2023年2月6日 (月)

第135回「海程香川」句会(2023.01.21)

雪兎.jfif

事前投句参加者の一句

老鷹や陽のあたる朝の霧氷林 桂  凜火
この後もいくつ歳とる冬さうび 谷  孝江
月蝕の世は掻痒の暗さ冬 疋田恵美子
綿虫やボク嘘なんかついてない 松本美智子
時雨を行く淡いてにをは脱ぎ捨てて 佐孝 石画
がしょうぎに除夜の鐘突く漢未練 時田 幻椏
あち見こち見の雑魚寝の寒鯉 川崎千鶴子
喩へれば父松の内母日常 野口思づゑ
凍空や国境に武器ひしめきて 月野ぽぽな
身の内にサザンカの散るさようなら 榎本 祐子
たましいの薄化粧のよう風花す 増田 暁子
新年の心に掴む魚かな 高木 水志
ためらいもなく寒紅をひく十五歳 久保 智恵
新年や幸あれ江戸っ子さっちゃんに 島田 章平
初日の出ひと目見たくて足踏みで 薫   香
声だれにとどくのですか雪虫 三枝みずほ
讃岐人ほっこり餡餅雑煮かな 漆原 義典
この径を行こう冬虹消えぬ間に 寺町志津子
残らない詩歌つづって山眠る 夏谷 胡桃
駅頭に子を背負ふ母よ山眠る 銀   次
赤ん坊の軽さ重みを知る初湯 塩野 正春
狐の糞黒く光(て)りたり雨あがり 稲葉 千尋
山茶花や言祝ぐような終り方 福井 明子
テトラポットの遠き三角時雨けり 大西 健司
寒烏ひりひり痛む我が頭 豊原 清明
夜窓には魂だけがこちら見る 中村 セミ
山姥の棲み処の辺り雪折す 松本 勇二
「希望」とは父ちゃんの船初日の出 津田 将也
山裾の木を蹴り木の音里の音 十河 宣洋
寒波つんつん安静の母の息 吉田亜紀子
初春や大きな木にはたっぷり空 河野 志保
遠ざかる父のいつもの冬帽子 吉田 和恵
極限の大あくびして日向ぼこ 佳   凛
初日の出天動説を支持したし 滝澤 泰斗
廃船の骸を立ちあげ冬の月 佐藤 稚鬼
小さき鳥にならむと銀杏黄葉し始む 田中 怜子
虎落笛ジャム煮る如く発熱す 石井 はな
新宿の朝の芥を寒烏 大浦ともこ
地に還る熟柿や惨という勿れ 野田 信章
水仙花景色を洗ひたてにする 川本 一葉
履歴書を枯野明かりで書いている 山下 一夫
源流の小さな宇宙初明り 河田 清峰
初詣人間臭き仁王の眼 重松 敬子
窯に火を入れて三日目日脚伸ぶ 丸亀葉七子
寒月光からだ弾ける音がする 柴田 清子
数へ日の昼のたくあん塩むすび 亀山祐美子
アールグレイのぬるいは淫ら雪のひま すずき穂波
友情のよう堅く柔らか冬木の芽 竹本  仰
遅れます牛のお産で初句会 新野 祐子
木陰来る廊下の暗し寒鴉 高橋 晴子
氷塊の心を溶かす一句あり 藤田 乙女
木を囃す夢版権の盧溝橋 荒井まり子
賀状書く宛名の友はまだ五歳 菅原香代子
老い行くは未知なる調べ冬の空 小山やす子
津軽藩ねぶた村発冬林檎 樽谷 宗寛
外套のするめがごとし帰還兵 藤川 宏樹
白鷺が如来の直立貪瞋痴 山田 哲夫
方丈の夢想無辺に淑気かな 中野 佑海
かていりし しるたぎゆきて かむるとび 田中アパート
手鞠撞きわたしも唄う二度生きる 鈴木 幸江
日溜まりの橙いま頃わかったこと 男波 弘志
銀紙の板チョコぱりん冬日和 松岡 早苗
旧約聖書の空をふくろう急ぎけり 淡路 放生
禅寺の藩主の墓も冬ざるる 山本 弥生
究極の緑の温みブロッコリ 森本由美子
アマゾンの外箱大きお正月 菅原 春み
父の忌の机あかるしシクラメン 向井 桐華
枯野原少年白き函として 小西 瞬夏
春着の子袂を振りておしゃま言う 植松 まめ
追い葱をどつと凍夜の肉うどん あずお玲子 あずお玲子
着ぶくれて自由の女神つんのめる 三好つや子
柔らかく折れたい感情根深汁 若森 京子
水仙揺れるよ娘の娘と恋の話 伊藤  幸
初夢は千手観音ピアノ弾く 増田 天志
新海苔やおもひもかけずアマテラス 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「時雨を行く淡いてにをは脱ぎ捨てて」。脱ぎ捨てたのが「淡いてにをは」という感覚の冴え。

小西 瞬夏

特選句「新年の心に掴む魚かな」。「魚」が何を象徴しているのだろうか、と想像が膨らむ。きっと、飛魚のように力強く泳いだり飛んだりしている何かなのだろう。「心」がそのままなので、何か別の言葉で「心」を思わせる方法もあるかもしれない。

増田 天志

特選句「枯野原少年白き函として」。少年期の心理的危うさを、詠んでいるのだろう。想像の翼は、どこまでも広がり、少年兵の悲劇かとも、鑑賞出来る。

月野ぽぽな

特選句「山茶花や言祝ぐような終り方」。美しいままの花びらが散るさまは、まるでお祝いの言葉のようである。なんども味わううちに「言祝ぐような終り方」が人の一生について言っているように思えてくる。唯一無二の命を生き切ったことへの賛歌。山茶花が美しい。

十河 宣洋

特選句「讃岐人ほっこり餡餅雑煮かな」。餡餅の雑煮が懐かしくて頂いた。最近はたまにレシピを見ることもあるが、以前は気持ち悪いと一蹴されたこともある。食べてみなけりゃこの美味しさは分からない。特選句「友情のよう堅く柔らか冬木の芽」。納得する句。冬木の芽の堅さを上手く表現している。

島田 章平

特選句「水仙花景色を洗ひたてにする」。景色を洗ひたてにする、と言う感性が爽やか。新春にふさわしい佳句。

中野 佑海

特選句「時雨を行く淡いてにをは脱ぎ捨てて」。淡いてにをはが、自分の気持ちの移り変わり「どうして」「こんなことに」「僕を」「君は」などと嘆いてみても仕方なし。総てを諦めて、次行こう次。特選句「着ぶくれて自由の女神つんのめる」。摩天楼のニューヨークを睥睨するように立っている「自由の女神」が着膨れてつんのめるなんて、想像しただけで、笑える。「友ごとに遠島を見る霜の夜(山下一夫)」。年取るごとに友それぞれに色々な事情で縁が遠くなっていく。「月蝕の世は掻痒の暗さ冬」。年取るとだんだん皮膚が乾燥して冬は特に月の砂漠だね。「喩へれば父松の内母日常」。ちょっとしたことが、男には祭り、女には何なのそれくらいで騒いで。「身の内にサザンカの散るさようなら」。さよならの時は躰の中の深い所にあるものが、崩れてしまう。まるで、山茶花の散るように。山茶花がカタカナなのが、余計色を無くしたような、感情の冷めていく感じが、良く現わされている。「水仙花景色を洗ひたてにする」。花の清楚さ、香りの清々しさ。同感です。「数え日の昼のたくあん塩むすび」。これは鉄板でしょ。お母さん有難う。「落葉焚く日暮れの庭がわたし好き(吉田亜紀子)」。あの匂いは日本人の原点です。凄く素直が良い。「究極の緑の温みブロッコリー」。大賛成です。本当、ブロッコリーって扱いやすいし、食べ応えあるし、躰のパワーになる気がする。これ食べてれば大丈夫みたいな。今年はブロッコリー食べて頑張ります。どうぞよろしくお願いします。佑海

福井 明子

特選句「滞る流れに凧の鬼の面」。年が明けましたが、世の中何か得体の知れぬ、どよんとした空気が漂っています。そんな日々に、「滞る流れ」という上句に出合いハッとしました。「凧」「鬼の面」人の思いの及ばぬ彼方へ飛ばす「凧」、そこに超人としての「鬼」の睨みが効いています。句の中に呪術的な願いを感じます。

津田 将也

特選句「声だれにとどくのですか雪虫」。この句の「雪虫」は、冬の季語「綿虫」の子季語です。雪婆(ゆきばんば)とも呼ばれ、体長二ミリほどの小虫です。綿のような白い分泌物をつけて初冬の曇り日を飛びまわり、まるで雪が降っているみたい。この虫により、北国の人々は雪が近いことを知るのです。春の季語の「雪虫」は、北国の早春二月ごろ、雪の上に現れては動きまわる虫のこと。たとえば「川螻蛄(かわげら)」「揺蚊(ゆすりか)」「跳虫(とびむし)」などが羽化したもの.で、「雪解虫」「雪消し虫」とも呼ばれる別物です。特選句「アールグレイのぬるいは淫ら雪のひま」。「アールグレイ」は、紅茶の種類・淹れ方・アレンジによってストレート以外の様々な香りや味を楽しみます。たとえば、「ダージリン」にはベルガモット(柑橘類)のフレバーという風に・・・。結句に、「雪のひま」という春の季語を措いたことも、「アールグレイ」には合っています。降り積んだ雪が春になり、ところどころが溶けて消えた隙間には、もう芽吹き始めた「雪間草」が見えて、これを俳句では「雪のひま」と言います。まるで紅茶のアールグレイのようです。加えて「ぬるいは淫ら」という感覚的な言葉選びにも共感しています。

豊原 清明

特選句「がしょうぎに除夜の鐘突く漢未練」。男を思う女性の除夜の鐘突きかと思ったが、誤読かも知れない。誰かを思う鐘と受け取り。問題句「テトラポットの遠き三角時雨けり」。 テトラポットにだけ降る時雨という感覚になった。「三角時雨」が不思議な不可思議な読後感がありました。

夏谷 胡桃

特選句「雪うさぎ幼馴染の夫婦かな(野﨑憲子)」。ピアニストの小林愛実さんと反町恭平さんの結婚のことでしょうか。時事的な話題をほんわりまとめられました。微笑ましいです。

樽谷 宗寛

特選句「屠蘇祝う白寿の母は麻雀好き(増田天志)」。新年にふさわしい句、お元気な白寿のお母様、ご家族となごやかに麻雀をなさっている姿が浮かんできました。私の祖母も長寿で、歌留多や花札が大好きで、希望の持てる明るい人でした。お変わりなく、明るい一年をお過ごしのほど祈念致します。

岡田ミツヒロ

特選句「赤ん坊の軽さ重みを知る初湯」。丸裸の赤ん坊は、まさに命そのもの。その重さに思わずたじろぐ。特選句「一月のぼむぼむ凡夫爆ぜなさい(佐孝石画)」。中島京子「小さいおうち」を彷彿した。市民的幸せが奪い取られそうな時代風潮への反発、またそれに流される人々への警鐘。「ぼむぼむ凡夫」の妙。

佐孝 石画

特選句「初春や大きな木にはたっぷり空」。冬木を見上げると、その開放感にめまいのような安堵を覚える。指、腕を広げて、空と融け合おうとする冬木の姿。葉が生い茂った頃にはなかっただろう、空への絶対的諦念。この空との融合、浸透への憧れ。いろんなことを脱ぎ捨て、投げ出すことで、空と融け合うことが許される。そしてはじめて空を「たっぷりと」内包することが出来る。この発見には実感がこもっている。これこそ金子先生の言う「感の昂揚」の作用した結果と言えよう。

伊藤  幸

特選句『「戦争」と「平和」を見遣り年暮るる(藤川宏樹)』。正に昨年は戦争と平和を目の当たりにし、平和に酔いしれる私達が如何に無力であるか痛感させられた年でした。今年は「平和への願い」「戦争が早く終わりますよう」等、漠然とした願いだけではなく自分に何かできる事はないか考えねばならぬところまで来ているのではなかろうかと思う。

藤川 宏樹

特選句「着ぶくれて自由の女神つんのめる」。トーチを高く掲げた自由の女神。ニューヨークの厳しい寒さに着膨れ、つんのめるという展開が予想外。今日の厳しい世界情勢を暗示しているようでもあり、楽しめました。

塩野 正春

特選句「舌足らずのインコと二歳児四方の春(増田暁子)」。家庭内での瞬間をとらえた明るい、笑える話題に拍手。 インコもまだ十分に発声できない幼稚さと二歳児の片言の言葉の組み合わせが絶妙。これから大きくなって世を背負うであろう子供、これから大きくなって楽しませてくれるインコ、まさに春の情景。 俳句は簡単な表現で奥深い情景を醸し出してくれる。 特選句「初夢は先手観音ピアノ弾く」。作者はピアノ弾かれるのでしょうか? そんなことは問題ではない。ピアノを弾く手の動きをみると、また自分でもピアノを弾くと鍵盤のあちこちに手が行き、しかも足までも動きを感じる。先手観音であればどんな曲が弾けるのだろう。鍵盤は横一列じゃなく縦横斜めか?想像するのが楽しい。こんな思いが初夢になったようだ。自句自解「あめゆじゅの味遥かなり喜寿すぎて」。宮沢賢治の詩に「あめゆじゅとてちでけんじゃ」があります。妹さんの死の間際にお願いされたことですが何回読んでも涙が出ます。 私の生誕地米沢でもおやつ代わりに霙に砂糖を少しまぶして食べました。のちにアイスキャンデーが市販されるようになりました。今になってあの頃、あの味が妙に懐かしくなります。「赤ん坊の軽さ重みを知る初湯」。初湯で赤ちゃんを浮かせて湯に入れていた情景です。まずおしりを抱えることを妻に教わり、上手に浮かせて喜んだものです。将来日本を背負うであろう赤ん坊は決して軽々しいものではありません。大事に育ててあげましょう。

若森 京子

特選句「舌足らずのインコと二歳児四方の春」。舌足らずの日本語を喋るインコと片言を喋り始めた二歳児が一つの部屋に居ることを想像するだけでほほえましい会話の流れが聞こえるようだ。〝四方の春〟の季語が良く効いている。特選句「枯野原少年白き函として」。枯野原に立つ少年を白い函だと比喩している。白い函は青春 清潔 純情 そしてこれからどのような色に染まってゆくのかの期待もある。枯野原に浮かび上がる 白い函 はその中身にも興味が広がってゆく美しい一句だ。

山田 哲夫

特選句評「父の忌の机あかるしシクラメン」。(亡くなった父の忌日がやってきた。父の使っていた机が今日は妙にあかるい。この明るさは、飾られたシクラメンのせいだろうか、いや、それだけではなさそうだ。時を経ていつの間にか当時の悲しみは乗り越える事が出来て、心の内に諦観のような感情をもって父の死を見つめる自分を意識出来るようになったせいもあるのだろう。この明るさはきっとそのせいなのだろう。)私には、このような作者の心の動きが想像されて、しみじみとした詩情に感銘した。

三好つや子

特選句「アールグレイのぬるいは淫ら雪のひま」。雪が降り、どこにも行けない退屈を、もて余している午後だろうか。けだるさの漂う言葉の紡ぎ方が巧みで、印象的。特選句「旧約聖書の空をふくろう急ぎけり」。終わらないウクライナの戦争。止まらないコロナの感染。浮き足だつ不穏な社会は、まさに旧約聖書の世界観に通じるものがあると思う。解決の糸口となる英知が、急がれる。「一月のぼむぼむ凡夫爆ぜなさい」。積極性を失くした自らを叱咤激励しているのかも知れない。ぼむぼむというオノマトペが見事。「枯野原少年白き函として」。未来に満ちた少年を白い函と捉えた感性がすごい。老いと若さの心象対比が、詩情豊かに成功している。

