2021年7月29日 (木)

第119回「海程香川」句会(2021.07.17)

風鈴.jpg

事前投句参加者の一句

     
雲の峰埴生の宿や我哭(な)かん 久保 智恵
なめんなよ 冷奴かて意地あるで 島田 章平
わが影のなかの蝶揺れ砂こぼす 十河 宣洋
まぼろしの滝の高さを育てけり 田口  浩
詩のような曲路を抜けし閑古鳥 豊原 清明
平穏な日の汗兜太と歩いた街 津田 将也
あぐらかく猫と将棋や梅雨前線 増田 天志
夏至の日暮れキャッチボールの父の顔 山本 弥生
口中に舌のだぶつく桃の昼 小西 瞬夏
声細き男来てする田水張り 吉田亜紀子
死を語るリモート講座日雷 菅原 春み
蓮の花銀の糸で山を縫う 夏谷 胡桃
立葵をさな指さすあつちようちよ 福井 明子
仮縫いの貝殻骨美しジューンブライド 田中 怜子
どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく 竹本  仰
手花火の雫の下の黄泉の橋 伏   兎
飛べそうな気がする夜を緑夜と言う 佐孝 石画
不条理が地球を覆ふ梅雨しとど 三好三香穂
明日手術カルテの文字が蟻になる 寺町志津子
竹落葉踏んできし日の土不踏(つちふまず) 谷  孝江
一炊の夢の匂ひの夜店かな 松岡 早苗
夜空遠ししゃくとり今日を測り終え 松本 勇二
ニス匂ふ緑蔭周波数ざらつく すずき穂波
百万ドルの夜景融解土砂降りに 滝澤 泰斗
髪洗う捨てられぬもの多過ぎて 石井 はな
地獄の黙示録蟇の眼玉浮く 川崎千鶴子
放蕩の父の土産や金魚玉 銀   次
影踏んで来て夕暮れの花氷 三枝みずほ
深息し素のまま生きて楸邨忌 高橋 晴子
荒梅雨のオリパラ兄の蓄膿症 荒井まり子
蟻一歩人間一歩地図描く 亀山祐美子
父金継ぎの黒き器や遠雷す 中野 佑海
角栄も邦衛も田中、田水沸く 藤川 宏樹
放棄田に立てば弟の声がする 稲葉 千尋
老々介護縄文の土器愛(め)でる如 若森 京子
おとうとよソーダで割っている帰郷 大西 健司
秒針が可哀想なほど回っている 中村 セミ
ウォーリーをさがせ!金蠅何処消へし 野澤 隆夫
昼の蚊やコロナが嗤うワクチン チッ 田中アパート
海霧の中行く舟にいるヒトと 鈴木 幸江
やがて満つ力銀杏の若緑 小山やす子
夏服の鎖骨うつくし鴎外忌 高橋美弥子
交響曲六番蟷螂のごとコンダクター 佐藤 稚鬼
電話じゃないよ風鈴よと母を抱き 増田 暁子
手の甲の筋走り根のごと七月 森本由美子
蓬匂う如き戒名授けらる 榎本 祐子
来世は驟雨のように生まれます 高木 水志
百日のサプリより白南風の一気 野口思づゑ
下駄履いて優しき夏を買いにゆく 伊藤  幸
蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ 月野ぽぽな
梅雨の月呼吸の中に身を沈め 河野 志保
オンラインもつぱらとする蠅叩 山下 一夫
加茂茄子のぽってり育つ月の夜 飯土井志乃
青田波讃岐平野はでっかいぞ 漆原 義典
素描画の原生林に夏の風 重松 敬子
読み捨てられた本のよう昼寝覚 柴田 清子
人体に滅ぶ国あり青時雨 桂  凜火
おたふくあじさい手摺は波に毀されて 河田 清峰
舌を出すアインシュタイン夏五輪 藤田 乙女
陽に向かう蟻の背伸びや蟻の旅 松本美智子
立葵少女の脚のながきこと 植松 まめ
氷菓舐む同じ子宮にいた兄と 男波 弘志
夏満月血の濃ゆければ諍えり 稲   暁
豆ごはんどの子も目玉よく動く 吉田 和恵
早飯早糞事なさざりと盛夏の師 野田 信章
部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「母の忌の少しの水にいる魚(男波弘志)」母の忌は楽しい思い出やつらい思い出が綯交ぜになった複雑な日だ。そういう日に、少しの水に生息する魚に目を遣った感性は繊細で柔軟だ。無季であるが、詩性がそれを凌駕している。

小西 瞬夏

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」水はたっぷりではない、その限られた環境のなかで華々しくはなくとも、それにあらがうことなく、しっかりと生きて泳ぐ魚。母の忌にそのことを思うことで、母の生きざま、そしてそれを見てきた作者自身の生きざまを思い、また読者としての私自身の生きざまを問われる。

若森 京子

特選句「話してごらんぐっと近づく夏の月(藤田乙女)」平明で自然と一体化したナイーブば抒情が好きです。特選句「読み捨てられた本のよう昼寝覚」昼寝覚めの時に味わう時間の止まった様な不思議な意識を「読み捨てられた本」と表現した喩の面白さに共鳴しました。

稲葉 千尋

特選句「交響曲六番蟷螂のごとコンダクター」おそらくベートーベンの「田園」のことかと思う。わりとゆっくりのリズム、指揮者の様子がわかる。

増田 天志

特選句「部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼」俳句の可能性を広げる意欲作。秀句は、創作意欲をかきたてる。雲の峰より卑弥呼起つ根っこかな。やはり、季語にこだわると、平凡になる。

小山やす子

特選句「梅雨の月呼吸の中に身を沈め」うっとうしい梅雨とコロナ禍の今、じっと耐えるしかありませんね。

藤川 宏樹

特選句『「はだいろ」は消えてしまったなめくじり(高橋美弥子)』クレヨン、色鉛筆に「はだいろ」という名の色があった。人を描くときは「はだいろ」を考えもなく使ったものだ。肌の色は十人十色。多様性を認めあう今、「はだいろ」という名は消えてしまった。「なめくじり」の質感をうまくあてている。

すずき穂波

特選句「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」蛇は自力だけではなく草や木の枝、石、岩の助けを借りて脱皮すると聞いたことがある。「夜を大きく使い」の捉え方に力を振り絞る蛇の生命力を、そしてまたこの作者の愛をも感じた。特選「口中に舌のだぶつく桃の昼」会話の少なくなっている現在の倦怠感や苛立ちを「舌がだぶつく」と表現されたか。桃を啜るときの快感に反して、いっそもどかしさが増すのだろう。

福井 明子

特選句「夜空遠ししやくとり今日を測り終え」悠久の果てない時間の中で、とにかく今日一日成したことを「測り終え」る。ちっぽけではあるが、「しやくとり」も文字にすると存在感がある。そんなことに気づかされた一句。特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」この句にくぎ付けになった。何故? アインシュタインの、あの舌を出した写真のインパクトが、迷走する夏五輪そのものに対峙し鳴り響く。

大西 健司

特選句「明日手術カルテの文字が蟻になる」中七以降の捉え方は秀逸。それだけに上五のもたもたとした言い回しが気にかかる。もっと絞ってもらいたい。たとえば手術前夜とすればもっと臨場感、焦燥感がつのるのでは。好きな句だけに勝手なことを考えてしまうがいかがなものか。「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」も同様、夏服とわざわざことわらなくてもと考えてしまう。「我が影の鳥になりたる青岬」「放棄田に立てば弟の声がする」好きな句だがやや既視感を思わないでもない。

津田 将也

特選句「雲の峰埴生の宿や我哭かん」。歌詞の説明に「埴生の宿」とは、みずからの生まれ育った花・鳥・虫などに恵まれた家を懐かしみ讃える歌・・・とある。床(ゆか)も畳もなく、荒壁むきだしの家。このような造りであっても、自分が育った家は「玉の装い」を凝らし「瑠璃の床(ゆか」を持つ御殿よりずっと上等で、楽しく頼もしい。一般的では、「みすぼらしい家(我が家)」といった意味合いで使われる。歌唱して生い立ちに想いをいたすとき、なぜか郷愁にかられ、わけもなく涙がこぼれるのである。昭和六十年七月二十日(一九八五年)に公開された市川昆監督の映画作品に「ビルマの竪琴」がある。終戦を迎え日本に帰還するビルマ(現・ミャンマー)戦線の日本兵と、累々と戦場に続く日本兵の屍を目の当たりして、彼らをきちんと葬るのが自分の使命と考え、現地の僧侶となって残ることを決意し、これらの戦友たちと別れるまでの水島上等兵の戦争物語である。最後のシーン「埴生の宿」の合唱が素晴らしくて、今でも、目頭が熱くなる。季語「雲の峰」が特別な効果をくれてもいる。特選句「口中に舌のだぶつく桃の昼」。これもなかなかの秀抜句である。「舌のだぶつく」が含有している性的衝動への期待感を私は支持する。

鈴木 幸江

特選句評「蟻一歩人間一歩地図描く」かつて伊能忠敬は歩いて日本地図を完成させた。人類の地図には深い歴史がある。今は、宇宙衛星を駆使して完成させているのだろう。自分に備わっている知覚と智恵を駆使して地図を描いてきた人間の能力は今どこに潜んでいるのだろうか。蟻は地図を描けるわけではないが仲間に餌のありかを教える能力がある。目的地へ着くという思いは同じだ。身体で覚えた生きる術を失うことは恐ろしい、そして人類が為す一歩の行為の責任も考えさせられた。

豊原 清明

特選句「山梔子咲き合うて互いを褒め合うて(伊藤 幸)」咲き合って褒め合ってという所が、肯定的なイメージで、ほっとする。問題句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」一行詩と思った。飛ぶところは、鳥への憧れか。

野田 信章

特選句「平泳ぎのような息継ぎ朝ひぐらし(松本勇二)」の蜩は、私の中では夏から秋にかけての間(あわい)の季節感とともに在る。間断なく降るその声をこのように表現されてみると、そこにはコロナ禍の夏百日を生き抜いた者の息継ぎ息使いとも自と重なってくるものがある。美しい叙情句である。

寺町志津子

特選句「やがて満つ力銀杏の若緑」どっしりと大きな銀杏の木。その木の若緑色 の小さな葉。その小さな葉は月日と共にしっかりとした葉になると詠まれた掲句は、景がよく見え ると同時に、少年の成長する姿とも取られ、気持ちよくいただきました。

夏谷 胡桃

特選句「立葵少女の脚のながきこと」。立葵がわたしの夏の花です。そして最近の女の子のかわいいこと。見惚れてしまいます。「豆ごはんどの子も目玉よく動く」。夏の子どもたちの昼ご飯(保育園かな)の風景が浮かびます。

中野 佑海

特選句「一炊の夢の匂ひの夜店かな」夜店はいつも切ない。うす暗いガス灯、アセチレンの匂い。綿菓子の買って少し経つと凹む袋。林檎飴の欠け。くじ引きのはずれのベロベロ。何故か悲しくなるものばかりなのに、わざわざ出掛けて行くのはなぜ?特選句「オンラインもっぱらとする蠅叩き」オンラインって気遣いますよね。画面から外れないように。だから、蠅叩き凄く分かります。でも、私は蚊もどちらも気になります。気になりかけたら、車運転してても、停めて頑張ります。「なめんなよ 冷奴かて意地あるで」分かるわ。何時まででも苛められたままではおれへんで、見ときや。暴力には頭や!「解しては一挙三密素数蝉(藤川宏樹)」素数蝉って周期的に大発生するとか。ほんま一挙に三蜜。わたしは蜂蜜のほうが有難いけど。解変えてんか。「どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく」実際に目撃されたのですか。見つけたら後付けたくなりますよね。「手花火の雫の下の黄泉の橋」花火の火の粉は硫黄の香り。黄泉との橋渡しをしているのでしょう。「髪洗う捨てられぬもの多過ぎて」私の部屋の片付け誰か手伝って下さい。あの世とやらへ旅立つ日が近づいているのに、夏はつい髪をあらいたくて、シャワーの時間が増え往生します。「途中から虹現われるチューインガム」もういつ顔にぺちゃっていくかな?この緊張感。「おとうとよソーダで割っている故郷」帰らなければでも帰るとなるといろいろ蟠りが。ソーダの泡の様に吹いてくる。「読み捨てられた本のよう昼寝覚」えっと私は今から何を演じるのだっけ。この頃夢と現がごっちゃになってややこしいったらありゃしない。台本台本。以上。宜しくお願いします。 今月も楽しい俳句を読ませて頂き有難う御座います。心癒やされます。

河野 志保

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」介護の一場面だろうか。辛いことも多いと思うのに、お母様にかける言葉には愛があふれている。心に染みる温かい句。

滝澤 泰斗

特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」アインシュタインで思い出される顔と言えば、やはり、あの舌を出した顔。混沌のオリ・パラだけではなく、コロナ対策のやることなすこと頭のいいはずの官僚たちの仕業とは思えない無様な風景にあの舌出しアインシュタインの顔はピッタリ。特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」人体を地球に見たてた視点がユニーク。耳国鼻国、時に、勝手な国歌まで流れた・・・それが、何が原因か判らないが機能不全に陥る。様々に想像を掻き立ててくれた。特選に準じる選「夜空遠ししゃくとり今日を測り終え」深淵な宇宙観にあって、尺取虫の取り合わせ見事。「地獄の黙示録蟇の眼玉浮く」昔見た、映画「地獄の黙示録」のポスターを思い出した。「フルメタルジャケット」と並んだ戦争映画史を変えた映画として記憶している。まだ、戦火の止まないカンボジア内戦中、アンコールワットにポツンとあった、グランドホテルを沼から蟇が覗いている・・・「荒梅雨のオリパラ兄の蓄膿症」オリパラ狂騒の一断面。何ともうっとうしい蓄膿症のような状況に蓄膿症に病んだ政府が挑んでいる図。「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」?外忌から舞姫エリスを思い出した。エリスとはあったことはないがあの小説から想像されるエリスはまさに鎖骨の美しい人だったことが十分に想像された。「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」景の大きな、そして、神秘的な景に共感しました。「読み捨てられた本のよう昼寝覚」読み捨てられたような寝姿と読み捨てられた本の滑稽さにふと目が覚めた?

