第81回「海程」香川句会(2018.02.17)
事前投句参加者の一句
灯台をのたり巨船や黄水仙 | 藤川 宏樹 |
Me Tooの胸の白バラ冴返る | 島田 章平 |
冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり | 小西 瞬夏 |
雪しずり骨より声の出ずる刻 | 新野 祐子 |
古書店へ入る春雪と赤い靴 | 谷 孝江 |
雪つもる全ての色を否定する | 山内 聡 |
山笑う駆け落ちものを匿(かくま)いて | 鈴木 幸江 |
寝かされている大根の色香かな | 寺町志津子 |
にんげんをぽたぽた落ちてみな魚 | 男波 弘志 |
水仙を並んで見ている鳥たちよ | 中西 裕子 |
肉体はやわらかき枷冬薔薇 | 月野ぽぽな |
誰が知らぬ咳だけがゆく真夜の道 | 野口思づゑ |
与兵衛どの丸太冷とうござります | 増田 天志 |
<農業国オランダ>小指ほどの人参スナックのように食べ | 田中 怜子 |
しずり雪母だんだんに白い闇 | 桂 凛火 |
石光る汚るるものに梅の花 | 河田 清峰 |
朝食に訪う目白母なりき | 疋田恵美子 |
ポップコーン弾けて遊べ冬の子よ | 銀 次 |
色気無きかぐや姫なり妻に雪 | 中野 佑海 |
春の海辺の巻き貝は巻き貝だ | 田口 浩 |
待ちに待ったお日さまですねクロッカス | 髙木 繁子 |
既視感を感じる氷に舌つける | 中村 セミ |
二・二六の章読み返す『小暗い森』 | 野澤 隆夫 |
虎落笛石牟礼道子連れて行き | 夏谷 胡桃 |
立春大吉大言壮語はばからず | 高橋 晴子 |
蕗の薹体内蕗時計狂いけり | 漆原 義典 |
南に原発田鶴鳴き渡る初御空 | 野田 信章 |
まんさくやまつらふことのなき土塁 | 小宮 豊和 |
薄氷を踏むは人欺くに似る | 柴田 清子 |
春立や水に浮かびし絹豆腐 | 菅原 春み |
九条はサンドバッグじゃないぞ諸君 | 稲葉 千尋 |
ときにダンスを十二月八日の猫 | 大西 健司 |
忘却や不意に風花不意に父 | 松本 勇二 |
涅槃雪ひげうっすらと妻の口 | 三好つや子 |
湖にしづかな呼吸初蝶来 | 三枝みずほ |
自鳴琴(オルゴール)柩と唱和はじめます | 矢野千代子 |
やはらかにすべて受け入れ春立ちぬ | 藤田 乙女 |
幾年も震えて立ちぬ春の山 | 豊原 清明 |
丹波黒一粒欠けていて二人 | 重松 敬子 |
溺れ易き性沈めたる柚子湯かな | 竹本 仰 |
シクラメンわたしの中の怖い他人 | 伊藤 幸 |
婦人雑誌の付録は春のたてがみを | 若森 京子 |
きしきしに痩せしさぬきの雪だるま | 亀山祐美子 |
老いこそ力天地を統べる大野火よ | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 小西 瞬夏
特選句「婦人雑誌の付録は春のたてがみを」俳句のあたらしさ。一句一章、口語使いを逆手にとって、ねじれやふくらみを持たせている。春のいきいきとした命を感じさせつつもどこか作り物っぽさが現実をうまく皮肉っている。
- 島田 章平
特選句「伊豆湾の波高き日や金槐忌」。掲句、見事な立句。季語が動かない。春浅い伊豆湾。悲運の武将、源実朝の悲痛な声が聞こえる。問題句「久しぶりに友と語りし鶯餅」。「語りし」ではなく「語りぬ」とした方が・・。鶯餅の季語の響きが良い。「農業国オランダ 小指ほどの人参スナックのように食べ」。前書きがいらないのでは・・。作者の思い入れはあると思うが、句はつくられた時に作者を離れる。どの地で詠まれたかは、読者の想像の世界に委ねた方が良いのでは。「ガリバー旅行記」を思わせる様なファンタジーな句。
- 中野 佑海
特選句「ときにダンスを十二月八日の猫」太平洋戦争開戦の日の事でしょうか?今は猫になっている日本も時にはダンスを色々な国を相手にやるべきことはきちんとやる必要あり!との怪気炎をぶちあげて下さっているのだと思います。戦争ではなく、微笑み外交でもなく。言うべき事は言い、為すべき事はちゃんとする。大人の基本です。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」うって変わってこのいい加減さが心地良いですね!溺れ易い私です。すぐ易きに流れ、ぬるま湯に身をおく気安さ。決して、小平奈緒とはお近づきになれません。主人にこんなぬるい風呂で風邪引かないかと言われます。柚子湯は飲んでも、入っても最高です。ぶっちぎりで人間界を楽しんでいます!3月は楽しい野外活動ですね!皆様とまた、どんな句会が出来るか楽しみです。どうぞ宜しくお願いいたします。
