2022年7月28日 (木)

第130回「海程香川」句会(2022.07.16)

風鈴.jpg

事前投句参加者の一句

短冊に小(ち)さき手形の星祭 佐藤 仁美
捨て猫をまた戻す道夕焼道 松本美智子
とろとろと俳句煮ている今日は夏至 寺町志津子
ソーダ水あなたの嘘が透けている 藤田 乙女
昼寝覚め己の翳を抱へ込む 亀山祐美子
夏鳶や足が離れてからの海 三枝みずほ
薔薇ひらく神の瞼であるように 津田 将也
黴臭き蔵出し言葉迷走す 樽谷 宗寛
ストリートピアノ戦争が歩いてる 大西 健司
犬待たせ生パン選ぶ梅雨晴間 菅原 春み
老犬の背ナ波打って熱帯夜 福井 明子
踊り子草川音辿れば生家見ゆ 山本 弥生
眉あげて人形芝居も鬼百合も 十河 宣洋
花柘榴咲き初む蛸の足に似て 佐藤 稚鬼
花氷夫を恋人などと言う 野口思づゑ
空豆の莢の寝床の永久ならず 石井 はな
牢固たる亡父(ちち)の輪郭冷奴 高橋美弥子
瓦礫で地下壕で演奏す虹のよう 桂  凜火
螢袋あの日還らぬ慰問袋 若森 京子
風鈴がちりんと揺らす我の闇 菅原香代子
万象の全てとなりぬ骨一片 川本 一葉
苦瓜をくたくた炒めデモクラシー 伏   兎
蝸牛いつも無所属マイペース 滝澤 泰斗
巡回医湯上りを来し半夏生 吉田亜紀子
始まりは詩集の余韻白雨来る 高木 水志
思い出を食べつくせよと盆料理 夏谷 胡桃
夏空や大きな計画始まった 河野 志保
顔に水ぶっかけ洗う夏がきた 重松 敬子
武器持たぬ青鷺媚びた釣波止場 河田 清峰
夏目漱石入ってゐますメロン すずき穂波
桑の実を野性的に噛む獺祭忌 久保 智恵
百日紅画廊に空の余白かな 佐孝 石画
わが家系に芸妓屋があり浮いて来い 淡路 放生
水無月の母の水より生まれけん 川崎千鶴子
炎天行く己れの影の重さかな 稲   暁
三匹の蛇を見た日の茹で玉子 榎本 祐子
野良猫を家猫にする喜雨の中 新野 祐子
あの痛みもう忘れたのですか夏 山下 一夫
炎昼や男がひとり死んでいる 銀   次
瞬夏瞬冬 夢の世の天の川 島田 章平
ひまわりや筒垂る赤き焼戦車 藤川 宏樹
赤きビーサン室内履きとして銀髪 中野 佑海
梅雨明けのぐらんぐらんの二つ足 豊原 清明
用水路鮒の水脈さえ羨みて 鈴木 幸江
しずかなる父母へ風鈴吊るしおり 松本 勇二
辣韮の漬け方鶏の殺め方 あずお玲子
蠅叩き構へ正眼面一本 野澤 隆夫
白骨の白絵の具剥ぐ何層も 中村 セミ
接種痕見せ合ふふたり夏薊 大浦ともこ
夏野菜のこと妻に言い出勤す 稲葉 千尋
枇杷剥いて憚りながら独りです 谷  孝江
金魚悠々終末時計加速中 塩野 正春
夏草やカインとアベル「死のフーガ」 田中アパート
海よりも浮輪が好きな女の子 風  子
連れ添いて不協和音の夏落ち葉 小山やす子
文月や酒のラベルの女面 松岡 早苗
頬かむりして案山子よ退屈かい 矢野千代子
ひまわり畑引火の兆しありにけり 森本由美子
まっ先に熟れるトマトはシャイだろう 吉田 和恵
蛍籠提げ来し指をあらひけり 小西 瞬夏
「桜桃忌」私はしゃきっとした人が好き 田中 怜子
靴紐は自分で結べ雲の峰 男波 弘志
子燕や早とちりしてネオンの街 増田 暁子
大きくなれよく笑う児よ夏銀河 伊藤  幸
父の日の外風呂青年前隠す 野田 信章
ががんぼよ一杯やるかこんな夜は 植松 まめ
笑ったつもりが泣いていた素足だった 柴田 清子
七月を吸って吐いてはゆうるりと 三好三香穂
梅雨明け早し蝉は目覚めの一刻前 漆原 義典
短冊の白紙かむながら大暑 荒井まり子
熱風の天より地より白く湧く 高橋 晴子
空白は君の証しだ夏休み 竹本  仰
噴水ふと止み私なにやってんの 増田 天志
生きしものの匂いに満ちし梅雨に月 飯土井志乃
空海が来る大夕焼の水平線 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「蛍籠提げ来し指をあらひけり」。なぜ、指を、洗うのか。蛍を、掴んだからか。死の予感を、払拭するためか。いづれにしても、蛍は、蛍籠に、入れるべきではない。自然、いのちに、不浄なる指で、触れてはならない。いくら、指を、洗っても、その罪からは、逃れられない。自然、いのちは、神聖なものだから。