吉田 和恵

特選句「新海苔やおもひもかけずアマテラス」。天鈿女命にも匹敵する新海苔の力とは ふ ふ ふ 。

松岡 早苗

特選句「寒月光からだ弾ける音がする」。「からだ弾ける音」ってどんな音なのでしょうか。乾いたパーンと鋭い音なのでしょうか。「寒月光」との取り合わせが新鮮でイメージがふくらみました。特選句「敵味方の鍵こじあけよ初景色(福井明子)」。ささやかな日常を大切に生きていたはずの人間同士が、戦争によって敵味方に別れ互いに殺し合う。こんな愚かな戦争が一刻も早く終わるように、神々しい初景色に向かって祈らずにはいられません。「鍵こじあけよ」に作者の切なる願いが詰まっているように感じました。

滝澤 泰斗

特選句「赤ん坊の軽さ重みを知る初湯」。正月に一つのシーン・・・娘か息子が里帰りをして、孫を連れてきた。子煩悩なオヤジがどれどれと孫を小さな盥に入れる。四十年ほど前のわが子の入浴の感覚を取り戻しながら・・・幼子への命の尊厳が感じられ、良い正月になった。特選句『「希望」とは父ちゃんの船初日の出』。「希望」と、カギカッコを付けてあるから親父の船の号は「希望」ともとれるが、自分の希望、家族の希望のシンボルが親父の船とも取れ、正月から日の出の沖に向かう情景は、希望そのもの。古い歌だが、好きな歌を思いだした、・・・希望と言う名のあなたを訪ねて遠い国へとまた旅に出る・・・希望を失いつつある日本の応援句。いい句に出会えました。『「戦争」と「平和」を見遣り年暮るる』。朝鮮動乱の年に生まれて以来、10年単位で歴史を振り返っても大きな戦乱は枚挙に暇がない。大きくは、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして、東欧の分裂と再建、中東の混乱、アフリカの民族問題・・・ そして、去年のプーチン・ロシアのウクライナ侵攻。国連の常任理事国が直接武器を取る戦争は核の脅威を助長している。その意味で掲句はマンネリかもしれないが、反戦をマンネリにしてはならない。「寒烏ひりひり痛む我が頭」。昨年末は歯痛から三叉神経痛を引き起こし、挙句、頭に帯状疱疹が出てひどい目に合った。まさに掲句の状態ではあった。「廃船の骸を立ちあげ冬の月」。何と、遠くアラル海の満月が浮き彫りにした廃船を思い出した。アラル海は消滅の危機に瀕している。廃船はまさに骸そのもの。「遅れます牛のお産で初句会」。動物の世話が盆も正月もない。日常の一コマを上手に切り取った。「氷塊の心を溶かす一句あり」。掲句の様な一句を求め、掲句の様な一句をものにしたいと日々思うが・・・。「津軽藩ねぶた村発冬林檎」。オールドファッション青森万歳。「外套のするめがごとし帰還兵」。戦争は銃器だけが戦争ではない。南洋の孤島、中国満州、インドシナ戦線では餓死者が絶えなかったと・・・するめがごとき姿が目に浮かぶ。「雪がときに羽根ひろげては降ってくる(中村セミ)」。雪国にゆかなければ、掲句の情景に会うこともないが、大雪に見舞われたときの表現としてはまさに、大鳥が暗黒に翼を広げたような雪が降る。 

山本 弥生

特選句「落葉焚く日暮れの庭がわたし好き」。住み馴れた田舎の広い屋敷の庭の落葉を集め、今日一日が無事に過せた幸福を想い、親族や知人の顔を想い浮かべ乍ら落葉を焚いている刻の庭が何より至福の刻である。

森本由美子

特選句「ゴミだして淑気の中を帰り来ん(重松敬子)」。深く息を吸い、背筋を伸ばし、新しい気に全身を晒しながらゆっくり家へ戻る。いつものゴミ出しとは大違い。淑気に濃度を感じます。特選句「柔らかく折れたい感情根深汁」。自分自身を労りコントロールしようとする内面が見事に描き出されています。根深汁との取り合わせも見事です。

寺町志津子

好きな句「遠ざかる父のいつもの冬帽子」。学生時代、女子大の寮に入寮していた私を、父が尋ねてきてくれたことがあります。愛用の帽子を手に持っていました。帰り際、その帽子をかぶり、いささか緊張した面持ちの父の面影が鮮やかに蘇り、当時を懐かしく思い出すと同時に、実は少し涙が出ました。「氷魂の心を溶かす一句あり」。このような句を詠みたい思いになりました。「禅寺の藩主の墓も冬ざるる」。実感です。我が家も禅宗で、備後地方の小さな藩の藩主であった由。帰郷の祭は、先祖を忍びつつお参りしておりますが冬の風の中での暮参は、お盆とは少し違う言い知れぬ感慨があります。

時田 幻椏

特選句「線状降雪帯空の青海の青連れて(新野祐子)」。大きな世界に鮮やかな白と青、成る程、と頂きました。問題句「一月のぼむぼむ凡夫爆ぜなさい」。凡夫を自認すればこそ爆ぜたいものですが・・。♡俳句から遠く居たのですが、野﨑憲子さんにお誘いを受け参加させて頂きました。今後とも宜しく御願い申し上げます。→ 兜太先生を通じての俳縁です。ご参加とても嬉しいです! 

鈴木 幸江

特選句評「時雨を行く淡いてにをは脱ぎ捨てて」。時雨忌は芭蕉の忌日。時雨に対する想いはきっと十人十色であろう。マイナスがプラスとなってゆく日本人の美への意識の象徴的現象だと思う。捨てることで生まれる世界があるように、時雨の中を歩きつつ“淡いてにをは”を捨てて、言葉と言葉を対決させる状況から生まれる世界に期待する想いを抱く作者の姿に共鳴した。特選句「極限の大あくびして日向ぼこ」。極限状態まで何かをすることには、私にはできぬことだが、修行僧の姿が重なり憧れがある。そこから見える世界への興味である。しかし、この句はそれが“大あくび”なのだから楽しい。この日常性がありがたい。“日向ぼこ”も気が抜けてしまう。でも、日常の中の非日常が捉えられていてお見事だと思った。p・S どなたかは、存じませんが、私へのエールのお句を頂きました。「新年や幸あれ江戸っ子さっちゃんに」。癌になって死ぬかと慌てたコロナ禍もなんとか生き延びられそうで、どなたか、嬉しいお句をありがとう。✧♡

あずお玲子

特選句「初春や大きな木にはたっぷり空」。楠でしょうか。周りの木々より頭一つも二つも大きな木には充分な空が広がっているのでしょう。たっぷりという言葉選びによって、豊かに澄み渡る青空と大木の景がいかにも初春らしく気持ちの良い句です。特選句「落葉焚く日暮れの庭がわたし好き」。手離した実家の庭を思い出しました。さほど広くはない庭に面した縁側で母と私と外飼いの犬でよく日向ぼっこをしていました。何が楽しかったのかもう思い出せませんが、不思議なもので庭と聞くとあの実家の庭での日向ぼっこを思い出します。飾り気のない呟きのような語り口が柔らかで、好感の持てる句です。

大西 健司

特選句「追い葱をどつと凍夜の肉うどん」。とりあえず旨そうだし、あたたまりそう。問題句「遅れます牛のお産で初句会」。いい句なんだが、どこかすっきりしない。何とかなりませんか もう一工夫を。

榎本 祐子

特選句「遠ざかる父のいつもの冬帽子」。現実的な父との距離感のようにも、記憶の中の薄れゆく景のようにも見える。モノクロームな冬に、父だと分かる帽子の後ろ姿がゆらゆらと遠ざかる。

新野 祐子

特選句「その頃のその俤へ年賀状」。何十年も会っていない友人たち、さぞかし年取ったんだろうなんて考えないで、共に青春を過ごしたあの人たち、いつまでも、あのままで、私の胸の中で輝いています。「履歴書を枯野明かりで書いている」。どこに出すどんな中味の履歴書なんでしょう。興味がそそられてなりません。「凍空や国境に武器ひしめきて」。本当にその通りですね。一刻も早く戦争はやめてほしい!問題句「山姥の棲み処の辺り雪折す」。私なら「雪折れせず」としたいです、断然。山姥を崇拝する者にとっては。

男波 弘志

「狐の糞黒く光りたり雨あがり」。狐がどこまで効いているか、そこが微妙ではあるが生きていることが躍動している。「長寿の母うんこのようにわれを産みぬ(金子兜太)」。「枯野原少年白き函として」。比喩としては解りにくいが、空の函とすれば少年の心理状態が読めるだろう。

河田 清峰

特選句「窯に火を入れて三日目日脚伸ぶ」。(窯に火を入れて)がゆっくりと温まっていくようで気持ちよく日脚伸ぶにつながっていると思う。

丸亀葉七子

特選句「水仙花景色を洗ひたてにする」。冬の寒さに咲き、ほっと心を癒される花。つんつん上へ向くこともなく、静かに凛と横向きに咲く。新しく心に期すものが生まれた。余分の無い言葉で一気に読みあげた句。特選句「父の忌の机明るしシクラメン」。父の部屋を開けた。大きな父の姿が見えた。窓から射す光はやさしく、おお、お茶か、、、と父の声がしたような、、、父恋の句。ひとりよがりの句は、読むのも苦手。良い発想を生かしきれない句を見かけることもある。 唯我独尊、拙い句評を、、、あしからず。 ♡選句の難しいこと。5歳の童に解るような作句を心がけているけれど自己満足に陥り読み手には、只の月並み、新しい発見も無い句でしかなかった。俳句とおさらばをしたつもりだったけれど、一年近く俳句の無い生活をしたが。野﨑さんが夢で手招きをしてくださった。老脳に鞭を打ち、初心に帰り俳句を楽しみたいと思います。

河野 志保

特選句「山茶花や言祝ぐような終わり方」。散り敷く花の最期は哀しくも鮮やかな、まさにお祝い。「言祝ぐような終わり方」の把握に惹かれた。山茶花の懸命さがいじらしい。

稲葉 千尋

特選句「初夢は千手観音ピアノ弾く」。歌にもあったが「もしもピアノが弾けたら」小生もピアノが弾けたらと思うことあり、千手観音が良い、華麗なる観音の指を思う。

川崎千鶴子

特選句「たましいの薄化粧のよう風花す」。「たましいの薄化粧」素晴らしい表現です。そこへ「風花」と結びつけるお力感服です。「木の葉散る足の立たない深さまで」。「足の立たない深さまで」に痺れました。この表現で深い山か森を想い描けます。素晴らしいです。

柴田 清子

特選句「初春や大きな木にはたっぷり空」。新しい年を迎えるにあたっての喜び、希望が、この「たっぷりの空」に、言いあらわされていて、清清しい気持にしてくれる新春の一句と思った。

疋田恵美子

特選句「白ナイル青ナイル春光老身を射ぬく(すずき穂波)」。長寿への感謝と、新春の喜びをおもう。特選句「屠蘇祝ふ白寿の母は麻雀好き」。高齢者の麻雀教室は多く、惚け防止に良いと聞きます。白寿の母上さまに乾杯。

野口思づゑ

今回は特選を絞りきれませんでした。「白ナイル青ナイル春光老身を射ぬく」。ナイルの大きさ、想像以上のスケールだと思います。そこでの春光に若ければ包まれる感触かもしれませんが、年配者には射ぬかれるような迫力なのでしょうか。「殺された方も殺している月下」。「戦争」などとオブラートに包まず、実態を伝える「相互殺人」と呼ぶべきだとつくづく思います。『根の国に別の「第九」の響けり』。キーウの地下避難場所でしょうか。早く地上で同じ第九が響きますように。「雪まろげ老人力に利子ついて」。プラス思考でいいですね。

中村 セミ

特選句「枯野原少年白き函として」。枯れ野原のような人間関係が、あるいみ、カラカラか、ドロドロかわからないが、そこへ、仕事をしにゆく、少年にバリアとして,持たされているものが、もし、あったとすれば、沈黙という白い函かもしれない。そうよみました。

川本 一葉

特選句「小さき鳥にならむと銀杏黄葉し始む」。素晴らしい表現だと思いました。まだ緑かかっている葉がやがて黄色の頂点に達すると、鳥になって羽ばたくつもりで。この続きのお話待っております。

野田 信章

特選句「履歴書を枯野明かりで書いている」。何かの節目に書く紋切型の履歴書ながら、「枯野あかりで」書くという口語調の修辞によって、この作者なりの心情を込めた明度のある句が生れていると読んだ。

三枝みずほ

特選句「初夢は千手観音ピアノ弾く」。千手観音の弾くピアノはどんな音色だろうか。このダイナミックさ、飛躍に、新しい年のはじまりが慈悲の心に満ちたものであるよう祈りを込めた渾身の一句。

田中 怜子

特選句「遅れます牛のお産で初句会」。大地に根を下ろした仕事を済ませ、手洗いして句会にはせ参じる。いいですね。なんか、荒々しい匂いもしてくるような。特選句「賀状書く宛名の友はまだ五歳」。なんか書く本人も照れているのでは。可愛いと思っている作者のほほ笑みまで見えるようです。

高木 水志

特選句「寒波つんつん安静の母の息」。「つんつん」という寒波の表現に魅力を感じた。作者のお母さんの息遣いと寒波という厳しさとの取り合わせが、空間的な広がりを見事に描いていると思う。

植松 まめ

特選句「氷塊の心を溶かす一句あり」。そのような句に巡り会いたいしそのような句を一句でも詠みたいです。特選句「父の忌の机あかるしシクラメン」。父親への愛の溢れる句。私も父が大好きだった。(反抗期の時は別だが)

太 郎

特選句「月蝕の世は掻痒の暗さ冬」。壮大な宇宙のショーに我慢出来ないやっかいな痒さ、明暗を持たせた所が一瞬のモノクロに、面白い飛躍。

吉田亜紀子

特選句「外套のするめがごとし帰還兵」。帰還兵のコートを「するめ」と表現している点が見事だと思う。「するめ」の色、質感、形。戦争に翻弄された精神状態まで感じることが出来る。特選句「手鞠撞きわたしも唄う二度生きる」。季語「手鞠つく」。新年の季語は、どこか厳かで清らかであると私は思う。そしてこの句は、人間味に溢れている。手鞠を撞く。その行動の最中に、「わたしも唄う」。ここで、スッと立ち上がるような人間の気配を感じる。そして、唄に加わる。けれどもそれは、力強いとか、逞しいという、頑強なものではない。繊細で、真っ直ぐ強く、美しい眼差しだ。

竹本  仰

特選句「殺された方も殺している月下(男波弘志)」。無限花序という言葉があります。花の咲く先にまた花がついてゆく、永遠を目指すがごときある種の花のつき方ですが、花でない生きものの私たちには生殺与奪があります。宮沢賢治「よだかの星」はそんな嘆きを基にした童話です。やはり何かを殺していなければ生きていけない我々の延長にまた戦争もあるのかと思い、あれも人間の生理と何ら変わらぬ事柄なのかも知れないとふと思います。そして小川国夫に「エリコヘ下る道」なる名作のあったことも思い出します。戦争と平和、という語順は意味深い。戦争があっての平和であり、その語順は崩れない。そんなことを様々思わせる作品です。特選句「源流の小さな宇宙初明り」。宇宙の始まりは芥子粒よりもずっと小さく、それは大きさとも言えない、たとえれば一瞬のひらめきなのかも知れないとはよく思うことですが、そういう始まりの始まりをストレートに出され、ちょっと慌てさせられたような句です。それでこういう視点は幼子の感性のものなのかなと、その純粋な感覚を羨ましく思いました。こんな小さなひらめきのために、生きてて、俳句などやってるのかなとも。サリンジャー「ライムギ畑でつかまえて」のあのホールデン少年の眼って、こんなのじゃなかったろうかと思いました。特選句「枯野原少年白き函として」。レマルク「西部戦線異状なし」は少年ゆえ何の価値観も持てないまま戦争だけを知っているという悲劇を語っていました。その中で、何の訓練も受けないに等しい少年兵はうろうろするだけで足手まといであり、ただ死ぬために来たようなものだ、とありました。この「白き函」はそのお骨の帰還だろうか。あるいは、めでたい出征の背後にちらっと見えた少年そのものの姿、つまり自分の「白き函」を抱えている様なのか。どちらとも受け取れ、枯野を白梅がよぎるが如き、鮮烈な印象を受けました。

桂  凜火

特選句「浦安舞ふ巫女のひとみや初日影(漆原義典)」。新春らしいすがすがしい句ですね。巫女のひとみと初日影の取り合わせに心惹かれました。

菅原 春み

特選句「綿虫やボク嘘なんかついてない」。綿虫という季語を得てアバンギャルドの句に昇華したような。特選句「声だれにとどくのですか雪虫」。声がだれにも届かないとはなんとも悲しい。雪が降る前に飛ぶ雪虫がいい。

薫   香

特選句「たましいの薄化粧のよう風花す」。ちらちらと降る雪は温かい場所で暮らす私にとって、なにか特別なもののように思えて清らかで、尊いように思えることさえあります。それがこの句で言い表されているように思いました。特選句「銀紙の板チョコぱりん冬日和」。冬の音ぱりんで思い浮かぶのは薄氷ですが、板チョコも寒い時期はぱりんと音がしますね。座布団一枚。その上銀紙がなんとも郷愁を誘います。

重松 敬子

特選句「わが家にも初日届けりこともなく(大西健司)」。下五が余分かなと思いますが良い句だと思います。世界中のどの家庭も幸せな一年であってほしい。

漆原 義典

「遅れます牛のお産で初句会」を特選とさせていただきます。中七 <牛のお産>と、下五<初句会>の調和が面白く、作者の日常が垣間見えてクスッと笑える楽しい句です。ありがとうございます!