- 稲葉 千尋
特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」やはり今回はこの句でしょう。石牟礼道子さんを悼、この一句を思い出す。「祈るべき天とおもえど天の病む」
- 増田 天志
特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」にんげんを離れることにより、水玉は、生命を蘇生する。否、水玉は、生命そのものかも知れない。にんげんへの讃歌なのか、怨歌なのか。
- 田中 怜子
特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」水俣のことを伝え続けた石牟礼さんに敬意とともに、引き続き伝え続けることを心にとめて。特選句「伊豆湾の波高き日や金槐忌」実朝の心情に思いを馳せて
- 豊原 清明
問題句『「役に立つ」にんげんふやし桜の芽』社会風刺の句と見た。「役に立つ」にんげん という表記と、役に立たない私が、ひがむかのような感情に落とす、暗い句だと思う、読者の私に誤読があるのだろう。特選句「九条はサンドバッグじゃないぞ諸君」 社会批判の句と思う。良く言えたと思う。面白く言っていて、好いと思う。鋭く感じた、一句。
- 藤川 宏樹
特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」初見で見落としましたが、「にんげん」が地位・名誉・財産にしがみついても、「みな」平等に、進化・成長の過程で過ごした「魚」に「ぽたぽた」と落ちるという、奥行きある句です。
- 田口 浩
特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」人間は母胎に入り、誕生して死ぬまでに、生物個々の歴史をくりかえすという。句の場合、人間を魚に変えることは、神の意志でも無理であろう。それが出来るのは、ただ作者の「思い」である。と同時に〈薄氷〉であろう。この場面から、人間が薄氷に閉じこめられているところを想像する。薄氷を破ぶってガバッと起きあがる人。魚に変化する人。 私には、尾鰭を巧みに使って、スウーと深みに消えていく魚が見える。つまり人が、魚に変化することへの思いである。そう見れば、近頃はまっている「カミ」の世界が重なり懐しく思えてくる。特選とした所以である。
- 山内 聡
特選句「ふりむけばいつもの景色しやぼん玉」子供がシャボン玉を吹いている。シャボン玉のゆくえを眺めていて当たり前のことに気づく。変わらないいつもの景色に安堵感を覚えるのと同時に子供が育っていく日々の変化にも安堵感を感じている、のかな。
- 矢野千代子
特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」魚になるのも自由ですが人間でいるのも良いですよ、と上章が活きいきと迫り「薄氷」へのイメージがふくらみを増してくる。なによりも効果抜群のひらがな表記だろう。
- 男波 弘志
特選句「春の海辺の巻貝は巻貝だ」俳句の表現を畢らせることは、なにも言わないこと、母音、あ、を、17音に、一字に、凝集すること、ここに莞爾たり。「冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり」匂いなき、冬蝶、それはもう日溜まりのみを、母、のみ、を嗅いでいるのだろう。「雪しずり骨より声の出ずる刻」情緒なき、雪の嵩、雪国は雪を情緒として見ていない、そこに風土のしたたかさがある。「雪つもる全ての色を否定する」雪一色、雪五尺、単に覆っているのではなく、圧殺する色、雪国。『「役に立つつ」にんげんふやし桜の芽』役に立つ、政治的ではなく、経済的ではなく、只只隣の人の為に。「血のごとくけもののごとく春の泥」泥のうねり、轍、靴あと、生き物の痕跡が照り映えている。「芽明りや河原の石を積み崩し」奔騰する芽吹き、河原の石さへも崩れている。「石光る汚るるものに梅の花」汚れるもの、滅びるもの、そのいのちを讃えるひかり、石が臨終している。「町の音してをり春の氷あり」俳句表現の精髄、省略、ではなく、凝縮、それが俳句、町の音に凝縮されている。「涅槃雪ひげうっすらと妻の口」芭蕉も西行も、敢えて「生活最底辺」へ下った。その意味をはっきり知るべきであろう、美もまたしかり、生身の最底辺、それが俳諧。「やはらかにすべて受け入れ春立ちぬ」すべて、とは、と思う、が、仏教思想の空無、なら、それが叶う。