増田 暁子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」気持ちの良い緑夜には飛ぶことも出来るはず、と私も思いたい。特選句「また海に来てしまった夕焼け小焼け」海が好きなんですね、瀬戸内の海は本当に素敵です。夕焼けも大好きです。「あぐらかく猫と将棋や梅雨前線」コロナ禍と梅雨で猫も暇なんです。「さくらんぼ含む少女の笑顔かな」笑窪の可愛さ、大好きです。「角栄も邦衛も田中、田水沸く」田を並べて1句できました。面白い。「七夕にウイグル絣の小座蒲団」ウイグル産の木綿は今国際問題ですね。私の周りにはあるかなと不安です。

松岡 早苗

特選句「アメリカの夏碧々と空空(くうから)天(鈴木幸江)」マンハッタンの摩天楼の上の空でしょうか。それともカリフォルニアの青い空でしょうか。一切を無に変えてしまう完璧な夏空。「空空」が効いていて、とてもすばらしい句の収め方ですね。特選句「夜空遠ししやくとり今日を測り終え」目指し励まないといけない明日があるのでしょうが、とにかく今日一日を生き抜き、しみじみと夜空を眺めている充実感や安堵感のようなものを感じました。

月野ぽぽな

特選句「氷菓舐む同じ子宮にいた兄と」。「同じ子宮にいた兄と」の感慨が新鮮。「氷菓舐む」から、爽快感とともに、舌が象徴する人間の体の不思議感が立ち上がるのも、中七下五の気づきゆえだろう。

桂  凜火

特選句「海霧の中行く舟にいるヒトと星」不安でとらえどころのない時代の空気感をよく伝えていると思いました。ヒトのカタカナは霊長類のヒトという感じがでていて良かったです。

伏   兎

特選句「わが影のなかの蝶揺れ砂こぼす」夏蝶のように羽ばたきたい。そんな野心を秘めている作者の思いに共感。零した砂が光の粒のようで美しい。特選句「夜空遠ししゃくとり今日を測り終え」褒められもせず、疎まれもせず、淡々と今を生きる。河島英五の「時代おくれ」の男の歌が聞こえてきそうで惹かれた。「部屋に入ってきた雲の奥から卑弥呼」部屋の鏡にめずらしい虹雲が映ったのかも知れない。幻想的で興味深い。「死を語るリモート講座日雷」新型コロナ感染で亡くなる人はもちろん、経済的に追い詰められ自死する人が多い昨今、心に刺さる。

高木 水志

特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」僕は、身体の細胞を連想して、青時雨の柔らかな響きに、常にダイナミックに働いている細胞の活力を取り合わせたことで生々しさを感じた。

菅原 春み

特選句「髪洗う捨てられぬもの多過ぎて」共感のなにものでもありません。髪洗うの季語がなんともいい取り合わせです。髪はきれいになれても、ものは増えるばかり?特選句「放棄田に立てば弟の声がする」かって弟さんの耕していた放棄田。この世からいなくなったのか、農業から離れ故郷を離れていらしたのか。しみじみする句です。

野澤 隆夫

梅雨明けも直前。何かと物議のオリンピックも目の前!「海程香川」句会 第119回を届けます。つい先日、矢崎泰久『句々快々「話の特集句会」交遊録』(本阿弥書店)に渥美清=寅さんの43句を読み面白かった。いみもなくふきげんな顔してみる三が日、初句会今年もやるぞ!ヤケッパチ 等43句。そんな関係でつい流されやすい小生の特選句。「放蕩の父の土産や金魚玉」「豆ごはんどの子も目玉よく動く」どの句も渥美清の調べで、ホノボノ。いいです。

松本美智子

特選句「梅雨の月呼吸の中に身を沈め」梅雨時の夜の鬱々とした気持ちがよく表れていると思います。自粛生活を静かに粛々と・・・・今の時世も併せて表現できていると思います。早く晴れ晴れとした気持ちになりたいものです。

榎本 祐子

特選句「アスファルト剥がされてゆく溽暑かな(松岡早苗)」道路工事の側を通ると、その熱気が伝わってくる。ここではアスファルトが剥がされているのだが、その後に敷かれるであろうアスファルトの黒いドロドロが思い浮かんで、溽暑と共に皮膚感覚に訴えかけてくる。

田中 怜子

特選句「深息し素のまま生きて楸邨忌」嘆息ではないのかな、と思いつつ、楸邨氏の姿がほうっと浮かんでくる句ですね。特選句「百万ドルの夜景融解土砂降りに」夜景が融解がおもしろい。今日の新聞の俳壇で大仏が白雨でみえなくなってしまうという句が載っていました。

男波 弘志

「まぼろしの滝の高さを育てけり」虚の世界の中にはっきりした芸道の極致がある。それは育てけり の奥行き感。「口中に舌のだぶつく桃の昼」エロスの極致がある。仮に桃の実だとしたら、一句は堕落したものになっていただろう。「秒針が可哀想なほど回っている」アナログの死物狂い、創作者は常にアナログ、直でなければいけない。全て秀作です。

漆原 義典

特選句「声細き男来てする田水張り」私は大地とともに生き、大地の動物、植物から四季の移ろいを感じ、俳句に詠むことを定年退職後の生きがいとしています。私は今米作りをしていますが、私と同じような生活をおくっている方がいらっしゃることにうれしく思いました。上五の声細きがいいです。米作りに元気が出ます。ありがとうございました。

森本由美子

特選句「骨格は眠っておらず三尺寝(十河宣洋)」大工か、瓦職人か、日差しをよけ、限られた空間にバランスよく体をはめ込み仮眠。<ちょいと横にならせてもらいますぜ。> 古きよき時代がしのばれる。

吉田亜紀子

特選句「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」小説を読んでいるかのような句。「鎖骨がうつくしい」という表現に透明感を感じる。少年か、少女だろうか。または貴婦人だろうか。作品がぐるぐると巡る。改めて森鴎外の作品を読み返したくなりました。特選句「立葵少女の脚のながきこと」脚の長い少女が立っている。その傍には、力強いが可憐な立葵が咲いている。立葵と少女。とてもカッコいい句だと思いました。

河田 清峰

特選句「影踏んで来て夕暮れの花氷」日盛りを歩いて来ての花氷の涼しい一時。ゆっくりと融けていく夕暮れがいい。

田口  浩

特選句「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」。「夜を大きく使い」は発見であろう。誰にでも言えそうで言えない措辞だ。一句に独自の広がりがある。「部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼」卑弥呼が国々を治めるのに、いかに大事であったかと言う記録が残っているらしい。彼女が没すると、治まっていた国々が争いを始め混乱をきたした。そこで王たちは相談をして、卑弥呼の娘を二代目に据えると、諍いが無くなったという。本当か嘘かはわからないが、この句にそんな威厳を感じられないかー。この作品普通は「雲の奥から部屋に入ってきた」となるのだか、そうしないところに巫女としての摩訶不思議を表現しているようだ。「蓬匂う如き戒名授けらる」蓬が艾の原料であって見れば、戒名のそこここに、そんな香りが立ちこめる。不即不離。句としては「蓬匂う」なんとも微妙でいい。「そおつとしておこう風穴に蛇と少年(野﨑憲子)」好きな句でいいとは思うのだが、「そおつとしておこう」に引っ掛りを感じる。でも、やっぱりいい俳句に違いない。「川とんぼ重たい荷物おことわり」川とんぼの生態をユーモアを含めて詠み切っていよう。

伊藤  幸

特選句「早飯早糞事なさざりと盛夏の師」これは兜太先生の教えと受け取った。幼い頃父が若い職人さん達によく「早飯早糞早仕事!」と叱咤激励?していた事を思い出す。当時は何と下品な言葉であろうと思っていたが今にして思えば懐かしい訓示である。真逆ではあるが・・・。「盛夏の師」の措辞が悠然とした兜太先生の逞しい姿を浮かび上がらせる。

柴田 清子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」この作者の持っている独特な詩的感覚から生れた一句、素晴しい特選です。特選句「母の忌の少しの水にいる魚」読んだ瞬間いいなあと思った。何度読み返してみても、気持は、この句を離さなかった。この句に、一歩も踏み入る事は出来ないけれど。特選です。

島田 章平

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」。不思議な響きの句。最初は間違えて、「魚」を「金魚」と読んでしまった。平凡な句だと思い取らなかった。読み直すと「魚」。???。何だろう。情景が読めなくなった。ある方は干潟の魚と読んだと言う。でもない。実在しない魚。作者の心の中に棲んでいる魚。今にも窒息しそうに口をパクパクさせている。無季俳句だからこその不思議な存在感。ひとつ、目から鱗が落ちた様に感じた。

石井 はな

特選句「万引の子の握りしめてたチョコレート(銀次)」握りしめてたチョコレートに、深い広がりを感じます。遊びの万引きではない子供の事情に思いを寄せると、心が痛みます。どの子供もみんな、健やかに伸び伸びと成長できる世の中で有って欲しいです。

佐孝 石画

特選句「平泳のような息継ぎ朝ひぐらし」クロールなどと違い、平泳ぎの息継ぎは頭全体を水面に上げる必要があり、「ぷわっ」という息継ぎの破裂音が聞こえてくるかのような必死めいたものがある。蜩の鳴き声は他の蝉に比べて軽やかなイメージがあるが、この作者はその鳴き声自体ではなく、鳴き声の合間の沈黙、静寂に注目したのだろう。切なげに鳴き声を演じ切った後、ひぐらしは必死の形相で「ぷわっ」と息継をしていると。その幻想は新鮮だった。

久保 智恵

特選句「平穏な日の汗兜太と歩いた街」とても素敵な時間です。特選句「母の忌の少しの水にいる魚」切り果てのない問いの中でまさぐるしかない表現とても好きな2句です。

中村 セミ

特選句「慈雨の夜ミカドアゲハの君の息(若森京子)」うまく書けないが蝶も暑中の中で水を欲しがるのだろう。めぐみの雨が降れば蝶はホッと一息するのではないだろうか。少女はそれを綺麗に君の息と詠んだ。

野口思づゑ

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」娘さんと一緒なのでしょうか。それでもどこか心寂しくて電話を待っておられるかもしれませんね。静かな風鈴の音に「電話が。。。」と自分では取れなく、もどかしいのでしょうか。そんなお母様に優しく接しているご本人と、お母様の二人のほのぼのとした姿が目に浮かぶようです。

三好三香穂

特選句「朝光を斬る眩しさの夏つばめ」目の前を突然、つばめの宙返り。そんな一瞬を、?朝光を斬る〟ととらえた所がすぐれている。しかも一瞬の羽根の輝きは?眩しい〟のである。「骨格は眠っておらず三尺寝」昼寝は普通、いぎたなくよだれなど垂れて、たらりとしているものだが、この人にあっては、武士の如く、草食動物のごとく気を張った三尺寝。シャキーンである。「放棄田に立てば弟の声がする」田舎の田畑は高齢化の波で耕作できなくなり、荒地に変わりつつある。この人の弟さんも継がなかったのだろう。?兄ィ、どうする?〟?兄ィ何とかせよ〟?僕はできんしな〟話し合いになったか、喧嘩越しになったか、目の前の無残な光景を見て、去し方のやりとりが走馬灯のように思い出される。切実な現実である。?放棄田〟では季語なしかも知れませんね。隣の田は水田かも。「舌を出すアインシュタイン夏五輪」何故か舌を出したアインシュタインの写真がよく使われ、ポスターにもなっている。このコロナ禍の中、無観客での真夏の東京オリンピック。世界がチョット変。あかんべえもしたくなる。十月十日の東京オリンピックがなつかしい。IOCバッハ委員長、菅総理、小池知事もあかんべえしたポスターを作ってみれば?

荒井まり子

特選句「竹落葉踏んできし日の土不踏(つちふまず)」心静かに次の世代に思いを託す優しさがいい。

谷  孝江

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」良いお句ですね。優しさ、切なさ、思いの深さが綯い交ぜになって心に染みてまいりました。ご家族の中にあって幸せそうなお母様のお姿が胸一杯に広がってまいります。この後もずっと?お幸せが続きますように。 

山本 弥生

特選句「口喧嘩の末の和解や梅酒酌む(植松まめ)」女同士の親しい友達であろうか。お互いに云いたい放題言い合った末に仲直りして手作りの自慢の梅酒で心安らぐ刻を過せたこと、どうぞいつ迄も仲良くして下さい。

飯土井志乃

特選句「老々介護縄文の土器愛(め)でる如」老々介護はかくありたしとすべての老いゆく人々にかすかな期待を込めて。

吉田 和恵

特選句「昼の蚊やコロナが嗤うワクチン チッ」コロナウイルス PCR検査 ワクチン 等 裏の事情もあるようで、それも含めてのコロナ禍を蚊が見ている。そんな感じ。納得!

亀山祐美子

特選句『豆ごはんどの子も目玉よく動く』豆ご飯のおいしさがよく伝わってきます。

田中アパート

特選句「地獄の黙示録蟇の眼玉浮く」一九七九年公開映画。フランス・フオード・コッポラ監督の作品。ウィラード大尉(マーティン・シーン)の瞳を蟇の眼玉とは。ハリソン・フォードも若かったですな。

植松 まめ

特選句「素描画の原生林に夏の風」梅雨が開け茹だるような暑さの夏が来ましたがこの句の爽やかに惹かれました。油画でも水彩画でもないのです。

高橋美弥子

特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」問題だらけのこのオリパラをうまく捉えているし、遊びがあるので逆に救いがあります。問題句「万引の子の握りしめてたチョコレート」無季句は難しいのですが「万引」からはじまってハッとしました。握りしめて溶けているところまで17音で表現するのは難しいですが、さみしさがある句です。

十河 宣洋

特選句「また海に来てしまった夕焼け小焼け(柴田清子)」思いのある海と言うか海岸である。時間が出来るとなんとなく足が向く。海でなくても喫茶店だったり、本屋だったり、人はひとりでに足が向くところを持っているようだ。特選句「下駄履いて優しき夏を買いにゆく」仰々しい作り方をしているが、近くのコンビニへアイスかビールを買いに行くだけである。優しき夏の措辞がこの句を楽しいものにしている。好作。

重松 敬子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」涼しい夏の夜は、空想の世界に遊ぶのも楽しい、心は自由自在、鳥になったり魚になったり、名句が生まれます。

川崎千鶴子

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」お体が芳しくないお母様が「電話」と「風鈴」を間違えていらっしゃるのを諭されているお句かと。お母様への情が伝わります。「母を抱き」が素晴らしいです。「平泳ぎのような息継ぎ朝ひぐらし」。「ひぐらし」の鳴き声は人の心へこの世と思えない旋律で入ってきます。その声を「平泳ぎのような」と表現されたお力に感銘です。