松本 勇二

特選句「笑ったつもりが泣いていた素足だった」。口語調の軽やかなリズム上手し。「素足だった」という予想できない展開や見事。

小西 瞬夏

特選句「夏鳶や足が離れてからの海」。「足が離れてからの海」それがどうだとは書かれていない。書かれていないからこそ、そこから想像が始まる。海の深さ、美しさと恐ろしさ、不安、豊な命…相反するものを含みながら、景が広がる。「夏鳶や」がその広がりに手を貸しているのだろう。

塩野 正春

特選句「万象のすべてとなりぬ骨一片」。あらゆる生命体の最後は収斂して骨一片、土一粒となる事は誰も変えられない事象です。その骨や土が化石となり遺伝情報が保存され、地球や更に宇宙の歴史となって記録される。その情報が過去に遡って犯罪捜査に利用されたり、新しい生命体が複製されることも可能になります。 今研究されているリュウグウの土などにも生命体の痕跡を探しています。 先人が、魂が宿るといわれる骨を保存し祀ることは人間の歴史始まって以来続けられていますが今更ながら感服する次第です。ただこの句の最も言わんとするところは、一片の骨になった方を思う寂しさにあると思います。 特選句「先生の初潮の話姉と蚊帳(川本一葉)」。俳句では扱いにくい題材を見事に取り上げられました。 蚊帳中は家の中で一番落ち着く場所で、且つ怖い話しをする場所です。先生の初体験をお姉さんから恐々、しかし真剣に聞く様子が描き出され、男性の私も感銘を受けました。 問題句「文月や酒のラベルの女面」。作者はおそらく酒好きの女性の方?ラベルの女面とは言い切ったものですが、たぶんご自分を重ねておられると思います。すごく面白い句なので取り上げました。問題というわけではなく、作者のお気持ちが知りたい訳です。自句自解「七夕や問ふは死後の世界など」。理論物理学者のホーキング博士が生前遺されたお言葉:死後の世界などない!。これを問いただすことが出来ればという思いです。「金魚悠々終末時計加速中(なか)」。核戦争だけは避けてほしいと願うばかりです。

津田 将也

特選句「番犬は昼寝びたりでありにけり(風子)」。「これほどのお暑さゆえ、どうかゆるされよ!」とは、番犬よりの弁明。夏の「炎暑」を頷けられて、面白い。特選句「花氷夫を恋人などと言う」。「花氷」に寄り添い涼をとる夫。その妻へ、「彼はわたしの恋人よ!」と嘯くのは花氷。この仕掛けが面白い。

すずき穂波

特選句「ひまわり畑引火の兆しありにけり」。ウクライナ侵攻を思うのは当然だけれど、もっと巨大化してきている民の憤りというか、悲哀というか もう訳のわからない どろどろ、溶岩のようなものがすぐそこまでやって来ているというのは、私の馬鹿げた妄想でしょうか? 特選句「ストリートピアノ戦争が歩いてる」。昔の映画の《 戦場のピアニスト 》が浮かんできたが、現実的にはウクライナ侵攻そのものが、あちこちに歩き出し、今や世界的に様々な危機をもたらしている、このロシアの あまりに汚い(やり口)を思った。