- 三好つや子
特選句「手探りの母性たんぽぽ手渡され」赤ん坊と日々向き合い、ヒヤッとしたり、ホッとしたり、を繰り返しながら、成長していくお母さんに、エールを送りたくなる作品。特選句「肉体はやわらかき枷冬薔薇」 気持ちばかりが一人歩きし、思ように動けない老いのからだをもてあましている作者に共感。冬薔薇が効いています。入選句「冬の蝶アンネの呼吸ひそやかに」座五がすこし気になりますが、本棚のうしろで息をひそめ、多感な少女時代を過ごしたアンネと、冬蝶がみごとに響き合い、感動しました。
- 野澤 隆夫
特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」2月初旬、石牟礼さんが逝去され、朝日新聞に池澤夏樹さんが文章を載せてました。〝苦界浄土〟はドキュメントの話で文学だったということを初めて知りました。一度は読んでおかなくってはと、句会の日にJR高松の熊沢書店で買って今読んでます。特選句「九条はサンドバッグじゃないぞ諸君」〝サンドバッグ〟のごとくぶたれる〝九条〟に対する作者の憤りが何とも痛快です。〝諸君〟と呼びかけて。
- 若森 京子
特選句「山笑う駆け落ちものを匿いて」駆け込み寺もあるが、もっと大きな大自然が人間の様々な喜怒哀楽を包みこんでくれる。偉大な懐の様なものを感じた。特選句「涅槃雪ひげうっすらと妻の口」年輪を重ねた夫婦の絆の様なものを感じる。涅槃雪に季語が大変効いている。
- 新野 祐子
特選句「古書店へ入る春雪と赤い靴」古書店という知の迷宮に、降る先から消えていく春の雪と、存在感があるようでない赤い靴を履いた人が、シュールで鮮やかな映像が浮かび上がります。特選句「Me Tooの胸の白バラ冴返る」昨年大きな話題となったアメリカの「沈黙をやぶった人たち」。女性たちが性暴力を告発し、加害者には社会的な制裁が課されました。日本では伊藤詩織さんが勇気を奮って裁判に訴えたのに、セカンドレイプのような情況になっています。日本のこの男尊女卑の根深さよ・・・。時事問題にアンテナを張って一句に仕立て上げた作者に拍手。問題句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」おもしろい句。さかなになるひとと、にんげんでいるひととの紙一重の差は何なのか聞きたいです。入選句「寝かされている大根の色香かな」今昔物語に蕪に欲情した男が出てきますが、大根にも?「降る雪や苦海浄土に華一輪」今月一日、石牟礼道子さんか他界。哀悼句として胸に沁みます。俳人でもあった石牟礼さん、「けし一輪」「花れんげ一輪」などの句がありますね。「ひとつマフラー二人して心中沙汰」恋する二人の脳の中にはドーパミンがガンガン増えていて、死ぬどころではないと思うのですが?
今朝早朝ラジオをつけた途端、兜太先生が亡くなったと耳に飛び込んできました。寝ぼけていて聞き間違えたと思いたかったけれど。この悲しみ、何と表現したらいいのか。皆様、ご同様のことと・・・。
- 夏谷 胡桃
特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」。意味はよくわからないのですが、勝手に解釈しています。人間は魚からやり直したほうがいいいと。嘘と兵器と憎しみで充満しそうな地球に窒息して海に逃げ込むのでしょうか。でも、歴史は繰り返す。魚からはじめたところで、同じことの繰り返しかもしれません。特選「バレンタインデー息を切らして坂登る」。好きな子にチョコレイトをあげたくて走っているのでしょうか。背中は見つけても駆け寄ってはいけないのかも。今ではバレンタインデーも様変わりして、あまり男の子にあげないようですね。なつかしい感じがしてとりました。
金子兜太にラブレーターを送るように毎月俳句を送っていました。送る相手がいなくなって、覚悟はしていましたが呆然としています。
- 松本 勇二
特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」虚構ではありますが実感がありました。問題句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」感覚の効いた佳句ですが、中7を「性を沈める」とした方がスムーズに読みになるのではと思います。
- 鈴木 幸江