石井 はな

特選句「身の内にサザンカの散るさようなら」。本当にサザンカの散り様は静かな別れの様だと思います。読んでいてはっとしました。

田中アパート

特選句「一月のぼむぼむ凡夫爆ぜなさい」。おもしろい。特選句「追い葱をどつと凍夜の肉うどん」。肉うどんね、ぜいたくな。「新宿の朝の芥を寒烏」。新宿ね。銀座の烏がまわったか。

松本美智子

特選句「旧約聖書の空をふくろう急ぎけり」。幸せの象徴である「ふくろう」が時空を超えて旧約聖書の時代に迷い込み,人類の過去から未来を見つめて「急がないと,大変だよ」とつぶやきながら飛ぶ姿を思い浮かべます。キリスト教もイスラム教もユダヤ教も仏教も・・・どんな宗教も乗り越えて人類は幸せを希求する希望を捨ててはいけないのだと思います。急げフクロウ・・・♡句会で話題にあがっていた句「アールグレイのぬるいは淫ら雪のひま」。選びませんでしたが,とてもオリジナリティのある魅力的な句だと思います。でも,「淫ら(みだら)」の字ずらがあまりにも鮮烈でエロティックなのでこの句の前で一歩立ち止まってしまいました。作者の言いたいことは分かるのだけど・・(私も甘い紅茶オーレなどのぬるいものはこのような感覚がするので分かります。)私なら「ぬるいはたるい」ぐらいの感覚かな・・・雪がとけて土がところどころ見えている感じもなんだか「たるい」です。でも,とても面白い句でした。

向井 桐華

特選句「水仙花景色を洗ひたてにする」。水仙の白で埋め尽くされた双海町の丘が浮かびました。「洗ひたて」の措辞がとてもいいなと思いました。

佳   凛

特選句「凍空や国境に武器ひしめきて」。あってはいけない戦争が未だ終わらず、しかも凍て空に武器が犇めいている。悲しい限りです.日本の平和のみを願ってはいけないのでしょうか?胸が痛くなります。早く終わる事を祈るのみです。

増田 暁子

特選句「地に還る熟柿や惨という勿れ」。命の輪廻が有るとしたら熟柿も他の命も傪では無い、と思いたい。現実は一生を全うした命とそうで無い場合の違いはあるが。特選句「雪うさぎという幸せをたなごころ」。ほのぼのとした良い句ですね。この平和が世界中にと願います。

山下 一夫

特選句「虎落笛ジャム煮る如く発熱す」。 ジャムを作るときの煮立った汁は確実に水の沸点を超えていて相当に熱いはずです。発熱はそれほどに深刻なのでしょう。虎落笛がそのただならぬ様や不安を醸しています。ジャムという素材の斡旋から、高熱を発した我が子を看ている母親の実感と見え、リアリティーを感じます。特選句「木を囃す夢半券の盧溝橋」。木を囃すというのは成木責のことで、果樹を責めてその年の多収を祈るまじない。妙な風習です。ところでこの句、季語で切れるのか、「木を囃す夢」で切れる二句一章なのか、ちょっと迷います。普通に読めば前者なのでしょうが、文字面が修飾語に見えて後者にも見えてしまいます。半券は美術館や観光地の乗り物の切符についてくるあれ、図柄は日中戦争の発端となった事件が起こった盧溝橋ということでしょうか。正直なところわかり切らないのですが、夢半券としても木を囃す夢としても「夢」が効いています。それぞれの語句に含みやそれを介しての繋がりがありそう、でも、わからないというところは夢の実態そのものと言え巧みと思います。ちなみに「版権」でもいただいていました。問題句「夜窓には魂だけがこちら見る」。無季句。「夜窓から」ならややスリラーながらわかりやすいが「には」で難題に。夜窓そのものに魂だけがいて、こちらを見ているというのだから、それは夜窓に映った自身の姿に違いない。それが魂というのであれば、こちらで見ている自身は何なのであろうか。かなりスリラーな句なのかもしれない。

藤田 乙女

特選句「身の内にサザンカの散るさようなら」。「さようなら」の言葉が言霊のように心に強く哀しく迫ってきました。「身の内に散るサザンカ」」との相乗効果でしょうか?喪失した愛の別れの決意のように感じました。『「希望」とは父ちゃんの船初日の出』。家族の温かさに気持ちがほっこりする句です。「希望」が父ちゃんの船の名前というだけでなく、舵を取る父ちゃんの船に家族みんなの希望が溢れているように感じられました。

稲   暁

特選句「凍空や国境に武器ひしめきて」。いつ終わるとも知れぬロシアのウクライナ侵略。悲しみも憤りも情況を変えることはできない。

管原香代子

「Amazonの箱を仮寝の兎かな」。Amazonと兎の組み合わせがおもしろいと思いました。「歳晩やオリオンの立つ海の空」。雄大な景色が目に浮かびます。

銀   次

今月の誤読●「夜窓には魂だけがこちら見る」。真夜中、わたしはふと目覚める。なにかの気配を感じたからだ。半身を起こして寝室を見まわす。もちろんだれもいない。モノの動いた様子もない。念のためにとカーテンを開けてみる。シーンとした闇のなかに、音もなく雪が落ちている。なんだこれのせいか。それにしてもこれしきのことで目が覚めるとは。わたしときたらよほど神経質にできてるようだ。苦笑し、再びベッドに横たわり、目を閉じる。と、そのとき、かすかな、それこそあるかなしかの声で「ごめんなさい」と言うのが聞こえた。だれ? わたしは横になったまま口のなかで言ってみる。しばらく沈黙がつづいたのち、またもや、ささやくような声が「あたし」と応える。妹の声だ。わたしは小動物を安心させるかのように、微笑みを声ににじませながら「どうしてあやまるの?」と訊いた。「だって、にいさんを残してあたしだけ先に……」「しょうがないよ、短命の家系なんだから」「そうね」「そっちはどうだい?」「大丈夫、とうさんもかあさんもいるから」「じゃ安心だ」「ええ」。そんな会話をしながら、わたしはいつの間にか、ベッドに腰掛け、カーテンを開け、雪を見ているのだった。妹が死んでまだ一ヶ月にも満たない。雪と雪がふれあい、こすれあい、妹の声となって、わたしにささやきかけているのだ。愛おしくてたまらない。こころのなかで、なにかがはじけたようだ。わたしは窓を開け放ち、妹を抱いてやろうと、身を乗り出す。

高橋 晴子

特選句『「希望」とは父ちゃんの船初日の出』。父ちゃんの船が「希望」というのだね。いいね。

大浦ともこ

特選句「選句集の薄く小さし冬すみれ」。他の人には取るに足らないものでも、自分には掌の冬すみれのように愛しいものってあるなぁと思う、そんな気持ちが伝わってきました。特選句「雪うさぎという幸せをたなごころ」。雪うさぎという幸せをという表現とたなごころという優しい言葉が響き合って温かい気持ちになります。”を”も効いています。

野﨑 憲子

特選句「山茶花や言祝ぐような終り方」。長引くロシアのウクライナ侵攻からもうすぐ一年。今年こそ平和的な解決を願うばかり。そういう思いをこの作品から痛烈に感じた。散りながら咲き続ける冬の華の斡旋が見事。自句自解「雪うさぎ幼馴染の夫婦(めをと)かな」。新年早々、夫の親友の奥様が胸の大動脈乖離で急逝された。古澤眞翠さん。「海程香川」に参加し、何度か吟行にもご一緒した。ご主人とは、小学校の級長と副級長時代からのお付き合いという。    合掌。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

にらめっこマスクをとらぬ君の嘘
藤川 宏樹
嘘ばかりつく優しいこ冬苺
大浦ともこ
酔えば窓はみ出してゆく嘘ひとつ
三枝みずほ
貴方の嘘に遅刻する土瓶蒸し
中村 セミ
嘘ふたつ重ねてまこと春近し
銀   次
初恋はくれなゐの羽根って嘘ピョン
野﨑 憲子
パン捏ねる背ナに嘘なき小春の日
中野 佑海
風花
人かばううそや少女は風花す
三枝みずほ
風花す鏡の奥のさらに奥
柴田 清子
風花や一瞬の痛み水のあと
銀   次
風花を追いかけ鬼ごっこの途中
松本美智子
空は深海サクラダファミリアの風花
野﨑 憲子
爪切って祖母の数える日向ぼこ
中野 佑海
バーガーの歯形深爪冬の果
藤川 宏樹
千の爪も風花も呑み込んで鬼
野﨑 憲子
朝刊に父の爪摘む小六月
大浦ともこ
二月
ニン月の鳶が笛吹く雨くるぞ
野﨑 憲子
十五歳チョコの苦きを知る二月
大浦ともこ
ハミングのほどけ二月のうさぎかな
三枝みずほ
ニン月の波は光よひかりは波よ
野﨑 憲子
冬深し
みどりこのひとりねがへる春となり
大浦ともこ
冬深しねじ巻き時計の色変わり
中村 セミ
残照のなかの潮騒冬の果
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

令和5年初句会の作品集を紹介させていただきます。今回も、多様性に満ちた魅力あふれる作品がたくさん集まりました。ご参加各位と共に、本年も、ますます自由に熱く渦巻いてまいりたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

21日の高松での句会は、気が付けば終了時間の午後5時を一時間近く過ぎるほど盛会でした。会場主の藤川宏樹さんのご厚意に感謝感謝です。それから、コールサック社から董振華編『兜太を語る』が上梓され、私も寄稿いたしました。ご一読いただけたら幸いです。

2022年12月4日 (日)

第134回「海程香川」句会(2022.11.19)

月兎.jfif

事前投句参加者の一句

琵琶法師語り語(がた)りに風の花 飯土井志乃
ヌードの手は母なんです文化祭 藤川 宏樹
真つ直ぐに進め銀河鉄道まで 島田 章平
間近では届かぬ思い金木犀 中野 佑海
梟や風が変われば逢いに行く 松本 勇二
小六月絶対飛ぶ気の鶏のゐて すずき穂波
待ち合はせ無いです恋も柿の実も 谷  孝江
空元気今日も生きるぞ烏瓜 稲葉 千尋
月命日竜胆一枝活け足して 山本 弥生
鮭己が体液に沈みかえらぬ 十河 宣洋
浜菊や海女の径へとよじれ咲く 樽谷 宗寛
月耿々アルハンブラの憂愁よ 山田 哲夫
つゆ草の青より碧し仁淀川 薫   香
耶馬台国の秋見にゆくと言い遺し 岡田ミツヒロ
リュウグウや露一粒の宝箱 塩野 正春
すすき原すすき一本づつ二人 淡路 放生
心音を確かむ夜の初時雨 佳   凛
はないちもんめ端っこの冬すみれ あずお玲子
大落暉沙上の火櫓影長し 滝澤 泰斗
味もない夏秋苺が横になる 中村 セミ
覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西 瞬夏
林檎半ぶんゴリラは友達社会だな 増田 暁子
榠樝の実落ちて居場所のなかりけり 伊藤  幸
一叢の風と芒を持ち帰る 大浦ともこ
水澄むや子はスプーンを離さない 竹本  仰
駈け降りる兜太の足音秋の山 疋田恵美子
靴脱いでこども図書館冬ぬくし 菅原 春み
遠花火青春の思ひうらぶれる 佐藤 稚鬼
ハロウィンの仮装憧れの自分のよう 野口思づゑ
甘えたき母は遺影や枇杷の花 植松 まめ
地球から野菊消えるという幻覚 森本由美子
ウィルスの変幻自在冬の空 石井 はな
十一月の雨やうなぎが待つてをり 高橋 晴子
感情は捨て透き通る秋の川 川崎千鶴子
惑星食は大空のキス冬の宵 漆原 義典
マヒワ来よ脱走兵の肩に乗り 新野 祐子
猫と寝て猫温かき良夜かな 稲   暁
ダボダボの礼服ゆらし七五三 佐藤 仁美
満月や最終電車の小さきこと 銀   次
息をせぬ全ての兵士星月夜 山下 一夫
封切れたように落葉雨 生きよう 若森 京子
笑ひ皺一本増やし冬に入る 亀山祐美子
自分史の滲み広がる柿落葉 藤田 乙女
兜太なき世の日雷さま裏山に 野田 信章
虫と棲む生活一部始終かな 桂  凜火
人体は仏のかたち秋落暉 津田 将也
余命告知のAI冬田広がりぬ 大西 健司
無一文一片ありぬ秋の雲 鈴木 幸江
もなはなや まはやらやらら たのゆはや 田中アパート
太宰読む薄刃のごとき秋夕焼 松岡 早苗
一切をこめて写経の冬日向 向井 桐華
難民ドキュメンタリー鑑賞中冬の虫 豊原 清明
あかまんまあえてでこぼこあるきたい 福井 明子
神の留守嫌いの中に好きもあり 川本 一葉
病名は肺マック症秋の風 野澤 隆夫
秋の日や嫁ぐ姉より「国語辞書」 吉田亜紀子
牛スジを煮込んで夜を開けている 吉田 和恵
てのひらに小さきサーカス散紅葉 増田 天志
柿の葉が散って了って放哉句集 久保 智恵
太古の海牛漂ふ多摩川(かわ)や草紅葉 田中 怜子
君ことりと戻る骨は雪のよう 夏谷 胡桃
憂国忌赤いスープに舌を焼く 三好つや子
山装う父と繋ぐ掌楽のごとし 河田 清峰
独白の途中に落ちるどんぐりよ 河野 志保
霜月や棘もつ果実と月蝕と 重松 敬子
小鳥来るはみ出る癖の仲直り 高木 水志
一棹の母の燻しの小六月 荒井まり子
知恵の輪の元に戻らぬ夜長かな 菅原香代子
体内に育てし骨と冬に入る 月野ぽぽな
山茶花の白に心を明け渡す 柴田 清子
廃校のシンボル銀杏誰がために 三好三香穂
またひとり紅葉の山の神隠し 榎本 祐子
理科室のシンクに蠅よ秋深む 松本美智子
東雲と夜を捨ててきた月と 佐孝 石画
焚火して手になじみゆく生命線 三枝みずほ
蛍籠揺すれば溶ける胃の薬 小山やす子
赤とんぼ親という字の書き順を 男波 弘志
こだわりと言う不発弾冬に入る 寺町志津子
ドニエプルも仁淀も青し冬の川 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「靴脱いでこども図書館冬ぬくし」。冬の寒い中に、ほのぼのとした景。こども図書館は、畳だったり、カーぺットが敷いてあったり。「靴抜いで」というのが、あたりまえのようでいて、発見である。力みがなくて、気持ちのよい一句。