高橋 晴子

特選句「素描画の原生林に夏の風」涼しそうに描かれた素描画の感じが原生林に夏の風でよく把握出来た感。

山下 一夫

特選句「蓬匂う如き戒名授けらる」亡くなった人のものかもしれないが自身が生前に授かったという雰囲気。それが本来らしいが求めた動機が気になる。授けられた戒名は気に入っているよう。オーダーの内容や住職との関係性、その文言等いろいろと想像させられ含蓄深い。特選句「豆ごはんどの子も目玉よく動く」その昔、豆ごはんが出ると何だか嬉しかった。味というよりも特別感がよかった。子どもとはそういうものであろう。豆と子どもの目玉がシンクロしていて生き生きとした光景が広がる。問題句「口中に舌のだぶつく桃の昼」。「中年や遠くみのれる夜の桃」(西東三鬼)「翁きて桃の遊びをせむと言ふ」(中村苑子)へのオマージュなどを思わせ興味を引く。ただ「だぶつく」がだぶだぶしているだけではなく、多すぎる(二つが限界であろうが)との含みもあるのならかなり…である。邪推?『「はだいろ」は消えてしまったなめくじり』人種差別への配慮から業界団体において「はだいろ」の呼称は「うすだいだい」に統一することになった由。なめくじりの暗喩が謎。「ぶんぶんのマンボブギウギロックンロール」リズムはかなり違うと思うが勢いは共通。楽しい。「老々介護縄文の土器愛(め)でる如」縄文土器の時間や肌合い、貴重との含みが決まった。

竹本  仰

特選句「万引きの子の握りしめてたチョコレート(銀次)」万引きで捕まった子は口を開かない。絶対に自分が悪いと知っているからだろうし、そもそも話す目的を見失っている。どうしてこんなことをしたの?と問われてもわからないからそんなことをしたのだ。どうも常識ではないことが起こっているのはわかるが、説明のしようのない世界の中にいたのだ。チョコレート一個がこんなにつまらないものなのに、その時世界にはチョコレートと自分しかいなかった。それは確かだ。そして今、見るもつまらなくなったチョコレート、世界最低のチョコレート。無数の問いと、色んな背景が、変わり果てたチョコレートの中に消えてゆく。問いに満ちた句、いいですね。特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」三木卓に『ほろびた国の旅』という童話があって、少年の眼で見た満州を再現しようとした話だった。滅びる国にはそれなりの理由があって、しかし誰にも止められない特急列車のようなものらしい。体に少し重い病をかかえる人なら誰しもそうかという感じになるかも知れない。と、まあ、そんな乗客の一人の眼として眺めると、何だか印象的な修学旅行の中にいるような印象になる。青時雨が何とも生々しく、そのへんの感傷をそそるのである。特選句「氷菓舐む同じ子宮にいた兄と」兄弟であれば実に当たり前のことを言っている句なのだけれど、よく考えれば、というタイミングが見えて、そこが面白い句だと思った。目の前にいるこのエラそうな奴は、しかし俺とおんなじ、アイスを美味そうに食うそんな顔をしてこの世に来たんだ。えっ?なんだ、なんだ。当たり前なのに、そう考えると、いったい、俺もそんな変な赤ん坊でそんな表情をしていたという訳か。おいおい、これは、いいことなのか、悪いことなのか?まあ、ここにこうして訳もなく向かい合っているということには、何か色々ワケもあったらしい。何だか、このアイス、今日はヘンな味だな。ふとした存在への問いかけ、いいですね。 暑中お見舞い申し上げます。とうとう猛暑の梅雨明けが来ましたね。涼しい句に巡り合えればと思いつつ、いやいや辛く熱い多くの句に遭遇。しかし、これは体内から発する自然なエネルギーです。何だか起き掛けの新鮮です。みなさん、いつもありがとうございます。見返せば見返すほど、句に〇がついていき、なかなか絞り切れず、ぜいたくだあ~と、痛感しています。

自句自解「冷や奴つかんだ渥美清かな」松下竜一の『豆腐屋の四季』の最初の歌に「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」というのがあって、怒れる渥美清はどうかと、しかし、渥美清の怒れる時代を知っている人はそんなにいないようです。テレビ番組で『泣いてたまるか』を見ていた頃、60年代の渥美清は怒りを押し殺す名演でした。その頃、我が郷里に「ツネちゃん」と呼ばれる豆腐屋さんがいて、顔も声も渥美清にそっくりな腰の低い好人物でした。この間帰省した折に、その店ももうすっかり姿が消えているのに気づきました。怒りも苦労も…、そうか、という句でありましたが、フーテンだけではないまっとう な渥美清、もうあまり知られていないことなんだろうなと。まあ、そんな駄句でありました。「どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく」もう一つの蝉の句は、今年よく見かけたもの。ほんと、空蝉に困っている蝉がいて、 でも、なぜ、彼らはその場所をわざわざ高い場所にとるんだろうか、とても健気に高いところを目指すのに驚きます。ふと、俳句を抱えた自画像というか、そんなものにかぶさってくる面白さ感じました。

三枝みずほ

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」水の自在さと魚の生命が母の忌と取り合わされたことによって、解釈を確かなものにする。無常観というべきか、生死への達観を感じた。言葉に一切の無駄がなく緊張と緩やかさが混在する表現が圧巻。問題句「蝉たかる蟻すさぶ街に群れる餓鬼(松本美智子)」熱量のある語彙の選別に惹かれた。散文的なので、韻律による表現効果が得られれば独自の世界に到達できそうだ。こういう挑戦は飛躍を生むだろうし、一句にかける激情に大きな刺激を受けた。

銀   次

今月の誤読●「老々介護縄文の土器愛でる如」。 とき/いま。 ところ/ホスピスの一室。 登場人物/姉(九二歳)、妹(九二歳)、つまり双子である。 姉はベッドに横たわっている。妹はソファーで刺繍をしている。

姉「……美しい曲を聴くと、美しい絵を見ると、青春を思い出す……、ねえ、あなた、このセリフ覚えてる?」妹「もちろんよ。『舞踏会の手帖』のピエールのセリフよ」姉「ひとりぼっちになった未亡人が、昔パーティで出会った男たちを訪ね歩く」妹「でもみんな昔のままじゃなかった。自殺した人もいたしねえ」姉「人生って残酷」妹「そう? わたしは幸せな人生を生きたわ」姉「そうねえ。……あなた、なぜ結婚しなかったの?」妹「んー。やっぱりお姉さまと一緒にいたかったからかなあ。お姉さまはどうして?」姉「おなじく。あなたとずっと遊んでいたかった」妹「双子だからかなあ」姉「それ関係ある?」妹「んー。どうだろ」ふたりの秘密めかした笑い声。姉「……うっ、せん、めん」妹「洗面器ね。はい、これ」姉「また血よ」妹「いやよそんな言い方。これは薔薇よ。水に浮かんだ真紅の薔薇」姉「そうだったわね。ごめんなさいね。何事もきれいでかわいく。わたしたちのモットー」妹「そうよ。わたしたちの人生はふたりで編み上げる一針ごとのタペストリー」姉「でも、その一針も最後にきてるわ」妹「そうはさせません。お姉さまをひとりでは行かせません。わたしが追いつくまで待ってて」姉「いいじゃない。わたしが先に行って待ってても」妹「いいえ、ふたりで行くの。これまでもそうしてきたように」姉「強情ね。でも、ほんとずっと一緒だったもんね。わたしたち」妹「ふたり一緒に産まれてきて、一緒に生きて、一緒に死ぬ。完璧だわ、わたしたちの人生」姉「完璧な人生、か。なんだか楽しいわ」妹「ね、ね、これこそわたしたちだけの最高の遊び。おもしろいわあ」姉「ええ、おもしろいわ」クスクス笑い。そして長い沈黙。

藤田 乙女

特選句「なめんなよ 冷奴かて意地あるで」句全体から冷奴の感覚が感じられて惹かれました。今度冷奴を食べる時この句に応える言葉かけをしたいです。特選句「放蕩の父の土産や金魚玉」金魚玉を手にした父親の姿と作者の父への思いが伝わってくるようでした。

野﨑 憲子

特選句「立葵をさな指さすあつちようちよ」文語口語チャンポン表記に不思議な魅力を見出した作品です。幼子の指先の蝶影と共に、天空へ咲き上がってゆく立葵の垂直の美、調べの美しさに感動しました。問題句「秒針が可哀想なほど回っている」魅力の無季の句です。秒針は、案外楽しくって仕方ないんじゃないかな?とも。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

かくれんぼ蟹の大家は蟬が好き
野﨑 憲子
黄泉平坂啞蟬の谷あればなり
田口  浩
朗読でジンと痺れたセミの声
島田 章平
トンネルに入れば爆弾蝉の群
銀   次
姿が変わる
ほんたうは言えないこの蟇が君だとは
野﨑 憲子
やれやれとウルトラマンにまた変身
銀   次
サングラス姿を変えたつもりなの
柴田 清子
七月の雑踏が揺れて黒煙
三枝みずほ
手紙見てマユゲひきつる女かな
中村 セミ
アイス
限界の氷菓少女脳を直撃す
銀   次
とけてゆく氷菓よジヤズジヤズジヤズ
野﨑 憲子
老年の恋や氷菓の溶けるまで
島田 章平
百均のアイスをなめて交差点
藤川 宏樹
少年の頬の四角や氷菓かな
三好三香穂
コンビニへ飛び込んでアイスクリームになる
柴田 京子
色褪せた識者の顔や掻き氷
藤川 宏樹
七月
「嘘だろう」七月のザムザ氏絶叫
中村 セミ
七月や長門の海に対峙せり
田口  浩
七月の人影踏みし月明り
中村 セミ
七月を渡れ玄界灘の鳳仙花
銀   次
自由題
振り返るまいぞ駆け去る西日の子
銀   次
花筏ためらい傷のそれぞれに
佐藤 稚鬼
夏の風邪とは違うのよマスクなの
柴田 清子
間一髪夕立逃れバスに乗る
三好三香穂
蛍舞ふ絶壁に小便小僧
島田 章平
前進前進前進蝸牛
島田 章平
草々をはなれる風よ半夏生
三枝みずほ
曇天や引き算とくいな牛蛙
野﨑 憲子
紅花や鶴折る人の吐息とや
田口  浩

【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、今回も高松での句会に10名の方が参加されました。生の句会は、月に一度のお祭のようです。言葉の華があちこちで揚がり盛りあがりました。句会場のサンポートホール高松7階からは、瀬戸内海が見渡せます。いつもなら猛暑の中、帆影もあちこちに見えるのですが、今年は淋しい夏です。一日も早いコロナウイルスの終息を願うばかりです。

2021年6月30日 (水)

第118回「海程香川」句会(2021.06.19)

睡蓮.jpg

事前投句参加者の一句

種漬け花午後は阿波座(あわざ)で待ち合わせ 矢野千代子
無月なる皆既月食 多即一 鈴木 幸江
神様はとなりの木槿にいるらしい 伊藤  幸
蝶へむかって道が立ちあがる初夏 兵頭 薔薇
烏瓜の花のほどけて白き夜 小西 瞬夏
老人が点滅している緑の夜 伏   兎
蒼い夏のからだ包み合ううつぼ 桂  凜火
昭和の子じゃりんこチエや梅雨晴間 植松 まめ
紫陽花にまだ産道の湿りあり 月野ぽぽな
早苗田に銀河落ちゆく声甘し 竹本  仰
一言が明日を照らす沙羅双樹 野口思づゑ
六月の右脳の襞がへばりつく 松本美智子
夏ページ捲っても捲っても海 重松 敬子
姉晶子妻の名朋子薔薇の雨 新野 祐子
吊皮に中指つかむ西日かな 菅原 春み
病葉や昭和の写真薄茶色 漆原 義典
ジャズ愉しゼリーかたまりゆく時間 高橋美弥子
葉桜の中で鳩笛もらいけり 榎本 祐子
にんげんを剥がして緑雨の貌でいる 佐孝 石画
病窓の一畳濃淡の青葉 荒井まり子
時間だけ動いているよかたつむり 河野 志保
行く先を決めかねてゐる青蛙 亀山祐美子
兜太の骨ひろった人と梅雨に入る 男波 弘志
ワガママな完熟トマト更年期 中野 佑海
自粛禍の初夏の初球や百マイル 藤川 宏樹
野の駅に停まる青すすきを窓に 津田 将也
ワクチン予約迷走梁にまとわる蛇 大西 健司
ふきのたう惚けて午後の予定なし 谷  孝江
男なら泣くな、男じゃない? 冷奴 島田 章平
初夏の水の形の絵本開け 中村 セミ
畝高く父のじゃがたらいもの花 吉田亜紀子
「あなたにはわからない」吹く風青し 滝澤 泰斗
二回目のワクチン接種羽抜け鳥 山本 弥生
雨滂沱投句葉書のあばれ文字 松本 勇二
ゆすらうめつまむ老ありゆらり老ゆ 田口  浩
あなたと散歩ねむの花の波動の内外 すずき穂波
蛇苺汚名ものともせず生きよ 寺町志津子
梅雨晴間おのれの頭撫でる僧 増田 天志
過去は幻にあらず鬼灯市 石井 はな
田植え終えぶっとい蛇が怖くない 田中 怜子
語呂のいい安心安全浮いて来い 山下 一夫
籠いっぱいの青梅ちゅうぶらりんの平和 増田 暁子
白瀑の裏はのどかな雨やどり 飯土井志乃
蚕豆の莢のふわふわ家族って何 高木 水志
薔薇に雨わかった振りをしてしまう 柴田 清子
織姫は銀河の戦士ミルフィーユ 夏谷 胡桃
朝風やさし上げて振る夏帽子 稲   暁
おまえにも寿命があるんだ雀の子 銀   次
吾が毒をゆるゆる梳いて髪洗う 川崎千鶴子
春の昼うっかり落ちる瓶の底 三枝みずほ
思い出が押し寄せて来る夏帽子 藤田 乙女
梅雨深しはらぺこあおむしどこかにをる 高橋 晴子
青嵐吾子の生命線深し 佐藤 仁美
胎衣壺(えなつぼ)の出土流域青めたり 野田 信章
結晶と化すまで這うかなめくじら 森本由美子
兜太先生いまだ在して蝶二頭 稲葉 千尋
公園に老人を干す夏の雲 十河 宣洋
春風のためいき一草また一草 佐藤 稚鬼
のォのォと讃岐弁聞く麦の秋 野澤 隆夫
のっぺらぼうつくづくと死ぬ青蛙 豊原 清明
難しい話は苦手ミジンコ飼う 吉田 和恵
人は死ぬワクチン打つも変異株 田中アパート
麦秋や会うほど静かに歳重ね 若森 京子
土用波黙して堂々開聞岳 三好三香穂
夏芝へ放つふたりの単語帳 松岡 早苗
戦いは外にありけり玉子焼 小山やす子
咬み痕の癒えざる指にやまかがし 河田 清峰
とりるりる夏うぐいすや風わたる 福井 明子
ほうほたる会津の姫のぽつと笑む 野﨑 憲子

句会の窓

若森 京子

特選句「男なら泣くな、男じゃない?冷奴」この散文詩のような一行に男の悲哀がいっぱい。「冷奴」の季語が効いている。特選句「胎衣壺(えなつぼ)の出土流域青めたり」人類のルーツの壺が出土し、その流域が青めいているとの風景は、この混沌とした現在の生活の中でふと原点に戻り見つめ直す瞬間かも知れない。