特選句「一日一生枯芝蹴って逆上がり」一日を一生と思い、一心に生きてみたいものだとは常々思っている。でも、どうやたらそんな気持ちになるほどの気合を入れられるのか分からないでいた。 この作者は、枯芝を蹴って逆上がりをする気合があれば出来ると教えてくれた。ありがたい。特選句「丹波黒一粒欠けていて二人」勝手な解釈を楽しませていただいた。黒豆の煮物の一粒が欠けていたのだ。何故かと思いを巡らせばそれなりの理屈は見つかるだろうが、何故かもやもやしたのだ。二人とは、夫婦のこと。この関係も訳が分からずもやもやしているのが現代。もやもや感は、現代社会への警告も含んでいる。そのもやもや感を大切に扱かった一句として頂いた。問題句「まんさくやまつらふことのなき土塁」“まつらふ”とは服従すること。“土塁”とは土を盛り上げて築いた小さなとりでのこと。どちらも、辞書のお世話になった。具体的表現で高い志を感じさせる一句なのだが、何か物足りなさがあって問題句とした。まんさくに儚さも感じられ、忘れてはならない歴史的事実もそこから思われ惹かれもしたのだが、何故か残念感が残った。
最後に、兜太先生が、亡くなられた。来る日が来たのだと思っている。あの世からも欲しい兜太選である。晩年は生きていることが自分の存在意義であるようなことをおっしゃっていらした。わたしには、到底手の届かない境地である。わたしはと言えば、混沌とした現代を生きている証として、いつも、もやもやを感じている。そして、それを大切に扱っていこうと覚悟をした次第である。
- 河田 清峰
金子兜太先生を悼む…私を朝日俳壇で見いだし導いて道筋をつけて頂きありがとうございました。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」大切な人を亡くした今詠みなおしてみると哀しみを鎮めている気持ちになるから不思議な気がします!柚子湯の季語が生きたいい句だと思います!
- 野口思づゑ
特選句「凍つる背に唇這わせ生きんとす」生きることに対する執着の強さを芸術的なエロティシズムの光景でよく表わされていると思った。「卒業式ただいまと言ふこの一瞬」卒業式を終え、ただいまと家に帰ってきた、この瞬間に完全に学生生活が終わったのですね。「春立や水に浮かびし絹豆腐」透明な水に浮かぶ絹豆腐が目に浮かびます。
- 大西 健司
特選句「婦人雑誌の付録は風のたてがみを」私は「たてがみを」の「を」を勝手に省いていただいた。「風のたてがみ」と言い切りたい。婦人雑誌のさまざまな付録のひとつに風のたてがみがある、そんな楽しさを評価したい。問題句「与兵衛どの丸太冷とうござります」遊び心が一杯で好きな句だが、作者の作為が見え過ぎかな。面白すぎるあざとさを少し思う。
- 重松 敬子
先生の訃報に接し,様々なこと思い出しています。とうとうお目にかかれずじまいでしたが,句誌を通じて多くを学ばせていただきました。天寿とは言え残念です。特選句「寝かされている大根の色香かな」大根を肉感的にとらえた面白さ。昔から大根足などと白く堂々とした太さを健康的な人体にたとえられ,殊更新しい題材ではないが,上手く一句に仕上げていると思う。
- 伊藤 幸
特選句「初蝶の白きを重ねここより野」兜太大師の「よく眠る夢の枯野が青むまで」を思い出した。こういう句を読むと兜太先生を思わずにおられない。めでたき句であるというに申し訳ない。見方によってはある意味追悼句ともいえる。兜太先生よく頑張って来られました。ゆっくり休んで下さい。
- 三枝みずほ
特選句「おさんどんがれきの中で火を燃やす」三.一一かもしれないが、一.一七のことをふと思い出し共感した。水道が使えない状況、寒い外での炊き出し、悴んで包丁を使う。外で作られるものは本当に限られている。それが何日も続く。それでも、おさんどんの火は命と繋がっている。問題句「うららかや雛を皺と間違える」雛人形を間違えて皺人形としたと推察。他にも何か季語が見つかりそうな面白い句。
- 漆原 義典
特選句「寝かされている大根の色香かな」我が家で畑で大根を植えていますが、いままで大根に色気は感じたことがなかったです。地面から抜いて畑に置いた状態の大根を寝かされていると表現し、色気を感じる作者の感性に感心しました。 金子兜太先生がおなくなりになりました。報道を見て驚きました。ご冥福をお祈りします。
- 中西 裕子
特選句「忘却や不意に風花不意に父」おもいがけずいきなり風花が吹きつける、忘れていた父の思い出がよみがえるなにか切ない気持ちになる句でした。高齢の父がいるせいでしょうか。まだまだ寒い季節ですが春の句もあり暖かい気持ちになりました。
- 銀 次