豊原 清明

特選句「牢固たる亡父の輪郭冷奴」。「牢固たる亡父」が好きで、「冷奴」に好感を持つ。父の顔を想っている句。問題句「瓦礫で地下壕で演奏す虹のよう」。詰め込み過ぎかと思ったが、暗いイメージの句の中に「虹のよう」が、決して暗くない。暗い時代の中の演奏。光。

中野 佑海

特選句「夏目漱石入ってゐますメロン」。夏目漱石の入ったメロンて食べる前の能書き凄いんだろうな。あの皮の線だけで、30分待たされる?特選句「蠅叩き構へ正眼面一本」。蠅を叩くだけでも心鎮め、その蠅に真正面から向かう。この一途さに一本。「短冊に小さき手形の星祭」。短冊に子どもの手形を押してある。親の永遠の望みは子の健やかなること。「捨て猫をまた戻す道夕焼道」。捨て猫を拾って持って帰りたいけど、怒る母の顔が夕日に重なる。「とろとろと俳句煮ている今日は夏至」。この暑さで頭の中はとろとろと。ひょっとして、いつもと違う素敵な俳句作れたりして。「薔薇ひらく神の瞼であるように」。薔薇はいつも神秘的で絶対的です。「茄子の花昨夜来ていた河童の子」。茄子の花は河童のお皿のようにかわいらしい。「螢袋あの日還らぬ慰問袋」。螢袋のあのしわっとした感じが慰問袋なんだ。と見たことは無いけど納得です。「蝸牛いつも無所属マイペース」。蝸牛は誰とも連まないし、行きたい方に行くし。誰かに何かを頼ることも無い自由。「母の日記に破かれた頁カキ氷(野口思づゑ)」。母には母の秘密という蜜の味。蝸牛と同じ遅さで、夏を過ごしています。

風   子

特選句「まっ先に熟れるトマトはシャイだろう」。これから最初に熟れたトマトには、シャイなのね、と声をかけましょうか。

若森 京子

特選句「踊り子草川音辿れば生家見ゆ」。繊細な調べを辿れば懐かしい生家にたどり着いたと、この一句の言葉の美しい響き合いに惹かれた。特選句「笑ったつもりが泣いていた素足だった」。この一句には、何も結論めいた言葉は無いが 人間の本能的な状態のあるがままの姿を並べただけで、本質が見えている様で興味津々。素足だった の季語が一句を締めている。

小山やす子

特選句「万象の全てとなりぬ骨一片」。愛する人が骨一片となりましたが万象の全てとなってしまったという実感もどかしくて悲しいです。

淡路 放生

特選句「ストリートピアノ戦争が歩いている」。―首を廻せば、テロあり、コロナあり、ウクライナありの世上に、ストリートピアノがある。鍵盤を叩く人によっては戦火も現われよう。愚かなことだ。目線をずらせば、古都や森には静かで美しいものがたっぷりあると言うのに。句は、ピアノを通して戦争はイケマセンと言っているように読める。類句があるかも知れないが、「ストリートピアノ」は私の心に響き、他を凌駕していよう。

夏谷 胡桃

特選句「短冊に小さき手形の星祭」。小さきものたちの願いが叶いますように。幸せな未来がありますように。手形がかわいらしくて良いと思いました。

藤川 宏樹

特選句「夏野菜のこと妻に言い出勤す」。裏庭で胡瓜かトマトでも育てているのかな。出来を見て「晩のサラダに」と伝え、いつもの時間に出勤する。すでに定年、朝の出勤がなくなって久しいが、この句の豊かな一日の始まりを羨ましく思った。

野口思づゑ

特選句「苦瓜をくたくた炒めデモクラシー」。デモクラシーの意味をしっかり考え直す必要ある現在かもしれません。その世相をよく表しています。特選句「思い出を食べつくせよと盆料理」。故人の声でしょうか。思い出を食べつくせとはいいですね。『「桜桃忌」私はしゃきっとした人が好き』。私もです。

福井 明子

特選句「夏鳶や足が離れてからの海」。地を飛び立つ鳶の行方を眺める目線とともに、海が広がってゆく。「離れてからの」の言葉が視界を広げてゆく原動力になっていることに胸のすくような感動をおぼえました。特選句「あの痛みもう忘れたのですか夏」。敗戦の夏から、77年。忘れてはいけない。繰り返してはいけない。「あの痛み」。最短の言葉に込められた、願い。切実さを伝える一句。

矢野千代子

特選句「炎天行く己れの影の重さかな」。「影」の作品は、決して新鮮なテーマでないでしょう。でも、これほど心象にずしっとひびく作品はめずらしい。それほど重いのですね。拍手!