増田 天志

特選句「黒色火薬つまめば冬の蝶翳る(大西健司)」。黒と翳とが、ダブッているが、火薬と冬蝶との着想は、素晴らしい。つまむのは、良いが、つまめばは、因果関係が、出過ぎる。

福井 明子

特選句「榠樝の実落ちて居場所のなかりけり」。家から遠景に見える空き家の庭に榠樝の実が一面に落ちています。主がいないのに漂う香りが、妙にこの句の思いと重なります。特選句「一切をこめて写経の冬日向」。写経をしたことはありませんが、きっと背筋をピンと張り、精神の一切を研ぎ、向かうのでしょう。冬日向が至福の時を醸し出しています。

十河 宣洋

特選句「惑星食は大空のキス冬の宵」。先日皆既月食と天王星食が報じられた。残念ながら雲が掛かっていて私は見れなかったが、その雲の合間に見たという人もいた。惑星のキスの捉えは面白い。スケールの大きな.キスだなあと感心している。特選句「君ことりと戻る骨は雪のよう」。寂しい気持ちが出ている。遺骨の軽さと白さが実感となって迫ってくる。問題句「なえはたな なまひあらはば かてあはな(田中アパート)」「もなはなや まはやらやらら たのゆはや」。作者のひとり遊びになっていないだろうか。伝達性が薄いように思う。試みとして、意欲を買う。

松本 勇二

特選句「蛍籠揺すれば溶ける胃の薬」。胃痛に悩まされた人にしか分からないかもしれないが、少しでも早く薬に効いてもらいたいので揺するのだ。季語は季節外れだが、身体感覚溢れる一句。

川崎千鶴子

特選句「君ことりと戻る骨は雪のよう」。ご主人がお骨になって机に安置するとき「ことり」と音がされたのでしょう。大変お寂しい事です。「自分史の滲み広がる柿落葉」。青葉から紅葉にそして落葉になって行く柿の葉を「自分史の滲み」と表現されたことに感嘆です。

津田 将也

特選句「小六月絶対飛ぶ気の鶏のゐて」。季語「小六月」の多くは、「小春」「小春日」で使われる。俳句では、今の暦の十一月半ば過ぎから十二月初めごろを想定している。激しい風も吹かず、雨も少なく、温和な春に似た日和が続く。秋の名残と、厳冬への逡巡の間に、ぽっかりと訪れる和やかさである。鶏が、「空を飛びたい」との意欲を湧かすのも、「小六月」の和やかさゆえと納得できようか。特選句「浜菊や海女の径へとよじれ咲く」。「浜菊」は、東北地方の太平洋特産海岸植物の一種で、キク科の多年草である。秋に中が薄みどりで、その周りが白い花をつける。また「秋牡丹」という呼名もある。「俳句季語よみかた辞典(日外アソシエーツ)」には季語として収録があるが、その他の歳時記には季語としての記載がない。花言葉が「逆境に立ち向かう」とあったので、句の「よじれ咲く」の、作者の、ここへの着目がすばらしい。

小山やす子

特選句「笑ひ皺一本増やし冬に入る」。今年一年大いに笑った主人公。厳しい冬が来る中を乗り越えて行く姿がいいです。

樽谷 宗寛

特選句「朝寒の空に大鯛朱のうろこ(福井明子)」。寒い朝嬉しい発見ですね。色、形、鯛の姿まで想像できました、また幸さきの佳きお句でした。

山田 哲夫

特選句「覗き込み秋の鏡に入れてもらふ」。日常のどうと云うことも無い人の動きを取り上げた句だが、鏡の景の中にわざわざ意識して「覗き込み」入れてもらおうとすることに俳人らしい作者の遊び心の有り様が窺われて、面白いと思った。

夏谷 胡桃

特選句「靴脱いでこども図書館冬ぬくし」。ちいさな図書館の窓から陽が差し込み、子どもが床に座り込んで本を読む。そんなあたたかな場面がポッと浮かんできました。

月野ぽぽな

特選句「てのひらに小さきサーカス散紅葉」。色鮮やかな一枚がくるくる回りながら手のひらに着地。そんなイメージがやってきました。小さきサーカスがマジカルです。そう、人の想像力も含めて自然の営みはマジカルなのです。

豊原 清明

特選句「浜菊や海女の径へとよじれ咲く」。「よじれ咲く」が、海女の腰も重なって、面白いと思う。特選句「耶馬台国の秋見にゆくと言い遺し」。ロマンかも知れない。「耶馬台国の秋見にゆく」が良いと思う。問題句「息をせぬ全ての兵士星月夜」。「全ての兵士」が息をせぬ。分かる気がする。しばらく続く戦争ニュース見る行為。見ないといけないと教えられる。

田中 怜子

特選句「ダボダボの礼服ゆらし七五三」。映像が浮かびます。お母さんに手を引か れ、晴れがましく歩いている坊やの姿が。可愛いですね。日本の喫緊の課題は少子化。子供を大事にしよう。その親子を見ている側の優しさも感じられます。特選句「人体は仏のかたち秋落暉」。この風景を見たことあります。人間の形が落暉を受けて、燃え上がるろうそくの炎のように揺れている姿を。 ♡世界の人々が目撃する、ロシアのウクライナへの侵攻。そして日本では、元首相の暗殺からまあなんと芋ずる式に、政治がいかにカルトに汚染され、そしてなんと騙されやすい国民なのか。それが露呈された2022年で、落ち着かない年だった。私たち、もっと賢くならなければね。皆様、来年こそ、ウクライナ停戦がなされ、政治の世界も我々も賢くなることを望みます。もちろん、スーダン、アフガニスタン、ミャンマー等に平和がきますように。

石井 はな

特選句「靴脱いでこども図書館冬ぬくし」。個人の開いているこども図書館なのでしょうか、靴を脱いでリラックスして本をめくったり読み聞かせに耳を澄ます子供達が浮かびます。 冬ぬくしが場の雰囲気を伝えていると思います。

河野 志保

特選句「焚火して手になじみゆく生命線」。焚火を手に受け、その温もりにふと自らの生命を感じた作者。人生を穏やかに肯定する境地が察せられる。「手になじみゆく」の把握が光る。

男波 弘志

「封切れたように落葉雨 生きよう」。感情が堰を切ったとき生きると誓った 生きよう 生きよう そう 思う 特選です。「水澄むや子はスプーンを離さない」。この世界が観えているのは水と子供だけだろう。虚の世界とはそういうものであろう。秀作です。

三好つや子

特選句「君ことりと戻る骨は雪のよう」。愛する人が荼毘にふされ骨となって、家に戻ってきたときの、言いようのない淋しさを感受。とりわけ「ことりと戻る」という表現が、深く心に刺さった。特選句「素とも性とも揺れている夕芒(若森京子)」 あれこれ考えて、心が定まらない自らを俯瞰しているのだろうか。風にそよぐ芒と曖昧な心模様とが響き合い、妙に惹かれる。「席順はコスモス紫苑泡立草」。初秋、仲秋、晩秋に咲く花を通して、中学校や高校でよく見かける少女像がくっきり浮かび、注目した。「隣家から首がでてくる皆既月食」。十一月八日、月食中に天王星食も起こる、珍しい皆既月食を見ようと、窓から首を出している光景に、ほのぼの感が止まらない。

中野 佑海

特選句「心音を確かむ夜の初時雨」。朝晩めっきり寒くなり、時雨が降ってくると、一段と心許なく、布団に潜り込む。いっそう心拍が大きく聞こえる。少し不安な一人寝の夜か。年をとると、余計なものが聞こえる気になる。特選句「泣き顔はセーターのなか小宇宙(三枝みずほ)」。大きな声で泣ける人は幸せです。自分一人で何でも抱えて。此方の胸が痛くなります。「琵琶法師語り語りに風の花」。琵琶法師の語りは風が語っているような不思議な魅力。「梟や風が変われば逢いに行く」。風向きが変わらなければ逢いには来てくれないのですね。「尋ねたら返事もしてね土竜の頭」。Yes,Sir.先生は怖いです。ちょっと図に乗って、返事しようものなら、バーンて。「花野から飛び出す僕ら古代人」。縄文時代の人たちは自由に楽しく自立して暮らしていた花野から、どうして飛び出したのかな。「笑い皺一本増やし冬に入る」。家族楽しく温かく良いですね。「あかまんまあえてでこぼこあるきたい」。赤まんま。子供のころはよく取って、プチプチしてたけど、もう、咲いていても、気にもとめなくなって。でこぼこした人生歩いてきたな。「知恵の輪の元に戻らぬ夜長かな」。とりあえず手持ち無沙汰で知恵の輪などいじってみるけど、心は此処に無く。もしかして、元に戻らぬのは貴方と私?早くごめんなちゃいしちゃいなさい。言ったもん勝ち。「五時間目どんぐり独楽の競い合い」。もういい加減、授業は疲れます。どんぐり独楽を回して回して。頭も回して回して。幾ら頭回しても振っても、俳句は降って来ませーん。

稲葉 千尋

特選句「息をせぬ全ての兵士星月夜」。何んと辛い句。上五中七が全てを語っている。ウクライナだけではない。世界の至る所を思う。

菅原 春み

特選句「余命告知のAI冬田広がりぬ」。AIが余命告知するのでしょうか? 近未来のはなしか現実か、寒々としたリアリティのある光景です。特選句「憂国忌赤いスープに舌を焼く」。三島忌の赤きを愛す馬の鞍を彷彿させるような、けれどもさらに舌を焼くとは、形容がみごとです。

藤川 宏樹

特選句「秋の日や嫁ぐ姉より「国語辞書」」。主演・原節子、助演・笠智衆の小津映画を見るような、秋の晴れやかな日が想起されます。「国語辞書」に意表を突かれました。

鈴木 幸江

特選句「諦めともちがう覚悟一茶の忌(伊藤 幸)」。“諦”という漢字の字義は「つまびらか、あきらか」である。そこから、明らめる、思い切る、仕方がないと断念するという意味へと変化していった。そんな字義の変化を踏まえての一句として鑑賞したい。すると“覚悟”の意味も仏教用語としての「迷いを去り悟ること」とも解せる。もちろん、諦めて観念して強がっているような世俗的な解釈も味わいたい。でも、聖と俗を常に意識し、その対立が融合する場に発生する「美」を探究していた俳人として、小林一茶を評価している私には、「悶え神」のような一茶像が勝手に浮かび上がってくるのだ。勝手に共鳴して特選にさせていただいた。

塩野 正春

特選句「はないちもんめ端っこの冬すみれ」。はないちもんめ・・よく遊びました。 私は女兄弟の男ひとり、いつも数合わせに誘われ、隅っこでした。歌が続く中、はたして連れていかれるのやら心配したものです。 “端っこの冬すみれ“がそんな不安な気持ちをさらっと取り去ってくれます。ノスタルジー甦ります。特選句「人類を出られぬ人類龍の玉(三好つや子)」。遺伝子が続く限り、且つ地球がある限り人類は人類にとどまりますね。この嫌な世を抜け出すとしても次に人が帰ります。 地球上の生命全てが同じ境遇で抜けられない状態です。龍の玉がその循環を監視する怖い目です。かっての自作:啓蟄や吾ホモサピエンスヒト科なり としましたが、これは人類を自慢しているわけで、人類から抜け出せない人類とは対照的な表現です。俳句は面白いですね。自句自解「りゅうぐうや露一粒の宝箱」。巨額の探査機でようやく小惑星から持ち帰った砂に露、水がありました。宇宙には地球以外の生命が存在するかもしれない。夢があります。「霜月や稻むらの火を永久(とわ)共に」。安政の大地震と津波の情報は既にヨーロッパにも知れ渡っていました。津波への警戒は世界中に必要な対策です。いなむらに火をつけ万人に知らせた知恵に感激です。

滝澤 泰斗

特選句「憂国忌赤いスープに舌を焼く」。その熱さに気付かず啜ったボルシチと憂国忌の取り合わせに新鮮味があり。自分の中で、三島の評価がまだ定まっていないところを指摘されたような一句。特選句「君ことりと戻る骨は雪のよう」。ここの君は、私にとっては母親。癌を患い骨太だった母の遺骨も蝕まれたからだは無惨。命日が十月で近く、殊の外、共感。共鳴句「諦めともちがう覚悟一茶の忌」。確かに、一茶の句には、この句のとおり、覚悟が感じられる。「月耿々アルハンブラの憂愁よ」。谷を挟みアルハンブラの宮殿が満月に浮かぶ時、栄華を誇ったイスラムの悲哀が浮かんでくる。「駈け降りる兜太の足音秋の山」。秋の山は長崎の稲佐山か・・・何につけても、思い出される兜太師ではある。「黒色火薬つまめば冬の蝶翳る」。二物衝撃。自分には書けない一句だが、こころに残る。 

増田 暁子

特選句「てのひらに小さきサーカス散紅葉」。てのひらに紅葉が散り落ちて風に踊ってる景が見えます。サーカスが素晴らしい。特選句「焚火して手になじみゆく生命線」。焚火の暖かさにほっこりとした様な、焚火の赤に元気をもらった感が生命線と表して上手いですね。

淡路 放生

特選句「余命告知のAI冬田広がりぬ」。傘寿を越えた老いに取って、AIの余命告知など空々しい。とは言え<いのち>のことである。冬田の広がりの中に自分を置いてみるとき、AIのはじきだした余命に納得ではなく、のみこめる自分がいるかも知れない。広々とした冬田の景が、妙に懐かしく、暖かい。

あずお玲子

特選句「主人公と同じ髪型神無月(亀山祐美子)」。ずっと気になっている主人公。同じ髪型にしてくださいと思い切って言ってみる。今ちょうど、神様はお留守だから。ショートストーリーが書けそうです。

薫   香

特選句「秋の蝶ことばはときに邪魔になる(夏谷胡桃)」。蝶は人の生まれ変わりだと聞いたことがあります。今日は誰が逢いに来てくれたのかいろいろ思いを巡らせていると、ことばは要らなくなり、ただ「ありがとう」と。特選句「一切をこめて写経の冬日向」。最近習字を再開しました。小学校以来なので、五十年ぶりです。お手本を見ながら集中しているひと時は、全てを忘れ全てを込めているような気がします。♡初参加の弁:最近写真も再開しました。その時々の感動を切り取り誰かに伝えたくて続けています。一瞬を切り取るのは俳句と同じで、十七音で広がる世界を楽しんでいきたいと思います。よちよち歩きのみにくいアヒルの子が白鳥になれる日まで、温かく見守っていただければ幸いです。

若森 京子

特選句「耶馬台国の秋見にゆくと言い遺し」。女王卑弥呼が支配した耶馬台国の秋を見に行くと云って帰らぬ人。不思議な魅力がある一句。九州地方か畿内地方か分からないがロマンがある反面、謎めいている。下五の「言い遺し」の措辞にふと遺言の様な気もした。特選句「余命告知のAI冬田広がりぬ」。医学は日進月歩で現在はAIによって全て判明し余命告知もされてしまう。命も機械に支配される現在へ、古代から人間によって耕されてきた冬田が広がる索漠感との対比が明解で深い。