今月の誤読●「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」怖いですね。怖い怖いお話しですね。なんといっても「薄氷」ですからね。これを踏んで池の対岸まで渡るんですね。なんでかというと、対岸まで渡ったひとには大金が手に入るからなんです。でも落ちたひとはそのまま命を落とす。なんとまあ怖ろしいギャンブルなんでしょうね。おお、怖い怖い。これに似たエピソードが、マンガの〈カイジ〉にありましたね。あれはビルとビルの間に掛け渡した鉄骨の上を歩いていくんでしたね。もちろん落ちたひとは即死です。その生き残りをかけた心理戦が見事に描かれていましたね。そして、それを大勢の大金持ちがワイン片手に笑って見てるんですね。まるで古代ローマのグラディエーター(剣闘士)の闘いを見る貴族のそれと同じです。なんという残酷。この薄氷のレースも同じですね。「さかなになるひと」というのは運悪く氷が割れて池に落ちたひとのことですね。それを作者は、さかなになるとたとえているんです。つまりは食べられるひと。一方「にんげんでいるひと」というのはまだ落ちてないひとのことなんです。このひとたちは、もしかしたら食べる側にまわるかもしれません。たとえば、いまもお他人さまの下半身事情をあげつらって、〈不倫だ不倫だ〉とお祭り騒ぎしているひとたち。このひとたちもまた、氷の割れ目に落ち、さかなになったひとのうろたえるさまを娯楽として楽しんでいる。さかなになったひとを食べてるんですね。なんて浅ましいんでしょう。にんげんって怖い動物ですね。ひとの不幸を楽しむのは古今かわらないエンターテイメントなのかもしれません。しょせん人間性ってその程度のものなんでしょうか。そんなことを考えさせられる句でした。では、さいなら、さいなら、さいなら。
- 寺町志津子
特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」人間が、ぽたぽた水滴のように海に落ちて魚となって泳いでいくメタモルフォーゼ(変身)の光景が、動画のように鮮やかに浮かんだ。言葉を越えて強烈なビジュアルで迫ってくる句に引きこまれた。
- 疋田恵美子
特選句「歓声の宙返りする雪五輪」羽生結弦さんの見事な演技。彼の屈せぬ勇気がとても素晴らしいと思う。特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」九州熊本生まれの、偉大な作家を悼む。
- 菅原 春み
特選句「 降る雪や苦界浄土に花一輪」 動かない降る雪という季語を得て、花一輪がいきた。ご冥福をこころより願う。特選句「猟犬の眼にまだ力ある二月」以前見た猟犬のらんらんと輝く眼が忘れられない。まだ・・・あるに舌をまいた。
- 竹本 仰
特選句「待ちに待ったお日さまですねクロッカス」口語体がすんなり入ってきました。誰に言っているのかは、もちろんクロッカスでしょうが、クロッカスの目の高さに下りた感じ。と同時に、クロッカスと止めたことで、クロッカスに同化した、そんなしっかりした押さえがあるなと思いました。しかも、クロッカスのあの独特の揺れ方が、余韻としてありますね。私とお日さまとクロッカス、その空間の空気感、過不足出ているんではないでしょうか。 特選句「自鳴琴柩と唱和はじめます」うーん、オルゴールの表記ではだめなんですか?オルゴールのあの不思議感、たしかに出そうと思えば、これもありかも知れませんね。ちょうど初めてオルゴールに接した人類が感ずるような、として見ればですね。お葬式で言うと、ちょうど出棺の前でしょうか、柩の故人に花をお供えします、あのタイミングで感じるあの何がしかの旋律、おやっ、どこから?なれば、やはり自鳴琴でしょうか。そして、フィルムが逆回転するような、急テンポな回想が。その故人との思いがけない邂逅があり、その一連の流れが、何か、自鳴琴と言わざるを得ないようなものに突き動かされます、そして、この時、本当に何かがはじまったのです。特選句「老いこそ力天地を統べる大野火よ」力み過ぎる、この力み感が老いの力だと、自然に出ています。大野火を高空から鷲が眺めている、そんな印象ですが、この鷲なるものはどこから遣わされたものか。よく震災の後に被災地に保育園の児が合唱しに行くと、老人は涙なしでは見られないと言います。最も新鮮な生のエネルギーが洗うからでしょうね。一方で、普段の肉・魚などの食は、死のエネルギーを取り込むその気で我々の生はめざめさせられると言えるのでしょうか。ここでの老いのエネルギーは、みはるかす、黒く燃えた大地の向こうに控える、次代を呼び込むその気なのでしょう。老いの力は、その尽きせぬ思いそのものと言っていいのでは、と思いました。問題句「芽明りや河原の石を積み崩し」この句の異様さ、おもしろく。河原の石云々は、賽の河原の、あの子らのうかばれぬ話ではないかと思い、そこへ芽明りか、何でしょう、明るいのですね。何だか、ミュージカル・賽の河原のようで。安部公房の晩年の作に『カンガルー・ノート』があった、あれもわけなく明るい晩年の感じでしたね。この句、読んで、ただ訳もなく笑えてきて仕方ありませんでした。以上です。