稲葉 千尋

特選句「ががんぼよ一杯やるかこんな夜は」。ときたま出てくるががんぼに声かける「一杯やるか」が楽しい。

樽谷 宗寛

特選句「空海が来る大夕焼の水平線」。ダイナミック。映像が浮かんできました。「茄子の花昨夜来ていた河童の子」。河童がでてくると、香川句会のはるばるの旅が思い出されます。まさに柳田国男や宮沢賢治の世界、最高でした。

男波 弘志

「捨て猫をまた戻す道夕焼道」。道が2回でてきますので、夕焼中 で充分でしょう。もう少し劇的に拵えてもいいかも知れません。虹立ちぬ はっとしてまた猫を抱えている姿が想像できます。「犬待たせ生パン選ぶ梅雨晴間」。勘所があるとすれば、食パンでは句にならないということです。パンの質感に梅雨が絡まっている感じ何でもない日常から詩を見つける人が本当の詩人です。どちらも秀作です。

句会でどなたかが小生の駄句の自句自解を求められたそうなので、解釈しておきますが一行詩は読み手のものになってこそのものです。あまり作者の理解に引っ張られずに自由に鑑賞してください。千人が千通りの世界を創り出すのが理想です。「靴紐は自分で結べ雲の峰(男波弘志)」。通常私たちは体の動きについて意識はしていません。無意識でいなければ恐ろしく緩慢な動作になってしまいます。だからそれでいいんですが、原始仏教の頃から自身の動作を殊更意識する訓練をしてきました。自己の有りようを深く認識するためです。おそらく芸能の世界でこれを最初に取り入れたのが申楽ではないでしょうか、やがて世阿弥が全ての所作を意識的にコントロールすることを実践していきます。茶を大成させた利休もこのことを認識していました。芭蕉も同じことをしています。つまり日本の芸能、詩歌の世界は無意識を意識化することで開花した、そういって大過はないでしょう。靴の紐を自分で結ぶことを意識した瞬間に自己の躰が自己になり、靴紐が靴紐になるのです。靴紐を結んでいる指、その一本一本を意識化することで、雲の峰も、雲の峰になるのです。硬く結ぶか、ゆるやかに結ぶか、無意識では決してコントロール出来ない世界です。決然と意思を結ぶことも、ゆるやかにたちあがることも全てが意識化の中にあるのです。無意識は無意識で勝手に動き回っています。これは放っておいても死んだりはしませんから、安心(あんじん)してください。聊か冗漫なことを書きましたのでこれにて擱筆いたします。

佐孝 石画

特選句「波は波に寄りかかるだけ夏の海(河野志保)」。海をぼんやり見つめていると、波同士のつながりのようなものが見えてくる。単純に「寄りかかる」だけの関係性。自意識を超えたその眩しい波達の触れ合いに、作者は憧憬を覚えたのだろう。何か救われる気がする良句だ。

野澤 隆夫

特選句「茄子の花昨夜来ていた河童の子(松本勇二)」。つい先週、芥川龍之介の『芋粥』を読みました。芥川は自分を投影の河童の画を多く遺したとか。茄子の花に、昨夜来た河童のお皿を見た!面白いです。特選句「神官と巫女の飛び出す白雨かな(飯土井志乃)」。長谷川町子の『サザエさん』の世界!ドタバタ感にあふれてます。

三枝みずほ

特選句「くりかえし声を死なせた金魚鉢(男波弘志)」。声を死なせた無音の金魚鉢がただ観賞用としてある。まるで社会の縮図のように。金魚はだれか。そう思うと金魚鉢のきらきらした美しさが恐怖をもって迫ってくる。特選句「赤きビーサン室内履きとして銀髪」。一読、「正視され しかも赤シャツで老いてやる(伊丹三樹彦)」を思った。前者は銀髪の達観、後者は反骨、両者とも自分の軸に揺るぎがないと感じるのは赤の持つ力だろう。