高木 水志

特選句「封切れたように落葉雨 生きよう」。先日、僕の母方の祖父が亡くなった。亡くなる二日前に病院へお見舞いに行って、僕が頑張っていることを祖父に話した。祖父はまだまだ生きていこうと思っているのが枯れ枝のような体中に現れていた。最後の最後まで自分の道を貫いた祖父だった。この句は、自分の役割を知りながら次の世代に思いを託す落葉が祖父の最期の姿と重なって心に沁みた。

柴田 清子

特選句「小六月絶対飛ぶ気の鶏のゐて」。飛べない鶏が、春のように暖かい、こんな日は、この羽根で思い切り飛ぶことにする、飛べるんです。そんな事になる、この句の作者自身が、小六月日和を充分に賜っているから出来た句、特選としました。

島田 章平

特選句「一叢の風と芒を持ち帰る」。「一叢の風を持ち帰る」の修辞が素晴らしい。 問題句2句「なえはたな なまひあらはば かてあはな」。「もなはなや まはやらやらら たのゆはや」。返句「ははははは ははははははは ははははは」。

山本 弥生

特選句「待ち合わせはここよこの樹よ落葉道(野﨑憲子)」。久し振りの故郷、記憶のままの旧道の落葉道に子供の頃よく待ち合わせた樹も大きく成長しそのままの位置に在り立ち止って「只今」と挨拶をしている姿が目に浮かぶ。

疋田恵美子

特選句「憂国忌赤いスープに舌を焼く」。ロシアのウクライナ侵攻等に、国の現状将来に心を痛める日々。昼食の熱いスープ。

川本 一葉

特選句「榠樝の実落ちて居場所のなかりけり」。なぜこの句に惹かれるのか。すみませんわからないのです。寂しさや虚しさ遠慮、薄緑、木陰、とにかく見過ごせない引っかかる言葉が頭を掠めるのです。

大西 健司

特選句「笑ひ皺一本増やし冬に入る」。小品ながら滋味深い句を佳とした。暗いニュースの多い昨今笑い皺が増えるような、そんな日々を送りたいと願うばかり。

榎本 祐子

特選句「月耿々アルハンブラの憂愁よ」。アルハンブラ宮殿の栄枯盛衰へと思いは馳せる。時を経ても月は変わることなく光を投げかけている。美しい景。

重松 敬子

特選句「あかまんまあえてでこぼこあるきたい」。なかなかの人生訓ですね。季語がぴったり。これからも、でこぼこ、歩いて行って下さい。

新野 祐子

特選句「琵琶法師語り語りに風の花」。琵琶法師のうら悲しい語りひとつひとつに風花が舞う。何て幻想的でしょう。こんな光景を作れる俳句の力ってやっぱりすごいです。「風花」を「風の花」と言ってもいいかわからない私です。「空元気今日も生きるぞ烏瓜」。大変な世の中で生きるのは楽ではないけれどがんばって生きましょう。末枯れの中のまっ赤な烏瓜が励ましてくれます。

河田 清峰

特選句「地球から野菊消えるという幻覚」。地球上から戦争が無くならない現実が哀しくなる。

松岡 早苗

特選句「君ことりと戻る骨は雪のよう」。「雪のよう」という比喩に惹かれた。命のはかなさと美しさが抑制された悲しみの中に滲んでくるように感じた。特選句「湖に夏鴨わが遊俳の友三人(野田信章)」。涼やかな旅情とともに、俳句を人生の友として自由に楽しんでいる作者の心の充実感が伝わってきた。友との絆と俳句愛が清々しく詠まれていて素敵。

田中アパート

特選句「ツナ缶を開けて秋日の浅き傷(松岡早苗)」。あぶない、あぶない、気をつけないと、カミさんによく云われてます。特選句「牛スジを煮込んで夜を開けている」。牛スジ煮込むときた。うまいんですよ、牛スジカレー?

植松 まめ

特選句「山茶花の白に心を明け渡す」。初冬のひんやりとした空気のなか咲く山茶花が好きです。中でも白が特に好きです。白に心を明け渡すという表現にひかれました。特選句 「憂国忌赤いスープに舌を焼く」。憂国忌をはじめて知りました。三島由紀夫の命日との事。赤いスープに舌を焼くの表現も凄いと思いました。

伊藤  幸

特選句「てのひらに小さきサーカス散紅葉」。散紅葉の舞い散る姿を小さきサーカスと表現するとは「参った!」としか言いようがない。拍手です。

飯土井志乃

特選句「空元気今日も生きるぞ烏瓜」。隣家の庭に烏瓜が一個出現。たわむれに小枝でつっつくと勢いよく跳ねる。何度でも何度でも律儀に跳ねて、この婆を喜こばせてくれる。「あそびをせんとやうまれけむ」この秋出来たてホヤホヤの遊び相手である。

竹本  仰

特選句「覗き込み秋の鏡に入れてもらふ」選評:水面に映る風景は、肉眼でとらえる風景より鮮明である。これは鏡も同じことだろう。鏡の中には現実以上に鮮明な秋の陽に浮かびあがった世界が見える。ここに入らない手はない。日常のすぐ向こうにある反日常の何がしかに見えているのは何だろう。梶井基次郎がかつて一夥のレモンを手にとった時、たしかにみえていた命の重さの場所ではなかったか。日常のアンニュイゆえに渇望される場が一瞬見えており、今を逃してはもう行けない。これって芸術への扉?そういうワクワクな句かと思った。特選句「マヒワ来よ脱走兵の肩に乗り」選評:泣かせる句だなと思う。なぜかストーリを読ませるものがある。或る映画の鮮烈なワンカットを感じた。しかし実際、脱走というのはかなりむつかしいものらしい。高野山の管長であったW氏なる人物は先の大戦の際、特攻隊の出撃につかねばならなかったとき、壮大な空想的計画を実行したという。特攻機の群れが雲海に入った時、故障を装い一機離脱するというものであった。しかし、行っても見ない済州島近辺に、燃料の無い機体でしかも海に不時着なんて、素人の手に余る夢想を超えた無謀としか言いようのないことをやってのけたのである。これに類することを脱走兵はするのだろう。だが、それは平和を希求するあまりの涙ぐましい努力である時、勲章のようにマヒワが肩に降りてきたのだ。母ちゃん、おれ、帰ったぞ。この一言を言うための今を。特選句「封切れたように落葉雨 生きよう」選評:長年つきあった恋人との別れのようなそんな場面を勝手に想像して読んだ。ガサッと落ち尽くしてくる木の葉の中にあらゆる言葉をしのばせて、歩き去る。歩くしかない。風立ちぬ、われ生きめやも。キャロル・リード『第三の男』のラストシーン、五輪真弓の歌の一節のように、思いっきり俗っぽく味わいました。 ♡もう今年の句会も終わりですか。混沌のさなかに身をさらしつつ、そして、またまた悔いを残しつつ。でも、それが人生なんでしょうね。みなさん、来年もよろしくお付き合い、お願いします。

森本由美子

特選句「虫と棲む生活一部始終かな」。新鮮なライフスタイルの一面の考察です。少々害があっても命を尊重して見逃すべきか迷いながら楽しみながら共存していくのでしょうか。明日になったら忘れるかもしれませんが。

野田 信章

特選句「神の留守嫌いの中に好きもあり」。「神の留守」と呟くほどに、陰暦十月の大気と綯い交ぜになって、ある空白感を覚えるときがある。この句の中句以下の述懐も、この作用あっての心奥の表白かと読んだ。唐突とも言えるこの季語との配合によって、普段の心の有り様を如実に伝えてくれる。

三枝みずほ

特選句「こだわりと言う不発弾冬に入る」。こだわりは個人を支えるものであるが、他者に理解されないものでもある。もはや不発弾として身体におさめるしかない。だが長い時間の経過とともに不発弾に変化が起きるのも、こだわりの、人間の、面白いところではないだろうか。

野澤 隆夫

特選句「空元気今日も生きるぞ烏瓜」。何だか小生の日々の生活を鼓舞してくれてるようです。日々、空元気を糧に頑張らなくちゃの小生!烏瓜の赤色がしめてくれてます。特選句「笑ひ皺一本増やし冬に入る」。一昨日だったかBSのアーカイブで向田邦子の『阿修羅のごとく』、懐かしく見ました。四人姉妹の会話に大笑い!数本しわが増えたかと。また冬が来ました!

松本美智子

特選句は「一粒の露に宿りし星も消ゆ(鈴木幸江)」。とてもきれいなストレートな句だと感じました。小さな一粒の露にも命のかけらのようなものを見出し時間とともに消えていく、一瞬を美しくとらえられた句だと感じます。「体内に育てし骨と冬に入る」。の句に惹かれましたが「骨」のところ「肉」「鼓動」いろいろ私なりに入れ替えてみて作者の方はなぜ「骨」を選んだのか気になりました。

中村 セミ

特選句「たましいは淵に集まり暮早し(松本勇二)」。この人のこの何日かで、大切だと思われる事は、沈み行く毎日の夕焼けが、地平線に堕ちるが如くに、消えていくように、魂が、そこにあつまり、燃え尽きていくようだと,勝手に読ませていただきました。問題句2句「なえはたな なまひあらはば かてあはな」。「もなはなや まはやらやらら たのゆはや」。はどちらも、何かの宗教の呪文のようによめ、面白いと言えば面白いが、意味がない。

三好三香穂

「空元気今日も生きるぞ烏瓜」この秋、大勢の知人が鬼籍に入られた。葬儀は少しご案内があるものの、お別れができた方は数える程。死ぬまでは生きる、そんな境地です。烏瓜の繊細な花、ぼってりした実、口に入れた粒つぶ感など、思い出しながら、味わわせていただきました。「覗き込み秋の鏡に入れてもらふ」。覗き込んで、鏡に入れてもらう‥という表現が面白い。ただ、春夏秋冬、どれがふさわしいのかはわかりません。

桂  凜火

特選句「太宰読む薄刃のごとき秋夕焼」。太宰治が好きだった若かった頃のほろ苦い感情を想起させられました。秋夕焼の比喩としての薄刃は意外性があり、でもなぜがぴったりきますね。薄雲のせいかしら。

漆原 義典

特選句『秋の日や嫁ぐ姉より「国語辞書」』。わたしが子供時代に使っていた実家 の本棚の情景で懐かしいです。秋の日、国語辞書が古き良き時代を上手く表現しています。しんみりとなりました。素晴らしい句をありがとうございました。

大浦ともこ

特選句「靴脱いでこども図書館冬ぬくし」。靴を脱いで使う図書館のいかにも親しみ深い様子が懐かしく微笑ましい。”冬ぬくし”という季語がしっくりときます。特選句「泣き顔はセーターのなか小宇宙」。幼い子だろうか、それとも案外いい年の人だろうか....下五の”小宇宙”に驚いてのち納得させられました。

岡田ミツヒロ

特選句「無一文一片ありぬ秋の雲」。惨めな状況を秋の光の中に描写し、サラッと品位のある一句とした。♡初めて参加します。岡田と申します。兵庫在住。うどん好きのさぬき人です。懐しい故郷とのご縁、嬉しく思っております。野﨑様はじめ皆様よろしくお願い致します。

吉田 和恵

特選句「もなはなや まはやらやらら たのゆはや」。煙に巻かれたような、こんな感じって結構好きです。私的に解読しました。世はカオスいともゆかしき猫の鼻。 エエッ!ちがうんですか⁉

山下 一夫

特選句「ヌードの手は母なんです文化祭」。ヌードといっても肩脱ぎのような部分の写真でしょうか。だから、間に合わせに協力してもらった母とはわからないのでしょう。どこかおとぼけ感やちぐはぐ感が漂い、ほのぼのとした空気が伝わってきます。特選句「泣き顔はセーターのなか小宇宙」。セーターが効いて柔らかく暖かに保護されて自由な私的空間を描き出されています。上五中七下五が絶妙のバランスで素敵です。問題句「ハロウィンの仮装憧れの自分のよう」。 憧れの自分とは自分の理想像であろうか。それがハロウィンの仮装であるとは。所詮自分の理想像とは不気味あるいは滑稽な思い込みとの自嘲であろうか。どうもわからないが目を惹かれる句である。いっそのこと「のよう」は省いてはどうであろうか。 ♡コロナ第8波との報道が多くなりましたが、どうも子どもの年を数えるような、いつの間にかそんなに成長したかとの感慨を持ってしまいます。予防接種も3回目4回目は比較的短期間にそんなに打って大丈夫かと躊躇したものですが、先ごろ5回目の接種券が届いたときは、接種が年末になると面倒なのでさっさと済まそうとばかりに手際よく予約の電話をしてしまいました。まったく慣れというのは恐ろしいです。ウクライナを始め、慣れてはいけないものに思いを致しつつ過ごしたいです。日増しに寒さも増してくる時節となりました。くれぐれも御自愛の上お過しくださいませ。

稲   暁

特選句「榠樝の実落ちて居場所のなかりけり」。今の私の心境そのものを代弁してくれているような作品です。

銀   次

今月の誤読●「牛スジを煮込んで夜を開けている」。夜。わたしは誰かを待っている。誰かというのはあくまで誰かで特定の人ではない。ぶっちゃけ飲み相手になってくれれば誰でもいいのだ。酒と肴は用意してある。といって特別なものではない。牛スジを煮込んだものとかありあわせでつくった酢漬けとかそのくらいだ。玄関は開けている。と、最初に来たのは近所に住んでいる子どものころからの知り合いだ。「やってるね」「ああ、いまからだ。上がっていきなよ」「じゃ、遠慮なく」。次に来たのは俳句仲間のNさん。「おやまあ、いい匂いね」「ああ、用事がなかったら一杯どうだい」「そうねちょっと温まっていこうかしら」。そんなところにひょいと顔を出したのが川沿いの橋の下で寝起きしているホームレスくん。顔を覗かして「やってますねえ」「ああ、おまえさんもどうだい外は冷えるだろう」「へえ、でもあたしゃこんななりで」「なりもへちまもあるかい。なんならお仲間も呼んどいで。人間みな兄弟。今夜はワーッとやろうじゃないか」「じゃちょっと何人か誘ってみまさあ」「いや何人かなんてめんどうはいわず全員連れてきな」。なんてふうに人が集まり出して、三十人、四十人と膨れ上がっていった。わたしはほろ酔いで、我が家の居間はこんなに広かったっけとあたりを見まわした。と、不思議なことに人数にあわせて居間はどんどん広がっているのだ。こりゃあ面白れえ。千客万来とはこのことだ。やがて通りすがりの大学生や宴会帰りのサラリーマン、ジョギング中のおねえさんも入ってくる。あっちでは警官とAV女優が笑いながら酒を飲み交わしてる。なんて思えば郵便局員と詐欺師が泣きながら政治を憂いてる。どうやら二人とも泣き上戸らしい。もう見わたす限りの人、人、人だ。何万人いるのだろう。居間は野球場のごとく広がって、さらにまだまだ広がりつづけている。誰があげているのか遠くの方で打ち上げ花火がはじまった。こうなりゃもう無礼講もいいとこだ。どこからか太鼓を打つ音がする。三味線が響く。あっちこっちで踊りがはじまる。居間はますます広がりつづけている。それは県境を越え、国境を越え、ウクライナまでも。夜宴はまだまだつづく。

佳   凛

特選句「赤とんぼ親という字の書き順を」。書き順で親の切なさ 苦しさ 勿論楽しさもある。とても 共感し言葉の意味を、今一度考えたいとおもいました。

寺町志津子

特選句「ウイルスの変幻自在冬の空」。ありきたりとも思えるが、時宜を捉えて可。冬の空が利いている。特選句「太宰読む薄刃のごとき秋夕焼け」。言われてみれば、太宰文学はそうかもしれない。

高橋 晴子

特選句「人類を出られぬ人類龍の玉」。よくも悪しくも人類は人類を出られぬ。他の動物なら何も考えずに相手が死ぬまで又は自分が死ぬまで戦うが、あくまで人類は人類なのだ。「出られぬ」と感じた処、表現した処が面白い。