金子先生の訃報を聞き、昨日は何もできず、でしたが、今月の投句は、そうか、と、これが私の悼み方でしたでしょうか。いつも、仕事ではありますが、お通夜で申し上げるのは、この世での生き方はここまでですが、いま、あたらしい生き方が始まったのですということと。ありがとうを申しあげましょうということです。他に何があるというのでしょう。「海程」への残りの投句、何だか、いっそう原点への問いかけのようなそんな気がしています。皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
- 月野ぽぽな
特選句「涅槃雪髭うっすらと妻の口」おそらく気づくと初老を迎えた伴侶なのではないかと思った。女性のこのころは心身の変化のおおく起こる頃。ふと気づいた妻の髭。生の哀しさと愛おしさが涅槃雪により立ち上がる。
何か辛いことや悲しいことがおこった時の助けの言葉に、「それでも人生は続く」 前向きに行こう、という意味のLife goes onがあります。 今ふと思いつきました。 Life goes on, Haiku goes on! 心の中の兜太先生はあの暖かな笑顔でいらっしゃいます。
- 桂 凛火
特選句「春立や水に浮かびし絹豆腐」春の季節感を水に浮かぶ絹豆腐としたところが新鮮でした 古今集を下敷きにしているのでしょうか?大胆ですっきりした句の姿に心惹かれました。問題句「ときにダンスを十二月八日の猫」:「時にダンスを」がおもしろくていただきました。でも私がダンスを踊る?それとも猫が時にダンスをなんでしょうか・・。12月8日の猫は意味深長 で、挑発的ですがやはりちょっと意味が把握しにくいと思いました。
- 谷 孝江
毎回のことながら句稿の届く度、どうしようと楽しいこと半分、従いてゆけそうもない世界へ入ってゆく怖さ半分、己を励ましながらの選句させてもらっています。特選句「ポップコーン弾けて遊べ冬の子よ」「手探りの母性たんぽぽ手渡され」優しい言葉の中から深い味わいを感じました。途惑いながらの子育ての中の一コマと思われます。母と子の日常のやさしさが好きです。私はかって俳句は言葉はやさしく思いは深くと教えられてきました。まだ〱 その境地には至っていませんが努力だけはしようと思っている所です。たくさんの句拝見出来て楽しゅうございました。ありがとう。
- 中村 セミ
特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」人間という虚構で出来ている部分が、ポロポロと皮がはがれて、ゆくと(もっと深淵な部分の事をいっているのだろうが)魚が、表われるという句である。魚に返るといった方がいいのだろうが面白い句だと思った。元々海から発生した魚が、陸に上り何万年もの進化の果てに、人間になった。人は信用を作るのにピザの斜塔ぐらいつみ重ねなければならぬのにそれを崩すのに一瞬だ。魚に帰る時も、ぽたぽた落ちたで魚になれるという事だ。(ここ迄句評これ以降適当な文)で気になったのが、魚になれば魚の気持しか残らないのだろうが、ぽたぽた落ちた人間のパーツ、そこには人間の気持ちが未だ残っているのだろう、それはどの様にはい出しそこから何になっていったのだろうか、向うの情熱大陸や人間山脈迄それ等は、いけたのか、それ以上に人間が魚になった時、どんな性状、どんな特質で一日を過ごすのか、続編の五、七、五で書いて欲しい。
- 野田 信章
特選句「冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり」平明にして「冬蝶嗅ぐ」とは、全てが枯れ尽くした中で、かなりの生理的実感の燃焼を伴って、母そのものの存在感を具体的に止揚しているかと思う。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」は何かにつけて「溺れ易き性」と読むとき、やや自虐の加味されたペーソスのある自愛の句として味読できるかと思う。
兜太師の逝去の訃報の中で選句しつつ、いまはその魂安かれと祈るのみである。