松本 勇二

特選句「神様はとなりの木槿にいるらしい」木槿の花が咲くとその一樹全体が神々しく見えるときがある。それを上手く掬った。口語調で書き軽やかな神様俳句になった。

小西 瞬夏

特選句「時間だけ動いているよかたつむり」。「草一本だけ生えている時間(富沢赤黄男)」を思い出しました。身近なかたつむりを存在が、時間と空間のありようを素朴に、且つ哲学的に表現してしまったところがおもしろい。香川句会のみなさまとお会いできる日を楽しみにしております。

増田 天志

特選句「にんげんを剥がして緑雨の貌でいる」緑雨の貌が、とっても、哀しい。人間関係に疲れ、ひとり自室で、ペルソナを剥ぐ。ほっと、ひと息。でも、私には、貌が、表情が、無い。のっぺらぼうの白幕に、ただ、緑雨が、流れゆくばかり。

津田 将也

特選句「若葉風仔牛の耳にバーコード(増田暁子)」。耳標(じひょう)のバーコードは、個体識別番号である。十桁の番号により生まれてから死に至るまで、この牛の一生が他の牛と区別され厳しく管理される。そして、私たちの食の安全が守られている。「若葉風」が、爽やか。特選句「胎衣壺の出土流域青めたり」。胎衣壺(えなつぼ)は、胞衣壺とも書く。胎衣(えな)とは産後の胎盤のこと。壺や杯などの土器にこれを収め、地中に埋めた。縄文時代中期頃から、胎盤は子供の分身と考えられており、大切に扱う風習が生まれた。「流域青めたり」の措辞が効果的で、私好みの一句となっている。

月野ぽぽな

特選句「夏ページ捲っても捲っても海」夏の海への思い、こうやって表現できるんですね。もう何が何でも絶対に夏は海なんでしょう。「夏ページ」と詩的な具象を得たことで、思いの強さが「捲っても捲っても」にて伝わり、それと同時に「海」の映像が広々と伝わってきました。「わたしは一冊の本、夏ページはどこをめくっても海ですよ」

島田 章平

特選句「とりるりる夏うぐいすや風わたる」。「とりるりる」の聞き倣しが美しい。

寺町志津子

特選句「思い出が押し寄せて来る夏帽子」作者は最愛の方を亡くされた方ではないでしょうか?最愛の方が生前、夏にはいつも被っておられ、今では形見となってしまった帽子。「思い出が押し寄せて来る」に、最愛の方のご存命中の笑顔、共にした事柄が次から次へと波のように押し寄せて、一層思慕の念を募らせておられる作者の故人への哀惜の念が切々と伝わってきました。特選句「行間を蜥蜴するりと乱歩かな(伏兎)」お見事です。かつて、江戸川乱歩の小説を句にする試みをしたことがあり、偶然にも、揚句と同じ「蜥蜴」をイメージしましたが、恥ずかしながら出来ませんでした。お陰さまでスッキリしました。

鈴木 幸江

特選句「ソーダ水思い込みです女です(藤川宏樹)」私はこの句から自分は女なのだと思い込んでいる人の姿をイメージした。“ソーダ水”の措辞にその時代の既成概念に流されそうなジェンダー問題への批判精神を見る。且つ、身体が女性であることに不可知な面があることまで伝わってくる。暗示力の強い句。

中野 佑海

特選句「男なら泣くな、男じゃない?冷奴」なら、しょうがないよね。そんな奴は食ってしまおう。けど腹の足しにも成らない。そんな奴は心柔らかくして出直して来い。特選句「春の昼うっかり落ちる瓶の底」そうなんです。昼寝をしていると何処かに落ちて行きそうで、足がパタパタ空を掻きます。あれは、甘い蜜の入った瓶だったのですね。いけませんよ、美味しいものを独り占めしては!並選句「種付け花午後は阿波座で待ち合わせ」良いですね!普段着から着物に着替え、昼からは難波で歌舞伎、吉本、高島屋。早く来い。「ジェラシーは妄想を生む蛍籠」嫉妬中は何でも悪い方に持っていけます。蛍籠のぽっぽつと、青白く光るのが、また、妄想を駆り立てます。うわー暗っ!「神様はとなりの木槿にいるらしい」そうなんですね。一度お会いしたいものです。「内向きの巡礼に出る合歓の花(山下一夫)」そんなに真剣にならないで、るろうに剣心には成らなくて良いよ。「ジャズ愉しゼリーかたまりゆく時間」ジャズを弾きながら先程作ったゼリーの出来上がりを待つなんて、最高のシチュエーション。「人間を剥がして緑雨の貌でいる」そんなに反省しないで。少しだけ雨を楽しんだら、戻っておいで。「織姫は銀河の戦士ミルフィーユ」ミルフィーユの様に幾つもの重なった次元の中に住まえる織姫。どうか銀河の平和のために皆を貴方の美味しさで包んでおくれ。「ソーダ水思い込みです女です」ソーダ水って少し経つとただの水。女も、思い込み一つで、女らしく見えたり男になったり。貴方はどちら?

佐孝 石画

特選句「時間だけ動いているよかたつむり」キラキラと光る筋。蝸牛が動いた跡が見えてくる。「時間だけ」動いていた、生きていた跡。この単純な発見は、自身(にんげん)と照らし合わせてみると、ささやかな驚きをもたらす。「にんげん」にそもそも動いた痕跡など残らず、それはいかに複雑で無駄な動き(思考も含めて)なのかと。悩み、悶え、日々を暮らす「にんげん」の軌跡に対し、この「かたつむり」のシンプルで美しい痕跡はなんだと。前に歩むだけの「かたつむり」に対する作者の刹那的憧憬が、「動いているよ」という溜息めいた呟きに重ねられていく。

田中 怜子

特選句「ほうほたる会津の姫のぽつと笑む」は田中雅秀さんへの追悼句でしょうか? 会津という地にホタルのようなつつましい灯が、なんともいえず素朴な優しさでお見送りしている感じがします。特選句「とりるりる夏うぐいすや風わたる」林にこだまする鶯の声が風にのってすがすがしい。擬音語が本当に鶯の声のようだ。

 
藤川 宏樹

特選句「時間だけ動いているよかたつむり」梅雨時のしっとりとした時間の動きを、不動の「かたつむり」をとおして実感できるようです。ほぐれてゆったりした気分になれました。

谷  孝江

特選句「ジャズ愉しゼリーかたまりゆく時間」とても素敵な時間です。そう言えば大分昔、プリン手作りしたことがあったっけ。二度、三度と指で突っついてプリンがかたまってゆくのを、たしかめたものです。ジャズを聞きながら、体中でたのしさを味わっていらっしゃるのですね。羨ましい時間です。「完璧はもはや罪です梅雨の蝶」も身に沁みます。どの句を特選、なんて私は罪です。どの句も佳句と思いながら選をさせてもらっています。来月もよろしく。

佐藤 仁美

特選句「とりるりる夏うぐいすや風わたる」。「とりるりる」がいいですね!春とは違う鳴き方で、夏を迎えている鶯の爽やかさが伝わってきました。特選句「行く先を決めかねてゐる青蛙」蛙が動かないでいるのを「行く先を決めかねている」という感じ方が素敵です。どの方向に行こうかと、迷っている青蛙。自分と重なります。

福井 明子

特選句「にんげんを剥がして緑雨の貌でいる」。「にんげん」を剥がし、なされるまま緑雨に立つ、本来あるべき回帰。切ないほどの回帰。特選句「春風のためいき一草また一草」 人のなりわい、自然のなりわい、この世界とは? いったい何処へ向かうのだろう。きりはてのない「問い」のなかで、まさぐるしかない摂理のイメージ。

矢野千代子

特選句「田植え終えぷっとい蛇が怖くない」。「ぷっとい」一語のとりこになっています。いつもお世話になり感謝、感謝です。一度お目にかかる機会があればと希っていますが、今は、まず無理でしょうね。御身大切にね。

滝澤 泰斗

特選句「ゆすらうめつまむ老ありゆらり老ゆ」俳句を嗜むが植物が遠い。今回もゆすらうめを学んだ。漢字で書くと山桜桃だという。ますます興味が湧いて様々に調べ、マイクロソフトビイングで写真を沢山みた。その上で句の鑑賞。ゆすら梅の可憐な赤い実をつまんでいる様の時間的な経過を老で表し、ゆすらとゆらりの調子にゆったりとした時間が流れて・・・魅了された。特選句「思い出が押し寄せて来る夏帽子」濃厚な思い出の品を一つ挙げよと言われれば、やはり、夏の帽子はベストスリーに入るのではないかと思う程定番中の定番だが、私もご多聞に漏れず。しかもそれは、父母と兄弟姉妹との小学校時代までの濃密な思い出に集約される。まさに押し寄せてくるとともに、寺山修司の「わが夏帽どこまでも転べども故郷」への連想につながった。「自粛禍の初夏の初球や百マイル」子規が泣いて喜びそうな一句。時速百マイル(時速160㎞)で一足飛びにアメリカ大リーグの、それも、大谷翔平に思いは飛ぶ。大谷は、いまや日本人のみならずアメリカ人や世界の野球ファンを魅了している。世界的なコロナ禍の中で、政治に全く期待を寄せられない世相の中、実に見事に鮮やかに、感動的に切り取った。うまい。「ワクチン予約迷走梁にまとわる蛇」普通の読みとしては、ワクチン接種の予約の混乱と行方不明のニシキヘビ騒動の対比と捉えるのだろうが、医薬のシンボルのアスクレピオンの杖にまとわりつく蛇までを連想させてくれた点が気に入った。「ラフマニノフかけてアジサイ着飾る家」何かとってもおしゃれで、粋で好感が持てました。気分の良い一句としていただきました。「日雷泰然自若兜太像(島田章平)」先生は何があってもこの句のような人だった。初めて、朝日俳壇の選をされている場所で金子先生を紹介されて以来、お亡くなりになるまで先生の態度というか生き様は一貫していた。「行間を蜥蜴するりと乱歩かな」江戸川乱歩の息子で心理学者の平井隆太郎先生の授業を聞く機会があり、それが切っ掛けで乱歩のミステリーを数冊読んだ。その中の一冊「黒蜥蜴」を思い出させてくれた一句。乱歩のミステリー感をうまく読んだ。

稲葉 千尋

特選句「梅雨晴間おのれの頭撫でる僧」僧の頭を撫でる姿が想像できて村の僧を思う。楽しい句。

伏   兎

特選句「籠いっぱいの青梅ちゅうぶらりんの平和」庭の梅を摘み、砂糖に漬けてシロップにするのが、私の梅仕事。むっちりとしたやや肌色の青梅を洗っていると、ひとときコロナ禍のことや、ミャンマーの悲劇が他人事のように思えてくる。そんな気持ちがこの句に込められ、惹かれた。特選句「公園に老人を干す夏の雲」家の中ばかりに居て、黴てしまいそうな身体を、まぶしい夏空の下で虫干しているのかも。飄々とした自虐風表現が、印象的。入選句「梅雨滂沱投句葉書のあばれ文字」葉書をはみだすほど強い癖の字と、激しい句調なのだろう。「梅雨滂沱」のことばが光を放っている。「白躑躅四時には四時の白になる」午後四時といえば疲労感の漂う頃。元気を失いつつ咲いている躑躅が人間のようで、面白い。

豊原 清明

特選句「兜太の骨ひろった人と梅雨に入る」本誌の「兜太祭」を読んでから、句に先生を登場させて、呼ぶように句作するのは良いことと思われた。この句には梅雨の杞憂を感じる。問題句「ワクチン予約迷走梁にまとわる蛇」ワクチンはなかなか下の世代に回ってこないのか。この句は現状への批判句と思う。

川崎千鶴子

特選句「ジェラシーは妄想を生む蛍籠(増田天志)」ジェラシーは多岐にわたって起こります。男女の情ばかりでは無く、社会的な物からも生まれます。ぽっぽっと心が動くのです。「蛍籠」が素晴らしいです。「涼風の胸を舳先としてすすむ」涼風へ気持ちよく体全体を晒して歩くのを「胸」と言う一点に限定した素晴らしさとそれを「舳先としてすすむ」が涼風感を一層引き立たせています。感嘆です。「夏芝へ放つふたりの単語帳」瑞々しい句です。二人だけの愛の単語帳を夏芝の上で交換している状況が見え、羨ましいです。

野澤 隆夫

特選句一句目『「あなたにはわからない」吹く風青し』絶叫したあとの爽やかさ!絶妙なバランスがいいです。二句目「とりるりる夏うぐいすや風わたる」何とも爽やかな句です。とりるりるのハミングが良い響きです。

夏谷 胡桃

特選句「行間を蜥蜴するりと乱歩かな」否応なく『黒蜥蜴』が思い出されて、また読みたくなってAmazonでダウンロードしてしまいました。「するりと」がエロチックでいいのかも。

大西 健司

特選句「織姫は銀河の戦士ミルフィーユ」いまや織姫もゲームのキャラクターとして存在しているのだろう。私はそう捉えた。

小山やす子

特選句「胎衣壺の出土流域青めたり」胎衣壺と言う言葉を初めて知りました。表現も言葉も新鮮に響きました。

伊藤  幸

特選句「梅雨滂沱投句葉書のあばれ文字」自粛自粛と全てがままならぬ毎日、せめ文字だけでも暴れてみたいという心境が伝わって来るようだ。特選句「吾が毒をゆるゆる梳いて髪洗う」人間の中にはあらゆる毒が潜んでいる。作者はその毒を愛おしむかのように梳いているのだ。そうしてそのほんの一部分を洗い流す。中語ゆるゆる梳いての措辞が絶妙。

男波 弘志

「 早苗田に銀河落ちゆく声甘し」甘し、で銀河の総体を現している。母性の銀河だろう。「吊革に中指つかむ西日かな」中指が不思議なエロスを現している。どこも疲れていない西日中。「田植え終えぶっとい蛇がこわくない」自然を畏れているからこそ、蛇がこわくないのだ。田んぼの水は蛇が漣をたてるためにあるのだろう。

増田 暁子

特選句「蚕豆の莢のふわふわ家族って何」蚕豆の莢の中は家族のよう、でも家族とは、作者と読み手の疑問。特選句「吾が毒をゆるゆる梳いて髪洗う」全体に昭和のムードが漂い色香もありますね。大好きです。「早苗田に銀河落ちゆく声甘し」情景がよく見えます。声甘しが良いですね。「夏ページ捲っても捲っても海」海の様子が中7の繰り返しでよく判ります。「海市かな溺れる自分見つめてる」自分の内面を俯瞰して見ているのが上手いですね。「緑陰は海の青さに呼応する」海と緑陰が呼応していると見つけた作者の感性が素晴らしいです。「ふきのたう惚けて午後の予定なし」午後の予定なし、が状況を理解できて面白いです。「過去は幻にあらず鬼灯市」中7の言葉に同感です。過去は現実と呼応しています。「古書街の灯りて宵宮匂うなり」句全体に漂う灯りは懐かしく、匂いも漂います。「戦いは外にありけり玉子焼」本当は戦いは外ではなく内にあると、作者は考えているのでしょう。