亀山祐美子

特選句『山茶花の白に心を明け渡す』。山茶花を見つめその白さに慰め鼓舞され平常心を取り戻した安堵感が伝わる。問題句『あかまんまあえてでこぼこあるきたい』。平仮名表記は私も好きでよく使うがこの句にふさわしいだろうか。「どうせなら赤まんまの生い茂るでこぼこの小径を選んで歩きたい」と受け取った。『赤まんま』は「あかまんま」でも「赤まんま」でも支障はないが『あるきたい』は「歩きたい」と読むのが普通「ある期待」ととるのは天邪鬼でありここは素直に作者の希望願望決意表明と受け止めると作者の居場所が不鮮明になる。病床で秋の小径に思いをはせるのかはたまた整った公園の舗装路に文句を言っているのか脇道にそれ野道を行きたいのか。読者の想像に任せる以前の問題。足元の揺らぐ不親切さ。かてて加えて『あえて』は不要。『あるきたい』は詠み手の願望では無く「歩く」もしくは「歩いた」と動詞を置き読み手の想像に委ねるべきだ。その方が一句に広がりが出来る。想像の余地の無い窮屈な己の願望は往々にして「あっそう、それがどうした」で終わってしまう残念な一句となる。

向井 桐華

特選句「ツナ缶を開けて秋日の浅き傷」。日常の些事と秋の心象風景の描き方が呼応している。ツナ缶と秋日の取り合わせがよかった。「あ」の韻を踏んでいるのもよい。問題句「もなはなや まはらやらや たのゆはら」。かな文字で書いたらきれいそうですが、作者の意図がどこにあるのかが、ちょっとわかりませんでした。

野﨑 憲子

特選句「待ち合はせ無いです恋も柿の実も」。「待ち合わせは無いです」ときっぱり言い切った背後には、来し方の様々な 目眩く思い出が凝縮されているように思えてならない。熟柿の味わい。特選句「兜太なき世の日雷さま裏山に」。兜太師の「利根川と荒川の間雷遊ぶ」が浮かんできた。師は、雷さまがお好きだっのだ。作者の家の裏山にも、雷さまが遊びに来ているのだ。問題句「なえはたな なまひあらはば かて あはな」「もなはなや まはやらやらら たのゆはや」。危うさはあるが宇宙人の言葉のようにも感じる。冒険句への挑戦、これからも楽しみにしている。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

山茶花
山茶花や密集住宅に遺体
藤川 宏樹
船長は山茶花宇宙船地球号
野﨑 憲子
オカリナほろほろ白山茶花ほろほろ
野﨑 憲子
山茶花散るよ人は笑つて終はる
島田 章平
白山茶花やハートは最後の逆上り
中野 佑海
梨の芯ぼくの心に埋めてみた
中野 佑海
中国梨の赤い影べたり寄り
中村 セミ
二十世紀梨よピッコロ誰が吹く
淡路 放生
小骨とる結婚詐欺師ラ・フランス
藤川 宏樹
梨剥いて純白の扉開くかな
銀   次
皇帝ダリア
皇帝ダリア絹の道に赤い月
島田 章平
皇帝ダリア新人ナースが担当に
中野 佑海
子連れ猫水舐めに出る皇帝ダリア
淡路 放生
川底を歩く人ゐて皇帝ダリア
野﨑 憲子
皇帝ダリア上着の袖の綻びぬ
藤川 宏樹
ゆれているだけのススキの中に犬
淡路 放生
冬支度する前犬と転がって
中野 佑海
犬の名を活字にさがす霜の月
藤川 宏樹
生国は地球でござんす冬の犬
野﨑 憲子
雪原を走る犬橇狙ふ銃
島田 章平
月静か静かに寝かせ騒ぐまじ
銀   次
月面着陸ごきぶりも一緒に
島田 章平
月光に乱舞乱舞や枯芒
野﨑 憲子
納屋に遍路笠惑星月へ入る
藤川 宏樹
十一月五日の子宮よ月の子よ
淡路 放生
習わしに迷子なりける芋名月
中野 佑海

【通信欄】&【句会メモ】

あっという間に一年が経ちました。コロナの波が何度もやってきて、そんな中でも、毎月、集ってくださった皆様ほんとうに有難うございました。ご参加の方々も少しずつ増え、ますます多様性に満ちた句会になりつつあります。そして四月から毎回、快適な句会場をお貸しくださり、時間超過にも寛大な藤川宏樹さんに心よりお礼を申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

「海程香川」は年11回の開催です。12月はお休み月なので、次回は、2023年の初句会となります。次回も、お楽しみに!

今年二月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻は今もまだ続いています。一日も早いウクライナからの完全撤退を祈りつつ・・皆様、佳きお年をお迎えください。

2022年10月28日 (金)

第133回「海程香川」句会(2022.10.15)

二重虹.jpg

事前投句参加者の一句

黄のカンナ咲かせて鰥夫(やもお)源流に 野田 信章
愛子ってぎゅっとレモンを搾ったの 竹本  仰
母祖母にごめんねと今キリギリス 野口思づゑ
秋の日に人かぐわしく風化する 山下 一夫
マントラは波の如くに虫の闇 榎本 祐子
卓袱台の稲埃拭き夕餉かな 森本由美子
セイタカアワダチソウ「白髪増えたね」 佐孝 石画
雲低く動かず海鼠めく僕ら 飯土井志乃
抜けそうな乳歯を触り秋思の子 松本美智子
草を刈る食はせる牛もゐねえのに 亀山祐美子
独り居に僕も一人と小鳥来る 藤田 乙女
迢空忌だんだん怖い葉っぱの面 三好つや子
うろこ雲ふらり風子も寅さんも 島田 章平
曼珠沙華ひとりは寂しいなんて嘘 石井 はな
只見線さざ波という銀やんま 稲葉 千尋
コスモスや君の言葉の風に乗る 中野 佑海
水澄めり吉野源流山又山 樽谷 宗寛
弔砲におびえる猫や秋暑し 向井 桐華
十三夜靴がぱくりと僕見上げ すずき穂波
瓶振れば音色親しき木の実かな 大浦ともこ
国宝にモノとコトかな雷落つる 鈴木 幸江
傭兵にされし白鳥飛べず踊れず 塩野 正春
タンクローリーに毒と一文字秋うらら 大西 健司
<栗林トンネルを抜け「百舌坂」を行く>
この坂に嬉々と百舌狩り菊池寛
野澤 隆夫
赤とんぼ焦げ臭き身を冷ましつつ 増田 天志
あえいうえおあお木の実降る部室棟 あずお玲子
半鐘がなっているのか冬の雲 中村 セミ
湖に悲話ある山辺葛の花 寺町志津子
忘れるうれしさ野菊の道は濡れている 若森 京子
山の田はたとえば浄土穂波立つ 吉田 和恵
団栗につまづく意外な固さかな 佐藤 稚鬼
妻が待つ家路を急ぐ秋の蛇 漆原 義典
うふふふと父の遺影とおはぎ食ぶ 植松 まめ
天上を流るる白き帆賢治の忌 銀   次
ステーキの鉄板広し夏休み 疋田恵美子
月曜の河馬を見に行くしぐれかな 重松 敬子
丸木展観て鯖雲の近づくよ 新野 祐子
空っぽのガレージ並び秋の暮 稲   暁
秋分の日の暗闇に目を覚ます 菅原香代子
風の強さが切り取る滝もう秋です 十河 宣洋
野紺菊亡母が見つめてくれている 山田 哲夫
まだ服ができぬ蓑虫セミヌード 川崎千鶴子
藤袴しばし休めよ旅の蝶 田中 怜子
ぶきっちょに零余子ぽろぽろ集めをり 佐藤 仁美
おちょぼくちなほもすぼめて瓢の笛 佳   凛
蟋蟀が愚痴の塊喰ってゐる 柴田 清子
美しき嘘とは十月のきれいな顔 久保 智恵
どの紙面もさびしい鳥の羽音 三枝みずほ
嘆いても届かぬ木霊月昇る 小山やす子
雨音の寒き夜となり魚を食ふ 高橋 晴子
クイーンにキングならべる良夜かな 藤川 宏樹
いくさなどだれが征かすや鉦叩 福井 明子
大花野旅の一座のホバリング 松本 勇二
ひとり来て白萩一人分こぼす 津田 将也
団栗は坊っちゃんの山地主かな 豊原 清明
花びらを漬け込むやうに新生姜 川本 一葉
小鳥来る上下入歯の微調整 山本 弥生
蛇穴に入る核のボタンを囲む 淡路 放生
鰯雲背骨のごとく飛機の雲 三好三香穂
秋澄むやパスポート亡き避難民 菅原 春み
虎刈りの頭なでなで秋の暮 田中アパート
うすもみじ花屋のオジサンに嫁がきた 伊藤  幸
さっとヤモリガラスの町を通り抜け 滝澤 泰斗
酔芙蓉刹那に埋もれる認知症 増田 暁子
道変えてゆく山女に呼ばれぬため 河田 清峰
円楽のにやり毒舌いわし雲 松岡 早苗
太陽に手足けばだたせて案山子 小西 瞬夏
母が綴る一文字一文字われもこう 河野 志保
地球は青いんだってさモミジ 谷  孝江
冷たい夏抱いてしまえば終わるのに 桂  凜火
片足の飛蝗吹かるる錦帯橋 吉田亜紀子
無花果やときどき汽笛鳴らしてる 高木 水志
読む本の重なりてまだ月とおく 夏谷 胡桃
かまつかの爆発つむぐ身の軋み 荒井まり子
風はきつかけ萩の意志もて揺るる 風   子
人類に国境のあり鰯雲 野﨑 憲子

句会の窓

島田 章平

特選句「あえいうえおあお木の実降る部室棟」。放課後の放送部か合唱部の部室。 澄み切った声が秋空まで届く。懐かしい部活の風景。自句自解「秋夕焼キラキラネーム天志、幸」。キラキラネームの読み方。天志(えんじぇる)、幸(らっきー)です。

増田 天志

特選句「月曜の河馬を身に行くしぐれかな」。なぜ、月曜日なのか。観客の多い日曜日の翌日。河馬は、疲れているのか、元気なのか。自分の目で、確かめたい。河馬にとって、雨は濡れて気持が良いが、冷たい時雨は苦手かも。この作品は、鑑賞者の想像力を広げてくれる。

小西 瞬夏

特選句「迢空忌だんだん怖い葉っぱの面」。葉っぱの面に何か見えないものを見て怖くなってくるのは、日本人特有のアニミズムの感覚ではないだろうか。迢空忌が配合されることで、そのことがより立ち上がってくる。

十河 宣洋

特選句「忘れるうれしさ野菊の道は濡れている」。諧謔である。忘れる苦しさはある。最近の私は多くなった。忘れる嬉しさは楽しさでもある。野菊の道を歩きながら野菊の如き君なりきと言われた頃などを思い出している。楽しさ、寂しさ色々混じった野菊の道である。特選句「蛇穴に入る核のボタンを囲む」。風刺がきつい。核のボタンを囲む蛇のような目つきがぬめぬめと見えてくる。

豊原 清明

特選句「文化の日ちゃんちゃらおかし舌を出す(津田将也)」。「舌を出す」から国への訴えの一句。よく分かり、共鳴する。「あれこれ吹っ切ってママチャリは立秋」。問題はなくて、とてもさっぱりした味わい。読んで好きな一句。吹っ切ってが悟り?みたいに思いました。

すずき穂波

特選句「どの紙面にもさびしい鳥の羽音」。新聞紙面、本当に暗い記事ばかりで読む者の心まで暗くなりそう。ページをめくる音の詩的表現に魅了されました。特選句「ひとり来て白萩一人分こぼす」。この「一人分こぼす」という確かな把握、映像化には参りました!

藤川 宏樹

特選句「あえいうえおあお木の実降る部室棟」。女生徒の艶やかな「あえいうえおあお」の唱和、通りに心地よく聞こえてきます。

あずお玲子

特選句「ひとり来て白萩一人分こぼす」。萩の儚さを思いました。その萩を見ている「ひとり」も儚い存在。特選句 「花びらを漬け込むやうに新生姜」。甘酢の中で新生姜がほんのり色付き始めた日の嬉しさは、固い蕾が綻び始めた花を見るのと似ているのかも知れません。 丁寧な手仕事を思いました。

向井 桐華

特選句「セイタカアワダチソウ「白髪増えたね」」。口語調の句が、ちょっと皮肉な内容を面白くしている。新しい視点が良い。問題句「国葬や宿便どどっと野分かな(田中アパート)」。国葬と宿便、国葬と野分と着想は面白いと思うが、「国葬や」で切ってしまったため、意味がバラバラになってしまった。「や〜かな」の詠嘆は成功させるのが難しい。

松本美智子

特選句「風はきつかけ萩の意志もて揺るる」。「萩が揺れている」それは,揺らさせているのではない。意思をもって揺れている。ああ~,そうかもしれない。動きたくても話したくても・・○○したくてもそうしたくても,なかなかできない,もどかしい日常何かきっかけになることがあれば,ハードルはポーンと跳び越えられるのかもしれません。

若森 京子

特選句「秋の日に人かぐわしく風化する」。来世の人も現世の人も、秋の澄み切った空の中で人間は濾過され浄化されてゆくのであろう。白秋の深まりを感じる。特選句「読む本の重なりてまだ月とおく」。人間が本を読み知識を蓄積しているのは、ほんの僅かの時間に過ぎない。「まだ月とおく」の措辞から膨大な宇宙時間をふと思う。又月から色々なお伽噺にも発展してゆく。

稲葉 千尋

特選句「草を刈る食はせる牛もゐねえのに」。毎日、早朝から牛のために草を刈っていた父を想う。今は牛もいない父もいない。特選句「いくさなどだれが征かすや鉦叩」。どんなことがあっても子や孫を征かしたくない。親なら誰も思うこと。鉦叩が効いている。

夏谷 胡桃

特選句「水澄めり吉野源流山又山」。吉野をはじめ日本の山々の続くさまとその間を流れる水が目に浮かぶようでした。東北も「山又山」です。この表現が、簡潔でいいと思いました。

中野 佑海

特選句「あれこれ吹っ切ってママチャリは立秋(三枝みずほ)」。有無を言わせずママチャリの突っ走っていく様子がひと言で旨い。特選句「抜けそうな乳歯を触り秋思の子」。分かるわー!あの歯の気になる事ってないよね。他の事何も考えられないくらい。触ると痛いし。かといって常に気になるし。私の歯は主治医を見つけてようやく前進しております。乳歯と入れ歯では雲泥の差ですが…。「秋の日に人かぐわしく風化する」。人間も風化して、崩れていくのですね。せめて香しく最期は締めたいものです。「聞き返し聞き返し紅葉かつ散る(川崎千鶴子)」。人間も何度も人の言った事聞き返さないと理解出来なくなって、散ってしまうのね。「迢空忌だんだん怖い葉っぱの面」。今、NHKの100分で名著でやっている、折口信夫の古代研究。その通りだと思います。なかなか、現代人には理解し難いです。「只見線さざ波という銀やんま」。今日10月14日新聞の第一面にこの只見線復旧の話題が。乗ってみたい秘境線。「十月の歯磨き色の道歩む」。やっぱり落葉で埋まった里の小道。香しい秋を堪能。「団栗につまづく意外な固さかな」。団栗頭の子。子供と思って適当に相手してたら、足を掬われて一本。参りました。「秋夕焼キラキラネーム天志、幸」。まだ読めるだけ良いです。推察しないと読めない名も多々。「ひとり来て白萩一人分こぼす」。この妙に当たり前な所が、律儀さが素敵。    