柴田 清子

特選句「空海が来る大夕焼けの水平線」。思はず手を合はし、無になれる空海が、うたはれている。

鈴木 幸江

特選句評「三匹の蛇を見た日の茹で玉子」。この生生しさはどうした訳だろう。探究心を刺激された。蛇や鴉が野鳥の巣を襲い卵を奪うシーンは何故か脳に深く刻み込まれてしまっている。自分も玉子を食べているくせに。どうしてあのシーンはあんなに辛いのか。親心、生きものの宿命、幼い命への憐憫等々、わが心に宿る人間の心の根源に出会った結果だと思った。“三匹の蛇を見た“という蛇の存在認識と“茹で玉子”の日常の現実との間で生まれる俳句文学ならではの行間に真実が表出されている。

大西 健司

特選句「枇杷剥いて憚りながら独りです」。何とも云えないとぼけっぷりが好きです。問題句「笑ったつもりが泣いていた素足だった」。この訥々とした物言いが魅力なのだが微妙。

桂  凜火

特選句「思い出を食べつくせよと盆料理」。さりげなく言われた言葉のようですが、心やさしい感じですね。盆料理で実感があります。親戚が集まる数少ない機会も失われつつあります。郷愁も感じられてよかったです。

谷  孝江

今月もたくさんの佳句拝見。嬉しかったです。このたくさんの句の中から選句などととんでもない重荷です。寝て起きて働いて・・・・・と誰もが同じ様に見える生活の中でお一人お一人の思い感じ方見えてくるものが全部違うなんて只々驚いてばかりです。特選句「靴紐は自分で結べ雲の峰」。「しっかりしろ」と私自身背を叩かれたような気にさせられました。九十年と三か月。あとどれだけ句作りが出来るのか「靴紐は自分で結べ」です。今後ともよろしくお願い致します。

あずお玲子

特選句「片陰に名を付けて去る画廊主(佐孝石画)」。恩師の退職祝いに当時の仲間と絵を贈りました。画廊で買い物するのは初体験。手探りの私たちにアスコットタイをきちんと締めた初老の画廊主はとても丁寧に絵のいろはを教えてくれました。大きな買い物を終えての帰路の街路樹が、やけにキラキラしていたのをこの句が思い出させてくれました。

前回の拙句「古書市に軍事郵便あり暑し」への様々な鑑賞、ありがとうございました。吉祥寺の古書市で娘が軍事郵便を見つけました。私の40年来の愛読書、向田邦子氏の「父の詫び状」を娘も読み深めていたので、軍事郵便に反応したのでしょう。直ぐに写メを送ってくれました。私も娘も本物を見たのは初めてでした。日付は読み取れませんでした。満州国の父親から日本の娘に宛てた本文には、『庭の木に烏が巣を作って賑やかです。〇〇ちゃん(娘)に負けないようにお父さんも元気に頑張ります。』といった内容が短く書かれてありました。そして文末に「サヨウナラ」。ゾワゾワして変な汗が滲み出て来るようでした。この父娘がその後どうなったのか、何故この私信がたった300円で今売り物になっているのか。これを見つけた時、娘は「言葉にならない感情が沸き起こり、誰かしらと共有しなくてはいけない」と思ったそうです。私は戦後生まれ。嘘っぽくなりそうで戦争を詠むという行為には少なからず抵抗を感じていましたが、今回ばかりは句にしようと思いました。娘と同じくこの感情を誰彼無しに伝えたいと思い、経緯と共に書かせていただきました。ウクライナやその他の場所での紛争が、一日も早く過去になる為の次の段階に進むことを願ってやみません。頂いたご選評に改めて感謝したいです。ありがとうございます。

河野 志保

特選句「とろとろと俳句煮ている今日は夏至」。「俳句煮ている」に惹かれた。稲光のようにできる句もあるけれど、じっくりペースもまた良し。夏至の雰囲気とも相まって、気だるいような作者の心のありようも感じる。

十河 宣洋

特選句「空めくりて花火マニアの友逝きぬ(森本由美子)」。花火マニアといっても自分で花火を作るのでなく、各地の花火を堪能していると解する。空を捲って花火の元に迫ろうとするような意気込みの友人だったように思う。空を見上げながら花火シーズンになったと思いながら亡き友を偲んでいる。特選句「夏目漱石入ってゐますメロン」。夏目漱石とメロンの関係は知らないが、メロンを見ながらの想いは楽しい。「入っています」が断定とも取れるし、緩やかな疑問とも取れる。楽しい作品。