- 小宮 豊和
問題句「誰が知らぬ咳だけがゆく真夜の道」上五「誰が知らぬ」は「誰か知らぬ」の書きまちがいではないかと思う。この句からは、「真夜」が全くの闇なのか、星明りか、月や外灯があるのかわからない。また作者がどこで咳を聴いているのかわからない。咳も男か女か、年齢はどのくらいかわからない。しかし読者はこの句を読んで、それぞれ独自に映像を思い浮かべる、大いに詩的である。
- 高橋 晴子
特選句「降る雪や苦海浄土に華一輪」石牟礼道子が九十才で逝った追悼句だと思うが単に石牟礼道子と言わずにその作品をあげ石牟礼道子の生全体を表現している処がうまいと思った。問題句「シクラメンわたしの中の怖い他人」俳句を詠んでいて、時に俳句の中に自分にも思いがけない自分を発見して、ふと俳句が怖くなる時がある。俳句の形式がそういうものを弾き出すのか、表現という作用がそういうことになるのか、よくわからないが、自分が自分だと思っている自分などほんの表面的なもので深層には何がひそんでいるか、しれたものではない。〝わたしの中の怖い他人〟と言葉で言ってしまっては、それまでのような気がする。シクラメンが効いていないのかなあ。問題句「忘れるとう慈悲もありけり桃の花」桃の花も甘いよ。忘れることは救いでもあるが慈悲などど言ってしまっては、それまで。
兜太先生、残念です。無念です。二月二十一日朝五時のラジオで知りしばらく呆然としておりました。兜太さんのことだから、もう一度元気になると信じていたのですが、でも最期まで兜太さんらしい生き方で感じ入っています。
- 柴田 清子
「春の海辺の巻き貝は巻き貝だ」を特選に。「春の海辺」が巻き貝の全てを言い表しながら、読み手を春の海辺に引きずり込む強いものがある。特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」さかなとにんげんとひととの関りが、薄氷で、かすかな繫がりを持たせている見事な一句、特選とさせてもらいました。小宮さん。第三土曜日、忘れないで、又来てくださいね。
金子先生残念な事でしたね。三月の小豆島吟行、皆でうーんと楽しい金子先生を偲ぶ会を!
- 亀山祐美子
特選句『にんげんをぽたぽた落ちてみな魚』不思議な、不気味な句である。しかも無季。「にんげん」を「ぽたぽた落ちる」ものは何か。しかもそれは全て魚になる何かなのだ。「にんげん」を伝う水か。それとも体内を巡るの血か涙か汗か魂か。悪霊か…。記憶なのか。人間が人間でいる為に捨てざる負えない何かの代償。業。煩悩。それらが解決され浄化されたものは魚になり新たな命を得る、のなら救いがある。内省的で、難解な一句。しかし、単に雪が降ってきただけの句かもしれない。おもしろい句だ。特選句『血のごとくけもののごとく春の泥』「春の泥」が「血」のようだ。という感覚は理解できる。しかし「獣」のようだという感性はどこから来るのだろう。春先、啓蟄から蠢きだす森羅万象。泥さえも命を宿すのか。特選句『芽明かりや河原の石を積み崩し』一読三途の川の景が浮かんだ。逆縁の子が積む石塚を積み崩す鬼の脚が芽明かりに浮かぶ。春先の河原の堆積物や石ころを重機が均しているだけなら、こんなにもやるせないのは何故なのだろう。特選句『まんさくやまつらふことなき土塁』大昔長尾の吟行句会で満開の紅色金縷梅の大木を見た。血のような赤だった。「服従することのない小さな砦」に「まんさく」か咲き乱れている。「土塁」といえば北九州の防人がまず浮かび、違和感があり句会ではスルーしていたが、小宮さんのご指摘で東北の蝦夷の族長阿弖流為の土塁だと知る。坂上田村麻呂への防御攻撃の為の土塁。日本固有の樹木で余寒の中、他の花に先駆けるように花を咲かせる。まず咲くが訛り「まんさく」の名がつき、葉は止血剤になるという。桜ではなく満作。東北人の土着の誇りを感じる。「土塁」のみの漢字表記に土と意志の堅さ。平仮名表記にまんさくの花びらと悠久の時空を感じる。句会でしか得られない知識が多々あります。知の人である、小宮氏が三月に、神戸へ引っ越すことになったのは『海程香川』句会に取って大きな損失であり、誠に残念です。またお目にかかれますこと祈念いたしております。お元気で。
- 藤田 乙女
特選句「老いこそ力天地を統べる大野火よ」」老いをネガティブにとらえがちな自分ですが、この句は、ポジティブにとらえ、凄いと思いました。この句から大きな力をもらったような気がします。特選句「湖にしづかな呼吸初蝶来」湖の静かな呼吸という表現がとても素敵で情景が思い浮かぶようでした。静やかな春の訪れが感じられます。