今月はイヤホーンをしてYoutubeを見過ぎてたら、とうとう耳鳴りにあたまを占拠されてしまいました。耳鼻科で漢方薬とビタミン剤B12、整骨院で首と背中を直し、寝るときに頭を氷で冷やし。一週間でなんとか寝られないほどの音から解放されました。スマホ、テレビはほどほどにとこれもまた、5歳から63年間殆ど毎日見ていた、テレビ観戦から、撤退いたしました。静けさ最高。

河野 志保

特選句「どの紙面もさびしい鳥の羽音」。具体的な内容は分からないが、鳥の羽音のような微かで確かな出来事だろうか。紙面を羽音と捉えた作者の感覚に惹かれた。

山田 哲夫

特選句「あえいうえおあお木の実降る部室棟」。高校生等の部活動風景だろうか。時や場所や人の状況などがきちんと想定されてきて、鮮やか。「あえいうえおあお」のオノマトペが効果的。特選句「大花野旅の一座のホバリング」。「ホバリング」は、鳥などがはばたきながら宙にとどまっている状態のこと。秋の大花野の見事さに浮かれ出た一団の秋を満喫する様子を効果的に形象化。旅の一座は、旅役者の一団でもいいが、Goto トラベルのキャンペーンに便乗した旅行者たちでもかまわない。むしろ、その方が時宜を得ているように私には思われる。「ホバリング」が、言い得て妙。

鈴木 幸江

特選句評「十三夜靴がぽくりと僕見上げ」。靴の先の底が剥がれたのだろうか。 私もあの残念感と驚きの経験は何度かある。“ぱくり”と口を開けているような状態から景がうまく伝わってくる。“僕見上げの修辞の身に付けていた物に対するアニミズムの自然発生の微笑ましさ。“十三夜”の少し欠けた月のよろしさを愛でる心と共鳴し合い作者はこの靴の状態に愛と哀れと自分自身を見ているのだろう。頑張ってきた作者にエールを送りたく、特選にした。

樽谷 宗寛

特選句「まだ服ができぬ蓑虫セミヌード」。全体の発想が面白いです。散歩で蓑虫に出会いましたか、まだ1・5センチ、服はこれからのようでした。

河田 清峰

特選句「十三夜靴がぱくりと僕見上げ」。靴が何て言ったか興味津々。十三夜が良かった。

風   子

特選句「自らの影は知らない秋の蝶(河野志保)」。知ってるか知らないか、蝶に聞いてみないと分からないけど、知らないと言い切られるとそうか、と思います。特選句「うろこ雲ふらり風子も寅さんも」。書道展の友人の書が気に入り譲ってもらいました。奥の細道の序文です。芭蕉は「片雲の風にさそはれ漂泊のおもひやます」「取るものゝ手につかすもも引の破れをつゝり笠の緒付けかへて三里の灸すうるより」いそいそと旅に出るのです。私もふらりと旅に出てみましょうか。

菅原香代子

特選句「稲妻や赤き巨岩(ウルル)の垂直に(松岡早苗)」。稲妻と赤い岩の取り合わせが素晴らしいと思いました。

大西 健司

特選句「無花果やときどき汽笛鳴らしてる」。どこからか聞こえてくる汽笛がなつかしい。それは無花果からかも知れない。時々鳴らしているのは無花果。そう思いたい。そう読みたい。それだけに上五の「や」が気にかかる。わがままな読み手は作者を無視して、「青無花果」として特選にいただいた。

重松 敬子

特選句「コスモスや君の言葉の風に乗る」。初秋の色のあふれた軽ろやかな景色が目に浮かびます。この感覚はいつまでももち続けたいと思う、好感度抜群の句。

小山やす子

特選句「蛇穴に入る核のボタンを囲む」。プーチンさんもう終わリにしようよ!と言いたいね。

滝澤 泰斗

3年ぶりの海外出張で選句一覧を受け取りました。いつものように選句を開始しましたが、何故か集中力が途切れコメントできません。今回は共鳴した句を順に記して選句といたします。「冷たい夏抱いてしまえば終わるのに」「天上を流るる白き帆賢治の忌」「傭兵にされし白鳥飛べず踊れず」「曼珠沙華ひとりは寂しいなんて嘘」「蛇穴に入る核のボタンを囲む」「母が綴る一文字一文字われもこう」「雲低く動かず海鼠めく僕ら」「閑として濾過されたような秋遍路」

増田 暁子

特選句「うすもみじ花屋のオジサンに嫁がきた」。平和の世の幸せの句。花屋のオジサンがとても良く幸せの象徴の様です。特選句「地球は青いんだってさモミジ」。見てないが、地球は青いらしいとモミジに言っている作者。”だってさモミジ”のぶっきら棒な切れがとても良い。 「朝の月市場の隅で売る文庫」。まだ朝の閑散とした市場にひっそり並ぶ本屋の風景が浮かびます。 「いくさなどだれが征かすや鉦叩」。親の気持ちは世界中同じ。中7の措辞が素晴らしい。

福井 明子

特選句「草紅葉木彫りの狗子の尻ぬくし(田中怜子)」。なんともかわいらしい狗子の尻のぬくさ。深まる秋にことさらほんわかと伝わります。特選句「どろだんご食べるふりして秋の空(松本美智子)」。おさながまるめたどろだんご。ちいさな手でさしだされて、「あぁ、おいしっ」というおばあちゃんのしぐさが秋の空を背景にしなやか。平和とは、そんな一コマなのだと思います。

佳   凛

特選句「うふふふと父の遺影とおはぎ食ぶ」。慌ただしい毎日、ゆっくりと、仏様にお参りする時間を、持てる心のゆとりが、嬉しく思いました。  ♡参加の言葉。日々の暮らしでは、語彙が減る一方、少しでも心豊かに過ごしたく、参加させて頂きます。宜しくお願いします。→ こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

津田 将也

特選句「抜けそうな乳歯を触り秋思の子」。乳歯は二歳半~三歳くらいまでに、全て生えそろう。その後、五歳半~六歳ごろには永久歯への生えかわりがスタートする。掲句は、この時期の子供の所作のひとつ。「秋思」との、取り合わせがよい。特選句「人声の高き時あり芙蓉咲く(高橋晴子)」掲句も、「芙蓉」との取り合わせで採った。特に「酔芙蓉」は、花の色が朝は白、午後は淡紅、夕方からは紅色と変わり、翌朝に萎む。「人声」に同じ。

山本 弥生

特選句「草を刈る食はせる牛もゐねえのに」。昭和の農家は農耕用に牛を飼っていた。農家の子供は親の手助けをして牛に食べさす草を刈っていた。現在は機械化されて牛は用済みとなったが、残暑も続き毎年草は刈らなくてはいけない。

川崎千鶴子

特選句「秋の日に人かぐわしく風化する」。天国から地獄に落とされる内容です。「かぐわしく」と「風化」は老いのなれの果てと思いました。残酷で涙です。素晴らしい。「抜けそうな乳歯を触り秋思の子」。人って考えている時は気になる部分を触ったり、さすったりしているのではと納得しました。観察眼の素晴らしさに感服です。 

桂  凜火

特選句「蟋蟀が愚痴の塊喰ってゐる」。蟋蟀は貪欲な顔ですね。愚痴は食べてなさそうですが、やはり絵として面白い。ペーソスが効いていて愚痴のたまった国民としては、クスリと笑えました。

松岡 早苗

特選句「十三夜靴がぱくりと僕見上げ」。風情のある「十三夜」と破れた古靴の取り合わせが面白い。完璧ではないからこその、もののあわれや味わい、そうしたものをしみじみと愛おしんでおられるようです。特選句「るりるりとひと日終わりて銀木犀(伊藤 幸)」。「るりるりと」の音の響きに惹かれた。「瑠璃」の連想も相まって、透明感のある秋のひと日が思い浮かんだ。夕暮れのほっと息つく「銀木犀」への着地も素敵。

吉田 早苗

特選句「黄のカンナ咲かせて鰥夫(やもお)源流に」。「鰥夫」を辞書で調べて・・。黄のカンナが言い得て妙。勉強にもなりました。特選句「目薬のような夕星(ゆうづつ)秋の畑(稲葉千尋)」。秋の釣瓶落し。気が付けば空の星が目に浸みる、目薬のようにと。うーん納得。稲架を架け終え一番星を仰ぎながら家路を急いだ事を思い起します。  ♡山路で帽子をかぶった団栗を拾うとつるりと帽子が脱げとっさにまた被せました。

松本 勇二

特選句「蟋蟀が愚痴の塊喰ってゐる」。コオロギは何でも齧りそうだが、愚痴を齧らせて成功。

伊藤  幸

特選句「只見線さざ波という銀やんま」。固有名詞只見線(福島から新潟を走る線路名称)と河谷の小動物の取合せ、更に中七のフレーズが秋の風景を美しく描いている。素晴らしい技法に脱帽。

疋田恵美子

特選句「飯噛んで姥百合の谷恋う今も(野田信章)」。生れ育った平和で楽しいかった集落の消滅がおもわれる。ダム湖の底に消えたのでしようか!地味な姥百合がぴったりいいですね。

吉田亜紀子

特選句「いくさなどだれが征かすや鉦叩」。季語「鉦叩」は、一センチほどのコオロギ科の昆虫。鉦を叩くようにかすかな美しい澄んだ声で鳴く。しかし、この句の場合は、違うのかもしれない。「鉦叩」という季語に仕掛けを施しているのではないか。と、私は感じた。「鉦叩」。辞書を引くと、虫のほかに、「かねをたたくこと」、「かねをたたく道具」、「かねをたたき経などを読んで回る人」。と、記載がある。季語「鉦叩」を「かねをたたき経などを読んで回る人」。というように、重ねて鑑賞をするのも興味深い。そこから、私の鑑賞は、裁判や議会における、ガベル、すなわち木槌を連想した。「いくさなどだれが征かすや」。この言葉が、議決や判決のように強い拘束力を持っているような感覚になる。そうすると、この句における、怒りの果てが、するりと納得出来るのである。表現方法に感服すると共に、作者の真っ直ぐな怒りに感動した一句だ。特選句「文化の日ちゃんちゃらおかし舌を出す」。カレンダーを捲ると十一月三日は日本国旗のイラストと共に「祝日」と記載がある。「文化の日」だ。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことが趣旨の国民の祝日。文化勲章の授賞式があり、文化芸術に関するイベントも多数開催される。そして、晴天の日が多い気象上の特異日だ。これだけの情報が、カレンダーを眺めるだけで、頭の中に一気に流れ、スッと背筋が伸びる。伸びてしまう。それが、「文化の日」だ。そして、この何行かの文字の多さにもみられるように、「文化の日」。そう聞くだけで気負ってしまう方も多いのではないだろうか。「ちゃんちゃらおかし」。この句は、そこの隙間を見事に突いている。そして、非常に新しい。「文化の日」という季語に対して、真正面からではなく、今までには無い、全く新しい方向からの構成となっている。なのに、「文化の日」は消えない。「舌を出す」という言葉で、アルベルト・アインシュタインや不二家のマスコットのペコちゃんを連想する。それは、愛すべき私たちの記憶、歴史だ。それに加えて、晴天の特異日に呼応するように、「ちゃんちゃらおかし」が、明るく響く。爽やかだ。これぞ、秋の芸術ではないか。と、唸る一句である。

佐孝 石画

「忘れるうれしさ野菊の道は濡れている」。「忘れるうれしさ」とは一見わかりやすそうだが、その解釈に迫ろうと思うと複雑で難解。思い出や感情などが自分の中から剥がれ落ちてしまう、時間的空間的な喪失感覚。多くの人が人生で味わうだろう、その感覚の多くは、取り戻せないものに対する切なさ哀しさで括られることが常。忘れる「うれしさ」とは、単純に、忘れ去りたい嫌な記憶が失われることに対する安堵なのだろうか。その回答は、その後に続く「野菊の道は濡れている」から汲み取るしかない。野菊の道は雨上がりに「濡れて」、輝いている。そのまばゆい光こそが、作者を包み込んだ恍惚感覚の象徴なのだろう。かけがえのない良い思い出も、時を重ねればやはり、それを思い出すこと自体が、喪失感をともなう切ないものへと変容していく。思い出したいけれど切ない、そんなアンビバレンツな感情を「忘れ」は霧散させてくれる。そんな忘却の心地良い余韻を映像化したものが、濡れて光にまみれた「野菊の道」であったのだろう。

榎本 祐子

特選句「ひとり来て白萩一人分こぼす」。孤独感の中、白萩と関わる時間と空間が優しい。

三好つや子

特選句「蟋蟀が愚痴の塊喰っている」。淋しい心に寄り添うようにコロコロリーンとか、リリリッと鳴く蟋蟀。聞いている人のマイナーな心を喰ってしまうので、あんなに物哀しい色をしているのだ、と納得。特選句「どの紙面もさびしい鳥の羽音」。 近頃、ページ数が少なくなり、コロナ禍、ウクライナの戦争、経済や環境問題など暗い記事が目立つ新聞に、嘆いている作者の声が聞こえてきそうだ。さびしい鳥の羽音という表現が抒情的で、深い。入選句「あれこれ吹っ切ってママチャリは立秋」 ぐずぐず悩んでなんかいられないほど、多忙な子育て主婦の日常が、いきいきと伝わってくる。入選句「太陽に手足けば立たせて案山子」。この句から、明日香村(稲渕地区)の美しい棚田にある案山子ロードが目に浮かんだ。工夫を凝らした、まさに毛羽立っていそうな案山子たちが想像でき、面白い。

田中アパート

特選句「どろだんご食べるふりして秋の空」。子供は天才です。びっくりするほど美しいどろだんごを作りますな。もちろん、食べるなんてもってのほかです。一生かざっておきたいぐらいです。

佐藤 仁美

特選句「曼珠沙華ひとりは寂しいなんて嘘」。2人でいても、1人より寂しく思う時もあります。孤独とどう付き合うかが、大切だと思います。でも、この「嘘」と言ってるのは、強がりかもしれません。揺れ動く心が、紅い曼珠沙華と重なります。

淡路 放生

特選句「美しき嘘とは十月のきれいな顔」。―美しい嘘とは人を愉しくさせてくれる。まして「十月のきれいな顔」いいなぁ、いいなぁである。好きな十月がひろがってくれる。句会でこういう作品に出会うとホッとする。

柴田 清子

特選句「どの紙面もさびしい鳥の羽音」。自分だけが感じ取っている秋深を鳥の羽音で、省略限界の言葉で、鋭利な刃物のような、一句に仕上っていると思った。

田中 怜子

特選句「丸木展観て鯖雲の近づくよ」。原爆の惨状を描いた絵を見て、暗澹たる気持ちや争いの絶えない、現にウクライナにおいて戦争が起きている状況を思いながら暗い館を出る。空を見上げると、悠々たる空に鯖雲、その流れが近づいてくるようなダイナミックな世界は、宇宙の中にいる芥子粒のような存在を実感するようだ。特選句「旅芸の一座がありてすすきかな(銀次)」。昔、長時間にわたるギリシャ映画があった。世の中の動きに取り残されていく一座、家族間の関係性等もいろいろあるけれど、すすきの平原の中に静物画のように取り残されている情景が浮かんでくる。

野口思づゑ

今回はいただきたい句がとても多く、また特選句、絞ることができませんでした。 「曼珠沙華ひとりは寂しいなんて嘘」。理想的な一人暮らしをされている方なのでしょうか。ポジテイブな生き方を尊敬します。「人類に国境のあり鰯雲」。極めて当然な事実をそのまま表した句なのですが、あまりに当然過ぎてかえって惹かれます。下5の鰯雲がもやもやとした、つまり紛争の種になりそうな曖昧な境界線を表し、鰯の旁の「弱」が人類を象徴しているようです。「忘れるうれしさ野菊の道は濡れている」。「忘れる」はほとんどの場合否定的なのですが、うれしさと捉えているところに嬉しくなりました。「小鳥来る上下入歯の微調整」。入れ歯を調整するときの歯を合わせる音が想像できます。小鳥来る、の上5で可愛い音、作者の余裕のある気持ちが思い浮かぶ明るい句になっていて好感がもてました。「うすもみじ花屋のオジサンに嫁がきた」。薄紅葉、オジサン、で颯爽としたイケメンから程遠い男性像が浮かんだのですが、嫁が来たそうなので、よかったわね、と安心しました。