飯土井志乃

特選句「にんげんを剥がして緑雨の貌でいる」隣人にそ知らぬ顔で居られたら怖いなぁ。自分がそうなら、ちょっと楽かも?ただ命尽きる時、究極の後悔と孤独が待っている気がするのです。

竹本  仰

特選句「蒼い夏のからだ包み合ううつぼ」うつぼを取り上げ、なおかつ「包み合う」と、その不気味さを自身と重ね合わせていることに面白さを感じました。しかも、「蒼い夏のからだ」と、肉体をテーマとして正面でとらえようとしていることに共感しました。兜太師も〈冬眠の蝮のほかは寝息なし〉自身で感じた生命の不気味さと神秘を表していたように。しかし、「包み合う」というのはあくまでその内に秘めた獰猛を抑えかね、なおそれと闘って一生を明け暮れるという宿命がついているようで、そのあたりの悲しみもまた感じさせられますね。特選句「初夏の水の形の絵本開け」水の形は無いんだろうけれど、方円の器にしたがうともいい、受け入れるウツワによってどんなにも形を変えられる変幻自在のものでしょう。そういう変幻自在のいのちのありかを確かめるために、私たちは過去、もっとも感性するどき時代に絵本を開いたわけで、実は絵本を開けること自体が、自分といういのちのウツワとの闘いであったのでしょう。という見方をしたのですが、いま一つは、これから新たな絵本との出会いを求める、そんな命を感じる期待感という未来形でも読めます。この辺の自在さを大いに感じました。特選句「夏芝に放つふたりの単語帳」単語帳といいますが、あの輪っかで束ねた単語カードの集積のことでしょうね。あのどこにでも売っている市販のものでも全部満たすにはほんとに時間がかかります。ここではお互いにテストし合おうという目的で必死に書きなぐったものではないでしょうか。これでもか、これでもかと、芝生の上でバトルしているんでしょう。何というか、青春の無償性というのをくすぐるものがあります。或る演劇家の先生が、学生たちに演劇を教えるとき口ぐせで、若さはバカさだ(だから、何でもやってみろ)、というらしいのですが、まさにそれだなと。そして、この二人のやり取りの真意はひそかで真剣な友情であろうかと思い、なおさらくすぐられてしまうところがあります。

みなさん、いつも、ありがとうございます。新鮮な多くの句にめぐりあえ、これを幸せと言わずして…と思いました。本当に贅沢してる、バチがあたるなあと思います。 

柴田 清子

特選句「葉桜の中で鳩笛もらいけり」読み終わった瞬間、爽やかな鳩笛が聞こえて来ます。それは、葉桜に包みこまれている爽やかな自然体の作者がいるから。特選句「男なら泣くな、男じゃない? 冷奴」六月の一三七句の中で、一番勢いのある申し分のない凄い切れのある句ですね! 

吉田 和恵

特選句「涼風の胸を舳先としてすすむ(月野ぽぽな)」シャープな感覚に好感を持ちました。問題句「烏瓜の花のほどけて白き夜」ちょっと危い感じしますが白い夜のイメージがもう一つ浮びません。

銀   次

今月の誤読●「吾が毒をゆるゆる梳いて髪洗う」。節子は髪を梳いている。彼女の髪は硬くて量も多い。だから櫛の通りがいまいち悪く、ときどき引っかかる。そのたびに節子は小さな苛立ちを感じる。いっそ短髪にしようかと思うが、結婚前いまの夫が「夫婦になっても髪を切らないで」と言ったので、長いままにしている。無邪気な約束事だが、いまの節子にそのときのような夫への愛はない。そんなものはとうの昔に色あせた。夫も同様、会社の女子社員と浮気しているのを隠そうともしない。嫉妬。まあね。あるにはあるが、それは夫と小娘との関係に対するものではなく、相手の若さへの妬みだ。憎しみ、痛み、自分に対する哀れみ。髪を洗う時間は退屈だ。その退屈のスキをぬっていろんな感情が行ったり来たりする。この髪さえ切れたら、どんなにせいせいすることか。だがその決意をした先には多くのしがらみが待っているだろう。それを思うと躊躇がある。節子は洗面台を離れ、冷蔵庫のドアを開けた。紙パックのオレンジジュースを取り出し、そのままグイと飲んだ。饐えたような味がした。おえっ。

桂  凜火

特選句「ジャズ愉しゼリーかたまりゆく時間」季語としてのゼリーが新鮮です。またゼリーの質感とジャズ愉しはほどよくマッチしていてオシャレですね。特選句「にんげんを剥がして緑雨の貌でいる」ぎょっとさせるところがうまい。緑雨の貌もあまり具体的でなく、でも質感はつたわるのでいいなと思います。

すずき穂波

特選句「老人が点滅している緑の夜」唐突ですが、ロシアのゴルバチョフ氏、現在90歳が語るNHKの番組を観た直後に、この句を特選と決めました。老いゆく詩人の心の呟き、緑夜に人知れず ぽっぽっ ぽっぽっと点滅している。誰しも、生きて来たということはそれだけで偉大で、そしてとっても詩的(生命体自身が詩?)なんだってことに気がつきました。気がついたから「点滅」しているのでしょう。本物の声が聴こえてくる句でした。

河田 清峰

特選句「長虫の屍朝日の届きをり(亀山祐美子)」蛇と言わず長虫というやさしい言葉が屍に伝わってくるようである。そのうえ届く朝日がいいと思う。

森本由美子

特選句「ゆすらうめつまむ老ありゆらり老ゆ」老いゆくことへのしっとりとした情感がゆるやかなメロデイのように奏でられている。

植松 まめ

特選句「無月なる皆既月食 多即一」「一言が明日を照らす沙羅双樹」難しい解釈はできませんが今月も好きな句を選びました。

田口  浩

特選句「紫陽花にまだ産道の湿りあり」あじさいは、たっぷり水を貯えた植物である。その紫陽花の前に立ったとき、身の内に湿りがあることを感じる艶は喜ばしい。句は「紫陽花に」で切って「産道の湿りあり」と自身の身を前面に押し出す読みだが、一句はまぎれもなく女人の世界を愉しんでいよう。「老人が点滅している緑の夜」私くらいの年齢で、揚句のような作品に出会うとうれしくてたまらない。「緑の夜」に自分の好きな色で点滅する。何と優雅な時間だろう。銀河と交信してもよい、そして最後は線香花火のように消える。「緑の夜」が決まっている。「古書街の灯りて宵宮匂うなり」。「古書街」「宵宮」がいい。「匂うなり」はいいすぎかも知れないが、私の昭和にはなくてはならない匂いです。じーんとします。「吾が毒をゆるゆる梳いて髪洗う」。「ゆるゆる梳いて」には作者の内面に迷いのようなものがある。「ゆとり」でも「さばさば」とも違う。毒を梳き落すのに「考え考え」と言うところがある。毒のおいしいところを「ゆるゆる」梳き流すには相当な決心もいることだろう。この作品、「紫陽花に」の句と、どちらを特選にしようかと迷った俳句でした。「中指はながいゆびです月蝕よ」長い中指の使い途も、考えて見ればいろいろある。詩や童謡なもある。で俳人はどう使う。中指の先に月蝕を乗せてクルクル廻して得意がるのもいいし、中指で月蝕を突くのも、俳句仙人の時間潰しにはなるだろう。

三枝みずほ

特選句「田植え終えぶっとい蛇が怖くない」田の中に手足が吸い込まれるような感覚、自身が田と一体化したとき、蛇という生き物をそう意識することもなくなるだろう。「蚕豆の莢のふわふわ家族って何」莢のふわふわは無条件に家族に守られていたときのことを思い出す。今はどうか。家族への葛藤が見える。

高木 水志

特選句「にんげんを剥がして緑雨の貌でいる」緑の季節に降る雨のように、どこか明るく、命の喜びを感じる。貌の漢字を選んだことで、生き物としての自分に戻っている作者の姿が見える。

新野 祐子

特選句「ほうほたる会津の姫のぽつと笑む」。「海原」六月号の訃報欄に田中雅秀さんのお名前がありました。初めて参加した2017年の全国大会時に一瞬お見かけしただけで私は全く存じあげませんが、まだまだお若く痛ましいことです。この句は田中さんへの追悼句ではないでしょうか。作者のやさしい心が伝わってきました。

荒井まり子

特選句「畝高く父のじゃがたらいもの花」お父様に対する感謝の深い思い。じゃがたらいもがいい。

十河 宣洋

特選句「夏ページ捲っても捲っても海」山で生れ山で育った私には夏の海辺の生活が羨ましく思う。捲っても捲ってもに広々とした海を感じる。特選句「涼風の胸を舳先としてすすむ」涼しい風が心地よく全身を包んでいるのを上手く表現した。颯爽と歩いている人が見える。

榎本 祐子

特選句「のっぺらぼうつくづくと死ぬ青蛙」死を相対的に捉えていて、その距離感が良い。「のっぺらぼう」、「つくづくと」も、その視点として的確だと思う。

山本 弥生

特選句「ふきのたう惚けて午後の予定なし」ふきのたうの地上に出た香りも良しお味噌汁に入れて味わう良き時期に誰も採らず惚けてしまった。自分も長いコロナ自粛で少し惚けたような日常生活に今日もカレンダーには午後に何の予定も記されていない。少し寂しい気持がよく出ている。

漆原 義典

特選句「田植え終えぶっとい蛇が怖くない」讃岐平野も田植えがほぼ終わり、若苗が植えられた田んぼが元気を与えてくれています。ぷっとい蛇が怖くないの表現が面白いです。楽しい句をありがとうございました。

野口思づゑ

特選句「ゆすらうめつまむ老ありゆらり老ゆ」。「老」の漢字以外はひらがなで、「ゆ」の字が効果的に使われゆったりと老いてゆくその方は美しく老いを迎えているに違いありません。見た目にも、耳にも優しい句です。特選句「蚕豆の莢のふわふわ家族って何」蚕豆の莢は、中の豆を守るためあんなにふわふわなしているのか。家族を守っている自分を蚕豆の莢に重ねているとも受け取ることができ、面白い句だと感じました。

松岡 早苗

特選句「にんげんを剥がして緑雨の貌でいる」インパクトのある言葉に一瞬で引きつけられました。現代のわずらわしい日常から逃れて、みずみずしい緑雨に打たれてみたい。文明を手にする前のヒトという生き物にかえって、緑雨の中をどこまでもどこまでも、ずぶ濡れで歩いてみたい。特選句「蚕豆の莢のふわふわ家族って何」下五への急展開が魅力的。親離れを始めた思春期の子どもたちの姿を想起させられました。蚕豆の莢の中のふわふわのクッションに並んだかわいい豆たち。いつものように蚕豆を剥いていると、中二の子どもが、突然「家族って何」??ちょっと待ってよ。何かあったの?悩みでもあるの?不意打ちの問いに面食らう。そしてはっとする。そうかあなたはもう大人への一歩を踏み出そうとしているのね。しんどいこともあるだろうけど、おめでとう。「ほんと、家族って何だろうねぇ」

河野 志保

特選句「紫陽花にまだ産道の湿りあり」産道というどこか神秘的な場所と紫陽花の謎めいた美しさが響き合う。発想がとても新鮮で不思議な魅力の句。

佐藤 稚鬼

特選句「麦秋や会うほど静かに歳重ね」。「麦秋」を穀物の熟す時期ととらえ、言葉数が少ないことが晩年の人生の風格を感じます。

山下 一夫

特選句「早苗田に銀河落ちゆく声甘し」歴史的に日本人に身近な「田」だが、昨今では自然豊かな土地や大自然という含みがより強くなっているか。それを背景に中七の斡旋が嵌っている。大きくかつロマンチックな情景に下五が呼応して見事にまとまっている。甘い声の主は、情景を共に目にしている恋人(女性)など具体的人物でもよいが、地上と天上の相聞という感じでもある。特選句「ジャズ愉しゼリーかたまりゆく時間」ジャズが愉しいというのは奏者もあり得るが大方は聴く立場であろう。好んで聞く方ではないが、ジャズ喫茶店の薄暗がりや夜更けとかのくつろぎの刻を連想する。その中で次第に心がほどけてじんわりと湧いてくる悦びが中七以下の比喩かと思われ巧み。問題句「難しい話は苦手ミジンコ飼う」。「ミジンコ」は水中でそれなりに活発に動き回る生物(何と微小な甲殻類であるらしい。)であることから何となく春や夏の季語か思ってしまうが季語ではないようである。ただし相応のインパクトはある。ネット検索では「ミジンコ 飼育」が推奨キーワードで出てくるが、大方はメダカの餌としての増殖が目的である。しかしジャズ奏者の坂田明のように真面目に飼育する人もいる。その題の演奏を視聴したことがある。その関係の著書もある。サックスも文章もものすごい拘りで雄弁で句とは逆である。一句はそのような連想喚起力が強く、楽しませていただいた。「ワガママな完熟トマト更年期」女性の更年期のことは傍目にしか知らないがそういう実感なのかと思わされる。しかしどういう実感なのであろうか。「男なら泣くな、男じゃない? 冷奴」冷奴のとぼけが効いているがLGBT絡みとすれば危ないか。「蝶へむかって道が立ち上がる初夏」表記に工夫の余地があるだろうがイメージが魅力的。

田中アパート

特選句「姉晶子妻の名朋子薔薇の雨」名前だけで俳句ができるなんて!特選句「畝高く父のじゃがたらいもの花」なんといい気分にさせてくれる俳句は人でしょう。

藤田 乙女

特選句「蝶へむかって道が立ちあがる初夏」。「蝶へむかって道が立ち上がる」という表現に圧倒されました。初夏の自然の存在感と命の鼓動が伝わってくるようです。特選句「夏芝へ放つふたりの単語帳」若い二人の爽やかな会話まで聞こえてくるようです。青春の頃はやっぱりいいですね。

野田 信章

特選句「籠いっぱいの青梅ちゅうぶらりんの平和」は季節の区切目をなす青梅の収穫の充実感が支えとなっている一句として読んだ。この確かさが「ちゅうぶらりんの平和」かと身辺を世相をと見廻す他ないこの現実感との対峙をも可能にしてくれるところがある。硬直しやすい主題を柔らかに伝えてくれるのは定型感覚のある口語発想であろう。手法的には二物配合による暗示の手応えが身内にじわじわと作用してくる。従前の直截的な社会性俳句の域を越えて展開する余地もこのあたりに在ると示唆してくれるものがある。