- 野﨑 憲子
特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」石牟礼道子さんは、パーキンソン病を患っていらしたという。虎落笛が光を帯びて響いてくる。問題句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」一読、兜太先生の、「戦さあるな白山茶花に魚眠る」をおもった。揚句は、大きな世界を描いていてオノマトペも見事である。だけど、私は、「みな魚」に妙な違和感があります。
兜太先生ご逝去の報道にしばらく言葉を失くしました。先生の存在の大きさに改めで気付かされる日々が続いています。でも、これから先生は他界にいらっしゃると思うと、先生を不思議な身近さで感じております。
袋回し句会
たねをさん
- 春昼やポポンSのむたねをさん
- 野澤 隆夫
- いきなりが身上といふたねをさん
- 野﨑 憲子
- たねをさんとは春の海のようです
- 柴田 清子
- 菫にも風にもなれるたねをさん
- 中野 佑海
カーリング
- カーリング真っ直ぐに猫恋に堕つ
- 柴田 清子
- カーリングよってたかって寒の明け
- 亀山祐美子
- 氷上に掃除名人カーリング
- 野澤 隆夫
バレンタイン
- ジャガイモの面子今日はバレンタイン
- 中野 佑海
- チョコレートバレンタインの苦さかな
- 小宮 豊和
- 四十年かかって告げるバレンタイン
- 鈴木 幸江
初音
- 初音かな遠くから水流れくる
- 柴田 清子
- 初音きく真昼真紅のルージュひき
- 島田 章平
- 初音して家にも後ありにけり
- 男波 弘志
- 初音せり爪の桃色跳ねたくて
- 中野 佑海
羽
- 四回転羽ある如く跳びにけり
- 藤川 宏樹
- 薄氷や羽毛よごれし家鴨たち
- 男波 弘志
- 大鷹の風切羽の鳴りにけり
- 小宮 豊和
- 蝶に気を取られるままに死者に羽
- 田口 浩
- 影踏めば二ン月の羽金色に
- 野﨑 憲子
小宮さん
- 海越えし風よ大地よ小宮さん
- 三枝みずほ
- 東風吹かば思い出します小宮さん
- 漆原 義典
- 春なれや耳にとろける小宮節
- 亀山祐美子
- 憂いなき小宮さん好き法蓮草
- 中野 佑海
- 小宮さん風光らせて海渡る
- 柴田 清子
薄氷
- 薄氷を蹴って結弦(ゆずる)の金メダル
- 島田 章平
- 薄氷や定年あとの夫のごと
- 鈴木 幸江
- うすらひや俳句の神さまだけ映る
- 野﨑 憲子
- 薄氷一つずつ減る大事なこと
- 男波 弘志
- 薄氷やハートの型に抜けしかな
- 中野 佑海
- 薄氷の第九会場海の端
- 野澤 隆夫
啓蟄
- 啓蟄やめがね補聴器総入歯
- 小宮 豊和
- 啓蟄や見開き図鑑のまま眠る
- 三枝みずほ
- 啓蟄やたねをさんは今日も留守
- 野﨑 憲子
- 啓蟄や動かぬ時計動き出す
- 中村 セミ
【通信欄】&【句会メモ】
【句会メモ】今回は、育児に忙しい三枝みずほさんも句会開始の午後1時からのご参加で、熱気あふれる句会になりました。<袋回し句会>では、2月に逝去された高橋たねをさんと、お家の事情で四国を離れる小宮さんの名前もお題に挙がり、思い出深い句会になりました。
【通信欄】2月の句会が終わり、ぼちぼち選評が届き始めた頃、兜太先生ご他界の報道がありました。先生はお元気だという思いが強くあり俄かには信じられませんでした。2月20日、午後11時47分にご他界されたそうです。安らかなご最期だったと伺いました。選評と共に届いた追悼文も、そのまま掲載させて頂きました。先生は、百歳を越えてもお元気でいらっしゃると確信しておりましたので、今も信じられない思いでいっぱいです。衷心からご冥福をお祈り申し上げます。
先生は、この「海程」香川句会報をとても楽しみにしていらっしゃいました。先生の話されていた、生も死も同じ「いのちの空間」へ向かって、ますます熱く渦巻く豊かな句会を展開して行きたいと強く念じております。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
三月句会は、事前投句はいつも通りですが、高松での句会は、舞台を小豆島へ移して、兜太先生追悼の一泊吟行会を行います。どういう作品が集まるか、今から楽しみです。
冒頭のスケッチは、本句会の仲間、藤川宏樹さんの作品です。
Posted at 2018年3月2日 午後 01:45 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]