三好三香穂

「独り居に僕も一人と小鳥来る」。独り居間に居るとき、よく小鳥が庭のハナミズキの実を目当てにやって来る。たいていはヒヨドリ。僕も独りだよ、とささやいているかに。なるべく気配を消すようにしているが、少しでも動くと、すぐにさよならになってしまう。「自らの影は知らない秋の蝶」。自分のことは、自分が一番知らない。秋のチョウになっても。「いくさなどだれが征かすや鉦叩」。共鳴する反戦句。早く終わって欲しい戦争です。

野田 信章

特選句「丸木展観て鯖雲の近づくよ」は、丸木位里、俊夫妻の共同制作による「原爆の図」を見終っての作。そこに意志あるもののごとく頭上にひろがる「鯖雲の近づくよ」の景の展開が何とも肉感的である。この対照によってあらためて「原爆の図」を直視して、そこに込められた丸木夫妻の希求してやまないものに触れ得た一句として読めるものがある。

三枝みずほ

特選句「忘れるうれしさ野菊の道は濡れている」。この句は忘れることを肯定している。そして野菊の道は人を包みこむ慈悲の心なのだろう。

植松 まめ

特選句「草を刈る食はせる牛もゐねえのに」。酷暑だった今年の夏草刈りは重労働だったことだろう。ぶっきらぼうな詠みがかえって気持ちが込もっている。特選句「あえいうえおあお木の実降る部室棟」。高校時代に演劇部に所属していた。毎日大した用も無くても部室に顔を出していた。そうこんな感じの部室だった。懐かしいわが青春だ。

石井 はな

特選句「あれこれ吹っ切ってママチャリは立秋」。頑張っているママにエールを送りたいです。

塩野 正春

特選句「迢空忌だんだん怖い葉っぱの面」。何気ない葉の表面に自分の感情が映っていろんな形になり得る。作者の意図は深くは読むめないがおそらく哲学的な感覚から書かれたものでしょうか?となると葉っぱの面もそれなりに重みを増しいろんな形相に変化する。この稀有な季語と釈迢空の俳句、私なりに少し勉強したくなります。特選句「あれこれ吹っ切ってママチャリは立秋」。 前の特選に挙げた句とは違った感覚で少し楽しく少し大変さを感じる句です。 子育て世代の辛さを抱えながらママチャリを飛ばして突き進む作者に感動します。こうして育てられた子供たちがやがてこの国を支えてくれる大人になることに期待します。“ママチャリ”には不思議な感覚がありますね。自句自解「真葛原螺旋に詰まる生の標」。螺旋の遺伝子が全ての生物の行く末を解く標(しるべ)となること、不思議です。運命の八~九割方遺伝子に左右されている事実を認めざるを得ません。「傭兵にされし白鳥飛べず踊れず」。戦争続いてますね。兵の数を維持するために他国の兵を雇うなどもってのほかです。訓練も受けさせずただ死に行かせるとは。

川本 一葉

特選句「水澄めり吉野源流山又山」。今年は何度か吉野川の源流近く入ったこともあり、本当にそうだと思いました。山又山、がもうそのまんまなんです。又源流辺りへ行きたくなりました。

竹本  仰

特選句「月曜の河馬を見に行くしぐれかな」。もし勤めているのなら月曜が定休日の方でしょうか。土日の熱気が去った動物園に、ただでさえ人気のない河馬がいっそう憂うつそうにしているのを、淋しい私が見に行こうとして。しかも折からのしぐれ。池の中で濡れそぼっている河馬と柵の外で濡れる私。芭蕉の「初時雨猿も小蓑を欲しげなり」と似たような状況、そして身を持て余した河馬がいっそう自意識を大きく掻き立てるようにたたずむ様は私と見事に呼応して…、と現代的なリリシズムをくすぐります。何となくビットリオ・デ・シーカの名作『自転車泥棒』のラストシーンの、あのずぶ濡れの父と子をほうふつとさせるような句だと思いました。特選句「大花野旅の一座のホバリング」。旅の一座は何でしょうか。単純にサーカスと思ってしまいましたが、ホバリングというのだから、一座もお客さんも宙に浮遊してその絶頂、一瞬ストップモーションしているようすでしょうか。得てして好天好日のその三番目くらいの、何気ないそんな日にこそ、大きなドラマが待っているもの。観客も一座も予期しない世紀の好演技が飛び出して、お互いにあっとする一幕のいま真っ最中、時間が止まったとはこの瞬間のことか、というところではないでしょうか。特選句「母が綴る一文字一文字われもこう」。選評:どんな文字を書く母か、われもこうでわかりますね。一文字ずつに色があって愛嬌があって丁寧で。きれいに茶碗や皿を一個ずつ洗うようにキュッキュッと音が聞こえるように母の字から聞こえてくる何か。まさにそれが母だというような母そのもののオーラ。で、われもこう…私もおんなじ事しているよお母さん、とふいに気づいたのでしょうね。幾代か、母と子の歴史も脈々と見えてくるようで…いい句ですね。問題句「蛇穴に入る核のボタンを囲む」。蛇穴に入る、と、核のボタン、とを取り合わせるというのは面白い着眼だと思います。でもこのままだと蛇が核のボタンを囲むとなり、それはそのままでも面白くはありますが、もう一つ何か足りないように思えるのです。ならば蛇の営為と人間の行為が対比できるような形にした方がいいのではと思いました。

久保 智恵

特選句「黄のカンナ咲かせて鰥夫(やもお)源流に」特選句「酔芙蓉刹那に埋もれる認知症」。身につまされる私です。「草を刈る食はせる牛もゐねえのに」。心が清々しくなる。

新野 祐子

特選句「目薬のような夕星秋の畑」。「目薬のような」がいい。暮早い秋の畑で働く人たちの心身を癒してくれる夕星。共感だなぁ。特選句「蛇穴に入る核のボタンを囲む」。権力を手にした人間の愚かさを改めて思う。

高木 水志

特選句「あえいうえおあお木の実降る部室棟」。部活で滑舌を良くする練習をしている風景が木の実の乾いた感じとよく響き合っている。

飯土井志乃

特選句「秋の日に人かぐわしく風化する」。秋夜長の楽しみは「百五十句」選句のお散歩。掲句一句目素通り、二巡目、中七下五の言葉にひかれ「いいなぁ・・」。三巡目「秋の日」が光を帯びて「人」が私の中で歩き始めたのです。文字が俳句になった瞬間を見た様に思います。

漆原 義典

特選句「卓袱台の稲埃拭き夕餉かな」。昭和が感じられとても懐かしくなり嬉しくなりました。卓袱台の稲埃拭き、いいですね私の少年時代そのものです。昭和28年生まれの私は今年古希を迎えましたが、昭和を生きて良かったといつも思っています。たいへん良い句ありがとうございます。

中村 セミ

特選句「雨音の寒き夜となり魚を食ふ」。生活を描写している中に、普遍的なものを、かんじて、ただ、切れ味だけの物を追求しょうとするものとは、一線を画するような、古典的であるとは思うが、生活の中で感じる、どうにもならぬもの、抗えぬものをかんじて、特選としたい。また「この坂に嬉々と百舌狩り菊池寛」の句は、南側から、栗林トンネルを、くぐり,百舌坂へでている、説明文があるので、書かせてもらうと、1970年に、栗林トンネルができ、それから、23年に渡り、この坂に、名前もつくこともなく、1993年、百舌鳥とついた。ちょうど、自分の長男が亡くなった年だった。そんな事を、思い出させてくれました。この句に、感謝します。ありがとうございました。

銀   次

今月の誤読●「月曜の河馬を見に行くしぐれかな」。ただいま失業中。昨今のこの不景気である。わたしもその波をもろに受けリストラの憂き目にあった。以来、毎日が日曜日。とにかくヒマである。することがない。それよりなにより妻の目が耐えがたい。口には出さないが、内心「よくまあ毎日ゴロゴロと」と思っているのが手に取るようにわかる。いたたまれない。自然と外に出るようになる。といって行くところもなし。時間つぶしのために動物園に行くのが日課になった。わたしのお気に入りは河馬である。その悠々たる姿は、他人の目を気にする人間などとはほど遠く、じつに気ままに見える。あるがままに生きる。その自然体がわたしを魅了する。それはある種の「達観」を思わせる。そのじつ河馬は、ライオンやトラなど足下に寄せつけぬほど強いらしい。その強さは世界の動物界でも三指に入るほどであるらしい。河馬のゆったりとしたさま、その俗事とはかけ離れた生きざまは、実力に裏打ちされているのだ。わたしは憧れる。こんなふうに生きていけたらなあ、と。そんなことを思いながら河馬を見ていると、どこからか「代わってやろうか?」という声が聞こえた。わたしはキョロキョロとあたりを見まわした。だれもいない。「おれだよ、おれ」とまた声がした。わたしはハッとして河馬を見た。河馬もまっすぐこちらを見返している。河馬の声なのか? 「どうだ、そんなにおれのように生きたいのなら、代わってやろうか?」。やっぱりそうだ。河馬がわたしに語りかけているのだ。「毎日食べて寝て、クソしてりゃいいんだ、それでもだれにもなんも言われない。おまえはそんなふうに生きたいんだろう」。河馬は三度いった。「代わってやろうか?」。わたしは二歩、三歩後ずさった。わたしは一瞬、河馬の目になって、わたしを見た。そこにはうろたえて、目を見開いた、哀れな男がいた。わたしはわたしをせせら笑った。即座のことだった。われに返ったわたしは、呆然としながら檻の前に立っていた。河馬は大きくあくびした。わたしはその河馬を背にトボトボと帰路についた。妻が待っている。

寺町志津子

特選句「曼珠沙華ひとりは寂しいなんて嘘」。思い切りのよい句ですね(^_^)全く同感の思いになる時がしばしばあります。自分一人で思いのまま時間が使えた時の充実感!大勢の寄り合いも好きですが・・・?句「ふろしきに首と手が出るハローウイン(重松敬子)」。何だか楽しそうな句ですが、「風呂敷」に、首が出る、とは?想像力が鈍くてすみません。  毎号、「香川句会」の知的で大きな包容力に楽しさをいただいており感謝申し上げます。

森本由美子

特選句「ステーキの鉄板広し夏休み」。久しぶりに開放感のある気持ちの良い句に出会ったような気がいたします。マスクなしの時代に戻れるような予感も。「ひとり来て白萩一人分こぼす」。美しい句と思う。心の中の乱れを、または底に秘めた証を白萩に託しているのかもしれない。

荒井まり子

特選句「山の田はたとえば浄土穂波立つ」。棚田など営々と繋がる人々の思いと願い。その美しい光景に言葉がない。極楽へと繋がる熱い思い伝えたい。

山下 一夫

特選句「どろだんご食べるふりして秋の空」。子どもからもらったどろだんごをおいしそうに食べる真似をしながら空を見上げると抜けるような青空。幼い自分の頭上にもあった。今はどろだんごと知ってて食べてみせる。変わりやすい秋空のように歳月は流れた。特選句「どの紙面もさびしい鳥の羽音」。新聞を開いたときの紙ずれの音の形容と読解。その音には乾いた晩秋の季感が確かに伴っています。問題句「忘れるうれしさ野菊の道は濡れている」。忘却という作用によろこびを見出し、それは後半であることを直感したと読め、魅力的なのですが、長すぎるのが惜しい気がします。最後を「濡れ」で止めて十七字に収めると少し電撃感が出るのではないでしょうか。

高橋 晴子

特選句「人類に国境のあり鰯雲」。人類はひとつなのに小さな国できられている。国境なんてなければ平和なのにね。

稲   暁

特選句「曼珠沙華身のうちそとの水揺れて(佐孝石画)」。季節感と身体感覚がうまく同調してユニークな作品になっていると思う。

大浦ともこ

特選句「抜けそうな乳歯を触り秋思の子」。子どもには子どものきがかりがある、ということを思い出して懐かしく面白く読ませて頂きました。特選句「月曜の河馬を見に行くしぐれかな」。動物園が一番空いていそうな月曜日、さらに時雨。そんな日に河馬を見に行くというユーモラスな孤独に心惹かれました。

野﨑 憲子

特選句「いくさなどだれが征かすや鉦叩」。「鉦叩」は秋の虫なのだが、私には、六波羅密寺の、摺鉦を首から提げ撞木を手に念仏を吐く空也上人の像が頭に浮かぶ。空也は十世紀の僧。その当時の民衆の思いも掲句と同じだった。今は、核保有国が増え、核戦争が起これば地球上のあらゆる生命が死滅しかねない状態になっている。霊長類の頂点に立つ人類だからこそ、縄張りも国境もない世界を、戦のない世界を作らなければならないのではないだろうか。領土が、領有権が・・などど言っている時ではない。それは大いなる母の願い。大地の、空海の、そして世界中の母の願いなのだ。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

曇天や牛のっそりと芒原
銀   次
はるかなる水平線よ穂すすきよ
柴田 清子
芒原他界の君も芒原
野﨑 憲子
誘われて鬼女と一夜や芒原
島田 章平
せやろ・・でもなんだか芒なの
野﨑 憲子
われも狡童なりしよ芒原ざくざく
野﨑 憲子
一叢の薄そこだけ黄金色
大浦ともこ
芒原三点倒立し他界
藤川 宏樹
金木犀
処方箋受付ます金木犀
柴田 清子
金木犀画家の名前が浮かばない
藤川 宏樹
こぼさぬやうにころばぬやうに金木犀
野﨑 憲子
空っぽの俳句手帖や金木犀
野﨑 憲子
廃屋に古い話す金木犀
淡路 放生
あめあめあめあめ金木犀に雨
島田 章平
林檎
林檎剥く君の不器用僕の嘘
大浦ともこ
喉仏ガブリガブリと林檎喰う
三好三香穂
林檎の芯大樹夢みる子の埋めし
中野 佑海
店先の林檎に声をかけられる
柴田 清子
ふぞろいな林檎の照れや岡山弁
藤川 宏樹
妻逝きて夜の林檎に刃を入れる
柴田 清子
雨粒を集めてぽとり大泪
三好三香穂
ふんどしで時雨の中や山頭火
島田 章平
秋の雨ギィと椅子鳴る街中華
大浦ともこ
雨ニモマケズ銀河鉄道敷設
島田 章平
燈台が遠くなってく秋の雨
銀   次
秋霖や知らない景色の中をゆく
野﨑 憲子
一言が欲しかったのに露時雨
柴田 清子
露草や単身赴任二十年
中野 佑海
あの人はいまなにしてる露万朶
野﨑 憲子
蓮葉露ころりころりと零れけり
三好三香穂
露の世や三遊亭円楽が好き
島田 章平
文の反故に煙草の匂ひ窓の露
大浦ともこ

【通信欄】&【句会メモ】

今年も早や十月。コロナ感染者数は以前高止まりの中、今回の事前投句の参加者は76名。お陰様で、ますます多様性に満ちた句会になってきました。高松での句会参加者は10名。袋回し句会はブログ不掲載の方もありましたが、30分のタイムリミットの中、佳句がゾクゾク誕生し、大盛会でした。句会終了は午後5時と決めていますが、いつも30分前後延長しています。会場主の藤川宏樹さんに感謝感謝です。

冒頭の写真は、あずお玲子さん撮影の鳥取の秋の二重虹です。パワフルですね。玲子さんありがとうございました。「海程香川」句会は年11回の開催。今年は12月をお休み月とさせていただきました。次回が今年の〆句会。今から楽しみにいたしております。

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