完結してもよいほどなのですが、語尾に謎の「かよ」です。俳句的には詠嘆の「かな」でしょうが、突っ込みや不平の物言いで用いられる若者言葉をあえて持ってきた果敢さをいただきます。やや品が不足する感は否めないもののこちらの方ががぜん面白いです。問題句『櫻島薄暑ドーンと「俳句造型論」』。「黒い桜島折れた銃床海を走り 兜太」が意識されていると受け止めました。戦後俳句界でいろいろあって兜太師が「俳句造型論」を提唱した頃に詠まれたもののようです。掲句は桜島の存在感と兜太師やその業績は互角としているようで納得。ただ、季語「薄暑」はなくてもよいかと。兜太師の主張には俳枕的な地名は季語に匹敵するというのもあります。

松本美智子

特選句「黒揚羽昼の浮力と重力と」。一物仕立ての俳句として、黒揚羽の様子がよく分かる俳句だと思います。紋白蝶でもなく蜆蝶でもなく、堂々とした黒揚羽の悠然としたとび方を想像させる秀句だと思いました。

亀山祐美子

特選句「病室は人ゐて無言春の昼」。当たり前といえば当たり前の情景。親しい者同士の間合い。無言の平安。気の置けなさを「春の昼」という希望に満ちた季語が支える佳句。

藤田 乙女

特選句「傷つけど傷つけど天へ雲雀よ(銀次)」。傷ついても傷ついてもひたむきに進もうとする姿に共感し、励まされました。特選句「千年の山桜千年の孤独」。 千年の山桜は千年の間に生まれてはまた滅びゆく多くの生きとし生けるものを見続けてきたのでしょう。山桜の思いが胸に迫りました。

野﨑 憲子

特選句「もう結構ってさくら日向の少女です」。お日さまを総身に浴び溌溂とした少女が見える。「いい加減ほっといてよ!」と、構ってくる仲間や家族に言っているのか。<さくら日向>の華のある風情に引き込まれた。特選句「吾子の手と象舎の記憶若葉風」。一読、今はない栗林動物園を思った。今は、栗林公園の正面玄関横の駐車場あたりに在った動物園。爽やかな季節に、幼い手を引いて象さんに会いに行ったのが昨日のことのように思われる。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

烏賊墨
蛍烏賊食し心も青光る
末澤  等
身を切って逃るる烏賊よ生きのびよ
銀   次
烏賊すみ好きの妻はおはぐろ可愛かり
樽谷 宗寛
烏賊墨が自慢白南風のキッチンカー
和緒 玲子
半夏生の手土産にしようイカスミを
柴田 清子
いかすみで誘ふデートやパリー祭
島田 章平
烏賊の墨自慢でないという自慢
藤川 宏樹
烏賊墨吐いてふるさとを出て立夏
三枝みずほ
虎杖
虎杖に待ち伏せられてゐる日昏
柴田 清子
酸模グツグツ母の料理は魔女のごと
岡田 奈々
ひざ小僧の傷のなごりよ虎杖の花
銀   次
虎杖や踏みこめぬまま話終ふ
和緒 玲子
虎杖の折れ口きらりあとは空
野﨑 憲子
虎杖齧り頂き目差す風の衆
野﨑 憲子
いたどりや祖母・母・子・孫土佐に生る
大浦ともこ
母の背負籠朝採りの虎杖
樽谷 宗寛
虎杖の花彼女には隠し事
島田 章平
優しさは夕焼のこす小豆島
竹本  仰
夕凪に馴染みて島の人となる
大浦ともこ
豊島美術館で水が生まれた夏
薫   香
夏の空棚田の島の等高線
藤川 宏樹
島めしはガパオライスよ青嵐
岡田 奈々
バナナ
夫婦の間sweet spot!と置くバナナ
竹本  仰
バナナ出してそれでおさまる口げんか
島田 章平
バナナケーキを焼く思い出ぽろぽろ
薫   香
生れてきた意味はいづこぞバナナ食む
野﨑 憲子
バナナ売り切れ寅さんいたらいいのになあ
樽谷 宗寛
母のいない夏休みなりバナナなり
岡田 奈々
正座して老女の咲かすあやとりの花
銀   次
老いたのし愛語ひとひら又ひとひら
野﨑 憲子
老僧の八重歯ハニカム梅桃(ユスラウメ)
大浦ともこ
老い二人五月の石に腰かけて
野﨑 憲子
老いるってどらやきの中のあんこ
三枝みずほ
老いてこそ深まる魅力山粧う
末澤  等
長寿大学美少年老い易く
藤川 宏樹
「俳句造型論」老境に曝書かな
樽谷 宗寛
老眼を花眼と呼びぬ蝉時雨
和緒 玲子
チョイワルは老いてももてる村芝居
島田 章平
涼しさのようにゆっくり老いてゆく
柴田 清子
渋い顔すんなバナナ一本やる
三枝みずほ

【通信欄】&【句会メモ】

平成22年11月に始まった本会も、お陰様で、150回を迎えました。これからも、作品第一で、多様性に満ちた句会を目指して参りたいと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

今回は、河内長野市から樽谷宗寛さん、淡路市から竹本 仰さんがご参加くださり、いつにも増して熱く楽しい句会になりました。

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