菅原 春み

特選句「神様はとなりの木槿にいるらしい」鮮度のいい面白い句。となりの木槿が眼目か。特選句「初夏の水の形の絵本開け」水の形の絵本は初夏にふさわしく、思わず開けたくなる。季語ともつきすぎくらいに合うが、それ以上にみずみずしい。

稲   暁

特選句「ジャズ愉しゼリーかたまりゆく時間」ジャズとゼリー、照応しているようなしていないような。危うい楽しさを持つ作品。問題句「思い出が押し寄せて来る夏帽子」明快で抒情性豊かな作品だが、少し甘すぎるような気もする。私がひねくれているのかも知れない。

兵頭 薔薇

特選句「老人が点滅している緑の夜」深夜3時頃、私はよく近くのポストまであるきます。横断歩道の信号が、ある夜は赤、ある夜は青が点滅していたりして…。この句の中の老人はわたしかな…不思議な感覚に統べられます…点滅しているのは私でしたか…。ダブルイメージで危機感も迫ります。 

 躊躇いながら生まれて初めて投句とやらさせていただきます。土佐は窪川町(現四万十町) 生まれ。学ばせていただきたくどうぞ宜しくお願いいたします。→ こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます。

高橋美弥子

特選句「とりるりる夏うぐいすや風渡る」とりるりるのオノマトペが楽しい。下五風渡るで景がよく見える句になった。問題句「公園に老人を干す夏の雲」中七が衝撃的。季語の選択を変えると面白い句になりそう。

亀山祐美子

特選句「白躑躅四時には四時の白になる」。「四時」という時間設定と「白躑躅」「四時の白」の繰り返しに穏やかな風景しか見えないはずがそこはかとない恐さを孕み不気味です。『白=清楚・清純=死』『四時=空白=虚しさ=死』コロナ禍の不安感が「白」と「四時」に凝縮されているようでとても息苦しく恐ろしい俳句だと思いました。皆様の句評楽しみにいたしております。

高橋 晴子

特選句「うすれゆく虹よ空海きつとくる(野﨑憲子)」我々の時代にあらわれたこの疫病。本当に誰も思いがけなかっただろうが改めて歴史の中にいる人達は、どうやってのり越えてきたのだろうか、東大寺の大仏をはじめこのコロナ禍にも何か新しい生き方、文明を期待しつつ、満濃池修復の時、お経をあげ続けた空海を思い、この時代にも空海はきっと祈り続けてくれるだろう。うすれゆく虹に、期待と祈りを感じる。

中村 セミ

特選句「六月の右脳の襞がへばりつく」六月の初夏の暑さと共に体中が湿度(汗)を持ちへばりつくようになる。と共に右脳の襞も(が)へばりつくくらい暑さ、コロナ禍のストレス、あらゆるもの(思考)がどこかへばりついたまま止ったかのようだ、と読んだ。

松本美智子

特選句「老人が点滅している緑の夜」どんな意味なのか・・・考えれば考えるほど不思議な句です。緑生い茂る夜に蛍のように点滅しているのでしょうか・・・・毎回,あまりこんな俳句は選ばないのですが・・・今月はどうしてもこの句が気になって選ばせていただきました。

石井 はな

特選句「神様はとなりの木槿にいるらしい」そんな身近に神様はいらしたんですね。ずっと遠い存在だと思っていたけど、何だか嬉しい話です。

三好三香穂

「烏瓜の花のほどけて白き夜」レース編みのような美しい花の様子がよくわかる。「ワガママな完熟トマト更年期」そのまま、かつての私のようです。「公園に老人を干す夏の雲」老人を干す…という表現が面白い。「のォのォと讃岐弁聞く麦の秋」讃岐人として共感できる、讃岐の風景です。

野﨑 憲子

特選句「種漬け花午後は阿波座(あわざ)で待ち合わせ」阿波座と言う地名に魅かれる。農作業をしているのだろうか、昼からは大阪に出かける心躍り、何気ない日常を見事に表現している。特選句「蝶へむかって道が立ちあがる初夏」破調であるが十七音。敢えて口語で表現している。着地の<初夏>が眩しいほどに決まっている。  

自句自解「ほうほたる会津の姫のぽつと笑む」昨年末、「海原」の仲間である田中雅秀さんから句集『再来年の約束』を頂いた。帯の表に「ほうほたる弱い私を覚えてて」の句。裏には、雅秀さんの写真があった。最近、彼女が十年来の宿痾で四月二十八日に他界されたことを知った。雅秀さんは会津で高校の先生をしながらご実家のホテルを手伝っていた。吟行の折に二度ホテルでお世話になった。おもてなしもお食事も素晴らしく、三度目の訪問を願っていた。笑顔がとても可愛くて、どこか高貴な雰囲気があった雅秀さんへの追悼の一句。享年五十七歳。雅秀さんの句集『再来年の約束』自選十句を紹介させて頂きます。

桐の花本音はいつまでも言えず

タイミングが合わない回転ドアと夏

夏野かな何もしないという理想

ファルセットここからはもう雪の域

乗り継いでナウマン象に会う春野

初蝶にもうなっている遺稿かな

海亀は岸に寄りけり赤児泣く

麦の秋青いザリガニ胸に飼い

紅葉かつ散る乾電池切れるまで

白鳥の声する真夜のココアかな

    合掌

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

煙突の町ゆらゆらと蟻の列
三枝みずほ
蟻のごと働いて働いて一つの死
三好三香穂
十あまり七の野風や蟻の道
野﨑 憲子
聖火
東京に無煙の聖火ねじり花
藤川 宏樹
とくとくの清水しづかに聖火かな
野﨑 憲子
まっさらなコンクリートをゆく聖火
銀   次
バナナ
黒斑の多きバナナや晩夏光
三好三香穂
だいすきなバナナと玉子昭和みな
藤川 宏樹
夏至
夏至の月ウエブサイトに魚眠る
野﨑 憲子
夏至の日の白き鯨を追いかける
三枝みずほ
選手権と違うや夏至の接種券
藤川 宏樹
自由題
梅雨晴れ間ヨットの帆数二十四なり
三好三香穂
夕立の中に今でも十九の娘
野﨑 憲子
あえて苦い水飲む螢いて
銀   次
夏の夜のコンビニ兎・猿・蛙
三枝みずほ

【通信欄】&【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、今月も生の句会が開けて幸いでした。事前投句にも新たな参加者があり、ますます句座が多様性を増し面白くなってまいりました。ご参加各位のお陰様です。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

2021年5月30日 (日)

第117回「海程香川」句会(2021.05.15)

紫陽花イラスト.png

事前投句参加者の一句

鳥雲に身の透けるまで大樹抱く 増田 天志
句読点どこに打とうか昭和の日 谷  孝江
瞬けば星になりますきんぽうげ 吉田 和恵
母の日や生き延びてきて水晶体 若森 京子
アマリリスわたし夕陽を飲みました 三好三香穂
まくなぎやtattooの腕が抱く赤子 高橋美弥子
野にあそぶ蝶に影あり夜があり 飯土井志乃
終わるとき音はいらないチューリップ 河野 志保
第七ヘアピン抜けるヒュッテの風青し 河田 清峰
もしツバメ翔ぶことを愛とするならば 竹本  仰
マスクの人見下ろすマスクの街立夏 野田 信章
卯波かな南洋航路墓碑の島 田中 怜子
狂おしく揺れる森なり桜桃忌 石井 はな
おもいきり泣いてしまえたら山東菜 久保 智恵
大口の煮付けの魚おぼろ月 亀山祐美子
スナフキンの影に名もなき若葉かな 高木 水志
一つある鱗にさわるときさくら 男波 弘志
立哨の十字路十字に朝燕 松本美智子
どこまで歩けば陽炎になれるだろう 月野ぽぽな
春夕焼鬼籍の友の点呼取る 山本 弥生
前衛書飛び散る墨精卯浪かな 漆原 義典
紫木蓮 女の恋の色をして 小宮 豊和
やわらかきふる里訛り風薫る 寺町志津子
うっせぇわ いなおっている冷奴 島田 章平
暮れ残る屋島たね爺夏ですよ 松本 勇二
通うたび薔薇の香となる珈琲館 中野 佑海
妖女棲む茶碗の色のほろり割れ 中村 セミ
金魚の屍あがりがまちの薄埃 小西 瞬夏
春めくや雨滴のリングと鯉の口 佐藤 稚鬼
疲労ってこんなに黒い上り梁 豊原 清明
人は陽炎あめいろの石抱きしめて 桂  凜火
どこまでが海市だったか海馬だったか 伏   兎
春昼の法務局にて印紙買ふ 野澤 隆夫
走り根脈脈北斎の大蛸 川崎千鶴子
軟弱なワルツが好きだ憲法記念日 滝澤 泰斗
短調で啼く鳥のあり夏霞 森本由美子
卯の花腐しあいつのロックは最高だった 伊藤  幸
握る手を開いてみせて舞う桜 田中アパート
トリケラトプスまだかまだかと子供の日 佐藤 仁美
蛇穴を出でて私は風呂を炊く 小山やす子
蟻の足凄い速さで乱れるよ 葛城 広光
夏空や思いどおりにならない死 田口  浩
春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌 増田 暁子
夕焼け電車ときどきバッタになる人と 重松 敬子
スキャンダル女優の食むや夏みかん 銀   次
青嵐吹き荒ぶ日よ犬逝きぬ 植松 まめ
春寒し靴が合わないような日々 夏谷 胡桃
緊急事態選りに選り聖五月 野口思づゑ
伯母たちに囲まれて母藤の花 山下 一夫
口鼻をおおひたれども目や立夏 福井 明子
右眼から壊れていくよ花水木 榎本 祐子
花散るやサンチョ・パンサの肩に背に 稲   暁
夏シャツの鉤裂き自由からの逃走 新野 祐子
象が来てキリンがピアノ弾く朱夏 柴田 清子
黄砂降る洗面台に父の輪郭 佐孝 石画
くちなはの這ふごと包丁研いでをり 三枝みずほ
西陣の機屋竹の皮を脱ぐ 荒井まり子
藤咲いて念写空海の眼が光る 高橋 晴子
言の葉の溢れる予感柿若葉 藤田 乙女
躑躅に蹴躓く栄達せし凡夫 藤川 宏樹
三本指立てて五月のミャンマーよ 稲葉 千尋
いかなご干す老婆問われただけ応え 津田 将也
佐保姫の音叉で合わすギターかな 十河 宣洋
ラフマニノフに逃れ緑蔭に溺れ すずき穂波
散骨は太平洋へ春の虹 菅原 春み
チューリップ昔「斬首」のあった村 吉田亜紀子
鶏抱いて五月の少女眉あげぬ 大西 健司
早苗田にぼちゃんと朝日遊ばんか 鈴木 幸江
手鏡に水の匂ひの緑夜かな 松岡 早苗
喜べることいっぱいあるよ黄金虫 野﨑 憲子

句会の窓

                                                              
若森 京子

特選句「春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」この句を見てすぐにたねを氏の‶牛の舌生(なま)の観念巻き込んだ‶を思い出した。巻き込んだものが「春の鬱」と「生(なま)の観念」の違いであるが‶牛の舌〟で始まる前者の迫力の方に臨場感がある。懐かしい気持ちで頂いた。特選句「口鼻をおおひたれども目や立夏」現在は口と鼻をマスクで覆われ目だけで景色、季節の移ろいを感じている。それをストレートに気持よく書き切っている。

十河 宣洋

特選句「どこまでが海市だったか海馬だったか」脳の海馬の調子がおかしいのか、蜃気楼なのかという言葉遊びの様子が面白い。その境界がはっきりしないのが人生である。特選句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」しかけが見えていてどうしようかと思ったが、現代の風景のひとつかと思いながら取った。上司に米つきバッタの様にお辞儀をしている人を見かけるが私はあまり好きでない。問題句「夏みかん酸っぱし いまさらしづ子など(島田章平)」作者の意図するところは分かるが、いまさらがしづ子を蔑視しているようで気になります。

大西 健司

特選句「暮れ残る屋島たね爺夏ですよ」 夏ですよ  この下五の呼びかけに敬愛の情が溢れている。問題句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」おもしろいと思いつつ あえて問題句に。

小西 瞬夏

特選句「鳥雲に身の透けるまで大樹抱く」樹と一体となり、空を飛ぶ鳥ともつながってゆくようなアニミズムの世界。

桂  凜火

特選句「苔の花森がまるごと発酵する(夏谷胡桃)」苔の花のみっしりした感じがよく表現されていると思いました 八ヶ岳の唐沢鉱泉のあたりをおもいだしました。特選句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」こんな変な人とゆくのは面白いかと思いました 夕焼け電車の設定がいいですね。

豊原 清明

特選句「まくなぎやtattooの腕が抱く赤子」街で、バスで、電車で、よく見かけるタトウーの若者たち。タトウーをローマ字で書くのが今風か。刺青では、合わないのか。実は僕も時たま、掌にボールペンタトウーする。消したが、皺になってしまった。問題句「ブラックに黄金週コロナ禍人災(野口思づゑ)」今はよくわからない時代なので、今を詠む時、この句のように「ブラックに」で通用する。正しく面白そうな。

中野 佑海

特選句「三密の表面張力花は葉に(伊藤 幸)」楽しい人達と一緒にいるだけで、お互い作用しあって、素敵な時と場を作っていけるのに。三密を回避してから、だんだん時間が色褪せていく気がする。知らない内に、花は葉になってしまった。特選句「人は陽炎あめいろの石抱きしめて」コロナ禍で、人は陽炎の様にこの世で出来ることが少なくなり、思いがあめ色の石となる。出来ない思いだけがフラフラと歩きだす。並選句「瞬けば星になりますきんぽうげ」ウインクをしたらサマンサタバサのごとく星になれたら良いよね。「母の日や生き延びてきて水晶体」母は親、夫、子そして、その時々の相手にまるで目の中の水晶体の様に合わせて、七変化。「大口の煮付けの魚おぼろ月」大口を開けているのは私です。魚の煮付け最高。春は鰆最高。「疲労ってこんなに黒い上り梁」本当パソコン肩凝るわ。肩が太い梁の様に凝って、ごりごり。「どなたかな屈託なき顔爺の春」良いよね。家の近所の爺はゆらゆら畑仕事して、いつもニコニコ。気軽に話しかけてきます。「西陣の機屋竹の皮を脱ぐ」そうなんです。実は機を操っているのは鶴ではありません。竹の中の女の子だったんです。「躑躅に蹴躓く栄達せし凡夫」定年を迎えたのに、まだ、在職中の名刺持っているのはだあれ。頭の蠅と足元の生け垣にご注意あれ。「いかなご干す老婆問われただけ応え」さっきの爺の奥さんは無口です。必要最小限しか喋りません。以上。宜しくお願いします。

佐孝 石画

「どこまで歩けば陽炎になれるだろう」好きな幻想だが「なれるだろう」でよかったのか。「なるのだろう」の世界もあるのではなかろうか。陽炎になる希望をもって「どこまで」も歩むより、途方にくれながら、あきらめながら、とぼとぼと行くあてもなく歩くうちに、いつしか陽炎に「なる」幻想の方がグッとくるかもしれない。「人は陽炎あめいろの石抱いて」こちらも陽炎の句。出だしの「人は」という限定・断定は読み手を身構えさせてしまう危険があるかもしれない。「陽炎に人」くらいのソフトランディングにするか、いっそのこと「人」を外しても成り立つ世界かもしれない。もしそのままにするなら下五をあえて「石を抱いて」と字余りにすることで、上句の強い「は」と下の「を」相殺させる形にするとバランスが取れるかもしれない。音感も案外、字余りにした方が良い

小山やす子

特選句「三密の表面張力 花は葉に」季語が凄く効いていると思います。

伊藤  幸

特選句「まくなぎやtattooの腕が抱く赤子」先月「うつ病の少女の腕に薔薇の刺青(タトゥー)」と「海原」に拙句を投句しましたが、数段ポジティブなこの掲句を病と闘う少女に読ませたいと思います。アルファベットの文字も効いています。特選句「夫の寝息余生至福の新茶飲む(山本弥生)」年輪を重ねた穏やかな夫婦のワンシーンが昭和の映画を観ているようでコロナウイルス等別世界の出来事のようです。

伏   兎

特選句「蟻の足凄い速さで乱れるよ」 ふだん、せっせと餌を探し、巣に運んでいる蟻だが、異変が起きたときの慌てふためく様子は凄まじい。まるで、変異ウイルスにおののく私たちを見るようで、共鳴。特選句「さぬき野や雷の眼の赤ん坊(野﨑憲子)」一読して讃岐で生まれた空海、あるいは平賀源内のことを詠んでいるのでは、と思った。世の中を変える人物の誕生ってこんな感じなのかも知れない。入選句「一つある鱗にさわるときさくら」優しい心を持ちながら、それを決して表に出さない人のことだろうか。今回もっとも惹かれた心象句。入選句「右目から壊れていくよ花水木」頼りにしてた体のパーツが知らず知らずのうちに錆びていく淋しさが、しみじみ伝わってくる。

田中 怜子

特選句「暮れ残る屋島たねを爺夏ですよ」たねおさんですね。 夕方の影となった屋島を見ながら夏ですよ と語りかけるその優しさと慕情ですかね。彼も幸せですね。このように慕われて。特選句「三本指立てて五月のミャンマーよ」さらりとミャンマーの状況を描いていますが、忘れてはいけないですね。今、世界は恐ろしいです。

野田 信章

特選句「春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」の「春の鬱」には人間さまの「むすぼれる」「気がふさぐ」などの気分と同時に、いやそれ以上に反芻動物の牛の舌の活写を通して草木の青々と茂るさまや、そこにこもる熱気や雲気をも伝える語気がある。そこに「春愁」「春思」などの句の情趣の域を抜けた春の爽快さがある。特選句「黄砂降る洗面台に父の輪郭」は「黄砂降る」という大景の中で、彼方の山容を見定めるように映像として、洗面台に向かう父の輪郭―そのうしろ姿を捉えたところが印象的な追慕の句として読めた。

榎本 祐子

特選句「鶏抱いて五月の少女眉あげぬ」。「鶏を抱いて」に野趣を感じる。少女の姿が5月の風景の中で鮮明。

滝澤 泰斗

特選句「夏シャツの鉤裂き自由からの逃走」今から50年前、ゼミの演習課題で指定された一冊がエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」。要は、ナチズムに当時の中流以下のドイツ人が従属していった現象からの考察だったが、二十歳の自分にはかなり難解だった記憶がある。そして、この一句。その書の名まえが織り込まれた一句に驚きながら、上の句の夏シャツの鉤裂きにフィットしているところに共鳴した。特選句「ラフマニノフに逃れ緑蔭に溺れ」ラフマニノフと言えば、ピアノコンチェルト2番を思い出しながら・・・日常の憂さから逃れでもするように聞き入る作者・・・そして、外に目をやれば、美しい新緑が深い陰を作る。激しいピアノの旋律にこころは現実からどんどん乖離してゆきいつしか心は緑陰に沈んでいる・・・破調ながら気分のいい景色に誘われた。「卯波かな南洋航路墓碑の島」「前衛書飛び散る墨精卯浪かな」「黒蝶の羽重き午後 卯月波(飯土井志乃)」卯波の句が三句揃った。いずれも、卯波が俳句を引き締めた。「夏怒涛折れた大樹に届きけり(石井はな)」屋久島のような海から急激にせりあがった島の大木と怒涛の波に思いが及んで共感。「象が来てキリンがピアノ弾く朱夏」朱夏の季語と動物たちの競演がうまく響き合っている前衛性に感心。「メーデーも古語か憲法記念の日(野澤隆夫)」欧米の労働組合は自分たちの権利意識が強いが故にしっかりした運動としての組合活動が活きているように見える。その意味で「連合」会長の保守に寄り添う姿勢のせいなのか、年々、メーデーに象徴される労働組合の動きの鈍さが気になるとことは作者と一致している。そして、5月3日の憲法の危うさにも言及している点に共鳴した。

すずき穂波

特選句「蛇穴を出でて私は風呂を炊く」この風呂は外に焚き口のある、火吹き竹など使った、いにしえの風呂であって欲しいです。意志の < 自律 > としての自由の成立を詠んでおられ哲学的な句と思う。特選「春寒し靴が合わないような日々」コロナ禍の自由のきかない、心身の痛み、ヒリヒリした傷みに共感しました。

河野 志保

特選句「狂おしく揺れる森なり桜桃忌」六月の森はこんなふうに揺れるのだろうと思う。雨を含んだ緑が黒いほどに濃くて。太宰の生涯とも呼応して作者を捉えているようだ。

稲葉 千尋

特選句「卯の花腐しあいつのロックは最高だった」雨の中で聞いても、あのロックは最高だったと、惚れこんだロックはいつ聞いてもグッド!

夏谷 胡桃

特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」兜太先生を思い出します。だんだん点呼する名前が増えていきます。問題句「みつからぬ眼鏡ケイタイ鍵ラムネ」なぜラムネ。季語のためにつけたしたような感じもするけど面白いかも。

菅原 春み

特選句「鶏抱いて五月の少女眉あげぬ」ありありとした景が見え、とくに少女の眉まで描いたところが完成度が高くすばらしい。特選句「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」緑夜のみずみずしさが匂いにまでひろがる詩的な映像です。

藤川 宏樹

特選句「うっせぇわ いなおっている冷奴」。「冷奴、あんたはなんで奴なん?」との問い掛けに冷奴の返事ですね。「ひやっこい」が変じたとか「奴」が四角を意味しているとか諸説色々あるようですが・・・。「あー、いちいち返事がめんどくせー!」と開き直する感じがうまく描けています。

野口思づゑ

特選句「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」。「手鏡に水の匂い」からしっとりとした初夏の夜の潤いを感じました。「躑躅に蹴躓く栄達せし凡夫」「花散るやサンチョ・パンサの肩に背に」、両句の凡夫とサンチョ、モデルを同一人物と解釈することも可能で、となると、そのメッセージ性に感心しました。「いかなご干す老婆問われただけ応え」そういうそっけない態度でも、心を開けばとても暖かい老女の姿が目に浮かぶよう。「あの夏の見えざるものにまた殺られ」。「亀鳴くや茶色い時代また来るか」の句と共に、今の日本の時世に対する危機感を共有いたします。

福井 明子

特選句「もしツバメ翔ぶことを愛とするならば」ツバメがすーいと土の匂いを嗅ぐように幾度も低空を翔び交う季節になると、ああ、愛だなぁー、と理屈抜きに思う。営むことの基本に立ち返るような、こころに衝動をもたらす一句です。特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」いかなごを干すことを長年の業として年を重ねた老婆。それ以上、語る必要などない。寡黙な一途さを、そのたたずまいに重ねています。含蓄のある世界が広がっていると思いました。

増田 天志

特選句「手鏡に水の匂ひの緑野かな」この感性の世界に、浸っていたい。手鏡に、透ける貴方が、映っている。

山本 弥生

特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」海辺の町の生活感が良く出ていて生涯を地道な家業に徹し黙々と作業をしている老婆は問に応えている間も手は休めない。昭和の名残りを感じます。

新野 祐子

特選句「一つある鱗にさわるときさくら」はじめから「ひとつある鱗」がわからない。それが自分のものなのか他者のものなのか、これも不明。しかしひどく官能的だ。そこになぜ「さくら」をもってきたのか作者に聞いてみたくてしかたがない。入選句「どこまで歩けば陽炎になれるだろう」いま久々に体調がよくて、どこまでも歩きたい気分だ。なのでこの句と一心同体になっている。(体調次第で好みの句が変わるということか)。「マスクの人見下ろすマスクの街立夏」疫病が流行しマスクが季語でなくなって二年目。歴史の激動の中で私たちは絶えず句を作る。「春寒し靴が合わないような日々」靴だけはいつも快適なものでなければならないと思っているので、こんな日常があっては苦痛。「早苗田にぽちゃんと朝日遊ばんか」瑞穂の国の平和な風景、永久にと願う。  

今日は葉山に登ってきました。橅の新緑の中、朴、青だも、がまずみの花などがきれい。どれも白い花です。オオルリ、キビタキ、ヒガラの声が響きわたり至福の時間でした。岩清水をおみやげにして下山しました。

葛城 広光

特選句「アマリリスわたし夕日を飲みました」夕日を飲むという巨大虚構かとおもいや大きな実感である。現世に肥大化したわたしがある。ただし「呑む」の方が文法的に合っているかも。特選句「苔の花森が丸ごと発酵する」苔をじっと見つめる。それがきっと丸ごと森なのだろう。森がビールになるのを待つのである。発酵という動詞が効果的である。

松岡 早苗

特選句「大口の煮付けの魚おぼろ月」カサゴか何かでしょうか。白身魚の甘辛い煮付けが急に食べたく なりました。少しデフォルメされたインパクトのある「大口」と「おぼろ月」の取り合わせに軽妙なリアリティが感じられ、楽しく鑑賞させていただきました。特選句「立哨の十字路十字に朝燕」。「十字路十字に」という作者の発見と、反復によるリズムの楽しさに惹かれました。元気のいい登校の挨拶も聞こえてくるようです。

松本 勇二

特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」鬼籍に入った方々の名を呼んでいるのであろうが、点呼を取る、と書くことでこちら側とあの世側の意志が行き交っているように思えてくる。さらっと書きながら思いは深い。

川崎千鶴子

特選句「トリケラトプスまだかまだかと子供の日」恐竜のトリケラトプスを配して子供の日を配合するとは見事です。「夏の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」鬱を牛の舌が巻き込むとは見事です。牛タンが食べたくなりました。「ラフマニノフに逃れ緑陰に溺れ」ラフマニノフの二番を聞いて悩みが消え、「緑陰に溺れ」が解るようで説明できませんが素晴らしいと思います。

田口  浩

特選句「どこまでが海市だったか海馬だったか」。「海市」とは蜃気楼のこと。唇は大蛤の意もあり、古くは大蛤が吐く気によって空中に、楼台などが現れると考えられていた。で、「海馬」とは、トド、ジュゴン、セイウチ、等いろいろ言われるが、普通は大脳にある古皮質の部分で、その形が、ギリシヤ神話のポセイドンが乗る海の怪獣(ピポカンポス)の下半身に似ているところから来ているらしい。―さて、こうなると、「どこまでが海市だったか海馬だったか」が随分ややこしくなるが、句としてはおもしろい。「右眼から壊れていくよ花水木」左眼からでなく、右眼がいい。そして「花水木」いい俳句だと思う。「壊れていくよ」が、なんとも懐かしい。「黄砂降る洗面台に父の輪郭」。「黄砂降る」から「洗面台に父の輪郭」この離れぐあいが、なんとも妙、いい感性です。「清明や井戸に放りし我が体」清明とは気が満ちる意で、二十四節気の一つ、太陽暦なら四月四日ごろに当る。「井戸に放りし我が体」香川にあるようなちまちました井戸ではなく、水の国の大きな湧き水を想像すれば、自ずからなるものが現れてこよう。「ラフマニノフに逃れ緑陰に溺れ」ラフマニノフ、ロシアの作曲家。革命後渡米、ピアノ奏者でもあるこの人の音楽に身を委ねて、「緑陰に溺れ」る、いいじゃありませんか。

吉田 和恵

特選句「さぬき野や雷の眼の赤ん坊」赤ん坊に見つめられたら逃げ出すしかありませんが。ところで穏やかなさぬき野にも雷は落ちるんですね。

高橋美弥子

特選句「アマリリスわたし夕陽を飲みました」脳内に真っ赤なアマリリスが浮かびました。アマリリスは赤だけではありませんが、夕陽とあるので少し近いかなとも思いましたが「夕陽を飲みました」という思い切った擬人化が良かったと思います。問題句「金魚の屍あがりかまちの薄埃」一読しただけではなんとなく怖いのだが、実景なのかそうではないのかまでは読みきれなかったが、何故か幼い頃の実家を思い出しました。

月野ぽぽな

特選句「春寒し靴が合わないような日々」日常生活の違和感を、「靴が合わない」ようなと具象化したのが手柄。春であるのに、という憂いが見えるとともに春であるという救いもある。

津田 将也

特選句「切なさのかたまり芍薬の蕾(佐藤仁美)」。美しい女性の立ち振る舞いや容姿を花にたとえる言葉に、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」がある。また、「美人薄命」もあり、美しい人はとかく病弱であったり、数奇な運命にもてあそばれたりで、短命な人が多いとも云う。してみると、「芍薬の蕾は切なさのかたまり」なのであると云う作者のお説、まことに納得できるのである。特選句「眠らない街を眼下に春の雷(小山やす子)」。「眠らない街を眼下に」するのは作者であるのか、はたまた春雷であるのか。私は後者がよいと考え、特選句に頂いた。立春のころの雷は、この「眠らない街」に春の到来を分け隔てなく伝えてくれるのだ。

増田 暁子

特選句「アマリリスわたし夕陽を飲みました」花のいろや形から夕陽を飲んでいることが分かります。とても楽しい発想で大好きです。特選句「早苗田にぼちゃんと朝日遊ばんか」こ        の風景が目に浮かびます。「朝日遊ばんか」が素晴らしい。「山盛りのたんぽぽサラダ長生きす」 下5の「長生きす」がなぜか納得です。「卯波かな南陽航路墓碑の島」墓碑の島で兜太師の句が思い浮かび、先生の無念さが浮かびます。「金魚の屍あがりかまちの薄埃」誰も世話をしない様子が見えますね。「軟弱なワルツが好きだ憲法記念日」憲法とワルツの組み合わせが面白い。組み合わせの解釈は?「花散るやサンチョ・パンサの肩に背に」楽しい句です。サンチョ・パンサーが良いなー「くちなはの這ふごと包丁研いでをり」包丁を研ぐのは好きです。砥石を使うとき私も同じ形ですね。「リラの花永遠の他者という鍵括弧」自分以外は永遠の他者ですが、鉤括弧は特別とか会話の意味でしょうか?「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」手鏡に写るものは何か、緑夜には色とか形以外にも。

河田 清峰

特選句「血のうとうとして蟻がわたしを運ぶ」血のうとうとが夢見心地のわたしを運ぶに掛かってきて気持ちいい一句となっている。

佐藤 仁美

特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」きれいな夕焼けを見て、逝ってしまった友達の事をつい、思い出してしまうのでしょう。「点呼」で、逝った友達が一人ではないことがわかり、尚、寂しさが深まります。

竹本  仰

特選句「鳥雲に身の透けるまで大樹抱く」鳥が生の一つの季節を終え帰ってゆく。それを支える大きな大きなめぐりに気づいた時、そんなめぐりを持たない人間の淋しさを直視し、何かを教えてほしい気持ちで大樹を抱きしめているのだろうと思いました。日常に埋没せねば生きていけない訳ですが、それでもそのような何ものにも動かされないもの、そこに向かっているのだと思いました。特選句「一つある鱗にさわるときさくら」一つある鱗は誰の鱗か?傷付きやすいおのが身を常に守ろうと身構える、そんな人間の心の動きかと思われます。そしてどうしようもなく近づかねばならないとき、心に触れえたその証しがさくらとしか言いようのない何かだった。それは本性というべきものか、そういう生命体の根っこにふれたのか、さくらという平仮名表記がその余韻をうまく表しているんではないかと味わいました。そういえば、梶井基次郎『櫻の樹の下には』の終わりは、やっと村人と桜の下で酒が飲めそうな気がした、という結びだったかと記憶しています。そんな親和力を感じさせる展開でしょうね。特選句「夏シャツの鉤裂き自由からの逃走」自由からの逃走…エーリッヒ・フロムの著作の名と重なりますが、あれは自由というものの重さに耐えられず意思決定をナチスの手にゆだねたドイツ国民の在り方を例に、近代ヨーロッパ人の深い病理を指摘し現代人の生き方を追求したものであったように思い出します。与えられた自由ではなく創造的自由、この句の目指している所に遠景としてその問いかけが感じられます。束縛に抵抗しながらボロボロになっても生き方を率直に問い続けたい。そういう意気込みを思いました。兜太師の〈果樹園がシャツ一枚の俺の孤島〉を思い出させます。

鈴木 幸江

特選句評「くちなはの這ふごと包丁研いでをり」包丁を研ぐ仕草に蛇の動きを発見したことに感心した。次に人の日常の仕草に他の動物の動きが含まれているのだと思え、人智を超えた深い世界を感じた。

中村 セミ

特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」何とも云えぬ自然のままというか仕方のないものを感じる。達観者が作るとこういうことを詠むのだと思った。まるでケイトウの子規を思えた。

藤田 乙女

特選句「句読点どこに打とうか昭和の日」私の生まれるずっと前から始まっていた昭和、様々なことがありました。歴史を深く考えさせられる句でした。特選句「喜べることいっぱいあるよ黄金虫」。「喜べることいっぱいあるよ」はありふれた言葉だけれど「黄金虫」と取り合わせるととても生き生きした魂をうつような心を動かす句になっています。励まされ癒される句です。季語と結びついた俳句の言葉の凄さを実感します。

重松 敬子

特選句「散骨は太平洋へ春の虹」もし、かなうなら、すばらしいと思います。あの狭い中に入るより、広い海原を漂いたい。選択肢が増えて、これからは自分で決めてから旅立たねばなりませんね。春の虹が良い。

佐藤 稚鬼

特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼とる」異界との距離もなく交流。親しかった友へのザックバランの呼掛、然も点呼とは。春夕焼との取り合せの暖かさと切なさの感あり。

谷  孝江

特選句「金縷梅やくの字に曲がる路地が好き(重松敬子)」たのしさがあって良いのです。私たちの幼い頃はどこにでもくの字に曲る路地がありました。車の心配もなく、思いっきり遊び回ったものです。遊び馴れた路地であっても曲った先に何があるのか、ミステリアスなところがたまらなくたのしみでもありました。

男波 弘志

「潮まねき砂に戻そか火に落とす」大きい鋏が絶叫して、小さい鋏が諦めている。「血のうとうととして蟻がわたしを運ぶ」死を選ぶとすれば自然死しかない、医学に頼れば苦しみのまま生かされてしまう。だから身を委ねる場所を蟻、造化に任せたのだ。どちらも秀作です。

柴田 清子

特選句「夏空や思いどおりにならない死」夏空が、思いどおりにならない死と言う作者を大きく受け止めて包み込んでくれている。季語の斡旋と置き方がとってもいい。特選句「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」夏の始めの夜の若葉に、静かに包み込まれている作者が魅力的です。

飯土井志乃

特選句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」中年男女の少し疲れた恋愛模様が炙り出されたようで思わず苦笑。切なくて楽しい。ときどきバッタになる人とは、言い得て妙!多少のゴタゴタは時が解決し、知らぬ間に元の鞘に納まっているのが常のこと。特選句「くちなはの這ふごと包丁研いでをり」包丁研ぎは台所の仕事の総仕上げ。近頃では包丁研ぎ器なる物も出現して便利に使うことも多いが、手慣れた刃に心を添えて研ぐ行為こそ似つかわしい。砥石と刃のすき間から流れ出す水の描写も美しく昔ながらの厨からなら凄みさえ感じられて秀逸。

寺町志津子

特選句「青嵐吹き荒ぶ日よ犬逝きぬ」愛犬を亡くされたのですね。おそらく、家族同然にお飼いになっていらしたことと存じます。私にも同じ経験があり、身につまされ、作者の心情が伝わってきました。その日は青嵐が吹きすさんだ日であった由。事実を淡々と詠まれた揚句に、お哀しみの程が切々と伝わりました。

三枝みずほ

特選句「早苗田にぼちゃんと朝日遊ばんか」遊ばんかは朝日であり田であり産土神の声ともとれる。早苗田だからこそ、この声に生命力を感じる。原点回帰。おおらかなものに触れられた。

野澤 隆夫

特選句「金縷梅やくの字に曲がる路地が好き」朝夕のトイプードル🐩二匹の散歩コースと重なります。小生はコの字のマンサクコースです。「スキャンダル女優の食むや夏みかん」も特選。スキャンダル女優と夏みかんの意外性が面白い!女優の“酸っぱい!”という声が聞こえてきます。秀句

植松 まめ

特選句「夏シャツの鉤裂き自由からの逃走」の句。夏シャツの鉤裂きとは、青春の反抗でしょうか?「卯の花腐しあいつのロックは最高だった」も惹かれました。ロックのミュージシャンとは誰でしょうか?聞いてみたいですね。

吉田亜紀子

特選句「青嵐吹き荒ぶ日よ犬逝きぬ」同じような経験をしたことがある。嵐の中、激しく命が尽きていく。飼い主の心も嵐のように動揺し、衝撃を受ける。しかし、逃げることを一切せず、命と向き合う。愛犬の命の尽きていく様、作者の激しい心のうちを垣間見ることができ、愛犬の死を改めて労おうと感じた。特選句「伯母たちに囲まれて母藤の花」藤の花のあたりで、ティータイムをしているのだろうか。とても楽しい時間というのが伝わってくる。その中で、「囲まれて母」の部分で、母に焦点がぴったり合っている。とても綺麗な句だと思いました。

久保 智恵

特選句「暮れ残る屋島たね爺夏ですよ」たねをさんと屋島へ行った頃が今でも鮮明に‼特選句「うっせいわ いなおっている冷奴」珍しい句。いなおっている冷奴が素敵な表現‼」

山下 一夫

特選句「脚だけの手だけのロボット昭和の日(伏 兎)」小学校低学年のとき自動車組立工場の見学があった。先生から日本の産業ロボットは世界一と事前説明があり、人型ロボットがたくさんいるのを想像して楽しみにしていたところ、「脚だけの手だけのロボット」が正体でがっかりしたことを思い出す。人知を超えんとするAIなどなく、アナログな高度経済成長の空気に満たされていた。取り合わせが巧み。特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」。「問われただけ応え」は慎重かつ賢明な美質を称えているよう。それが伴ってこその日々の営みであろう。あるいは続けざる得ないことにより育まれてきた面もあるのかも知れない。想いは「老婆」の漁村におけるはるかな年月の積み重ねに向かい、イメージ喚起力強し。絶滅しかかっている瀬戸内の風景でもある。問題句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」切れがあるのかないのか、あるとしてそれはどこかが不明。造語的な「夕焼け電車」で切れるとして、赤々とした夕陽が差し込む電車に中七以下の人と乗っていることとする。なぜか隣の男性を見ている女性からの視点なのだが、光線の加減で顔が仮面ライダーのようになる、何かあるとキチキチという音を発しながら逃げ出す、草食系の憎めない奴でもあるなどと連想され、シュールかつ楽しい句のようにも思う。「一つある鱗にさわるときさくら」逆鱗のことであろう。「さくら」とのとぼけ方がいい。「どこまでが海市だったか海馬だったか」海つながり、あいまいつながり。老いの実感。

 初めて参加させていただきます。若々しい活気に溢れた座と感じております。当方、山口市在住の六十歳。俳句の世界ではまだ十七歳とこじつけて勇気を奮っての参加です。どうかよろしくお願いいたします。→宜しくお願いします。

漆原 義典

特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」中七と上五、鬼籍の友と春夕焼がよく合っています。下五の点呼取るは、今は亡き友への惜別の念がよく出ていると思います。素晴らしい句をありがとうございます。

松本美智子

特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」いかなごを干している様子を見たことはありませんが,年取ったご婦人が静かな漁村で黙々と作業している様子が目に浮かびます。私の祖母は割と明るくおしゃべりな人でしたが,祖父は笠智衆さんにそっくりでほんとに無口な人でした。しかし、まじめ一筋で農作業に打ち込んでいました。その姿を思い出します。この句を詠んでそんな実直な祖父を思い出しました。

高木 水志

特選句「春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」新生活が始まって何となく暗い気持ちになることがある。牛の舌は今まで考えたことがなかったが、のんびりとした牛の舌が気儘に動いている様子がどこか春の鬱に似ていると思った。

森本由美子

特選句「鳥雲に身の透けるまで大樹抱く」自然界に存在する万物はそれぞれの気を有し、お互いに支えあっている。わら一本、蟻一匹といえども。樹は人間に対して寛大な気の源のひとつかもしれない。木肌に手を触れるだけでもどれだけの安らぎを感じることができるか、身の透けるまでとは最高の表現、大樹も作者のエネルギーを吸収して新しい気に還元しているに違いない。上五も自然界の現象のひとつとして句に溶け込んでいると思う。

石井 はな

特選句「春寒し靴が合わないような日々」コロナ以来靴 の合わないよう な日々と感じて います。春寒し が春なのに肌寒い心許無い気分と響きあっていると思います。

高橋 晴子

特選句「暮れ残る屋島たね爺夏ですよ」。「たね爺さ」を高橋たねを氏と読んで「屋島も夏ですよ」の呼びかけも最短定型人に対して胸に秘めた思いを詠み「いのち騒ぐよ」(註:「海程香川」発足十周年記念誌『青むまで』のたねをさんの頁のタイトル)の人にふさわしい言葉とリズムに敬畏を感じます。おめにかかったことはないが「いのち騒ぐよ」の句のリズム感がとても心に響きます。誰の句か楽しみ。

三好三香穂

特選句「三密の表面張力 花は葉に」表面張力がよく効いている。コロナ禍のジリジリした緊張感が、今にも弾けそうな様がよく表現できていると思います。花は葉に…は、すこし安易かも知れないが、季節がかわってしまった詠嘆があり、これはこれでいいと思います。特選句「黄砂降る洗面台に父の輪郭」今年の黄砂は、まるで火山灰が降ったかのように濃かったですね。車などは、茶色い斑模様になりました。それを、洗面台の父…と捕らえたところが面白いと思いました。

野﨑 憲子

特選句「藤の花揺らして遊ぶあの世かな(河野志保)」一読、中村苑子の「春の日やあの世この世と馬車を駆り」「翁かの桃の遊びをせむと言ふ」の世界が浮かんできた。阿部完市をして「苑子俳句に中ったら、あぶない、大変だと直感した。」と言わしめた作家である。掲句の調べも藤色の幽玄の世界に遊んでいる。問題句「うっせぇわ いなおっている冷奴」<うっせぇわ>は、今、巷に流行している言葉である。こう表現すると、冷奴が腕組みをし鎮座している姿が浮かんでくる。今夜は、木綿豆腐の冷奴が無性に食べたくなった。自由度200%の問題句。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

梅雨
梅雨入りや夏井いつきの乱れ髪
藤川 宏樹
雑草の森化してゆく梅雨空き家
中野 佑海
始原への水脈のありけり梅雨の月
野﨑 憲子
梅雨入りのカワズ思わざる旱かな
中村 セミ
目に見えぬ妖怪潜むついりかな
三好三香穂
底なしの黒い大きな壷梅入(ついり)
柴田 清子
少年は獏と対峙する空梅雨
三枝みずほ
ドクダミ(十薬)
十薬や酸いも甘いもスイッチオン
藤川 宏樹
十薬の花よ夜更けて雨の音
柴田 清子
ドクダミや腓(こむら)返りし我鳥に
中野 佑海
十薬やうじ虫のいる耳の底
三枝みずほ
どくだみの十字がにじむ白内障
佐藤 稚鬼
十薬や風に吹かれば火の声す
野﨑 憲子
少年
黄金虫少年夕日にとけてゆく
野﨑 憲子
ひとつ置き待つ少年ら床屋夏
藤川 宏樹
少年のうしろ姿が時雨けり
佐藤 稚鬼
黄金虫
ぶんぶんに寄ってこられただけのこと
柴田 清子
予報士の残したマスク黄金虫
藤川 宏樹
なんたつて恋はリズムよ黄金虫
野﨑 憲子
赤ん坊の蹠にとまる黄金虫
野﨑 憲子
自由題
愛犬の土葬は白き水仙下
佐藤 稚鬼
補聴器の雑音もなく沈丁花
佐藤 稚鬼
言葉には言葉を衣更へにけり
柴田 清子

【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、高松での5月句会は開催されました。<句会の窓>の作品集の一部分は作者の意向によりカットいたしております。今回も、お陰様で様々な魅力あふれる作品に出逢えました。6月の句会も開けたら幸いです。

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