増田 暁子

特選句「人の世の数多の狂気梅雨の空(藤田乙女)」。狂気なのか、欲望なのかこの戦争は。梅雨空に心が濁ったのか。寂しい人間たちです。特選句「笑ったつもりが泣いていた素足だった」。          素直な胸の内の表現と思う。素足だった。がとても良いです。「とろとろと俳句煮ている今日は夏至」。 私も本当にとろとろ俳句を煮ています。「ソーダ水あなたの嘘が透けている」。プーチンの演説のことを思いました。でも、SNSとか噂も真意を確かめる必要がある社会で油断できませんね。「空豆の莢の寝床の永久ならず」。莢のふわふわの寝床の安心はいつか無くなり、人間社会もそのようだと同感です。「牢固たる亡父の輪郭冷奴」。お父さんも冷奴のような時もきっと有ったはず。年月を経て解ってきた。と作者。「あの痛みもう忘れたのですか夏」。原子爆弾や戦争の痛み、と取りました。日本人は優しいのか忘れ易いのか。「呟きに似て十薬の花の点々」。可憐な白い花で美しいが、強烈な個性の香り。花点々が上手い。「生きしものの匂いに満ちし梅雨に月」。梅雨の月のぼんやりとした様子は生き物の匂いがする。作者の感性に共鳴します。

伏   兎

特選句「夏目漱石入ってゐますメロン」。夏目漱石の小説にちりばめられた、詩のような哲学のような言葉は、精神的にいつも不安を抱えていた漱石自身の心の叫びかも知れない。「メロン」という表現が、繊細で緻密な彼の頭の中を想像させ、深く共感した。特選句「少年の抜け殻付けて蓮の花(高木水志)」。開花するとき付いていた花の咢が、開花とともに枯れ落ちる様子を詠んでいるのだろうか。少年の抜け殻という措辞が、神秘的なこの花にふさわしい。「眉あげて人形芝居も鬼百合も」。人形劇の人形の眉と、鬼百合の雄蕊、そういえば似て居るような気がする。作者の観察眼に脱帽。「辣韭の漬け方鶏の殺め方」。スーパーマーケットのない田舎で生きていく極意をリアリティに語っていると思う。

久保 智恵

特選句「少年の脱け殻付けて蓮の花」。新鮮な少年の臭いが伝わりそうな気がします。

高木 水志

特選句「定住漂泊の金魚といふ光源(すずき穂波)」。兜太先生がおっしゃっていた「定住漂泊」の考え方は、日常生活を送る中でアニミズムの原始の世界を憧れて生きていくことだと僕は思っている。金魚鉢の金魚の泳ぎは確かに定住漂泊を体現している。金魚がひらひらと泳いでいる様子を光源と表現したのがいいと思う。

飯土井志乃

特選句「万象の全てとなりぬ骨一片」。亡父を見送り老いの孤り立ち途方に暮れて迷い児のように家路につく人々を見つめていた夕暮れの門口。そんな光景が甦ってきます。深い喪失の後揺がない存在がきっと力になると信じて長いトンネルを歩いています。下五の<骨一片>にその力を感じました。

滝澤 泰斗

特選句「夏の近江あさきゆめみし櫓の リズム(増田暁子)」。夏の近江で櫓のリズムとあれば、「琵琶湖周航の歌」私ならさしずめ我は海の子なんて平凡な中七で満足しそうだが、あさきゆめみしとくれば、夏の朝の湖の上の臨場感が醸し出され二重丸。特選句「連れ添いて不協和音の夏落ち葉」。長く連れ添った二人の共同体でもすれ違うことや理解の及ばないことがないわけではないが、せいぜい俳句で気持ちを整えることもある。ちょっと片腹痛い句だが、共感していただいた。「とろとろと俳句煮ている今日は夏至」。イメージを言葉にする内面の作業を上五中七のユニークな言葉を充てたところがいい。「思い出を食べつくせよと盆料理」。盆と正月が一度に来たと豪勢な料理を形容することがあるが、そんなお盆の際の料理を亡くなった人との思い出を話題にしながらの盆の風景。しかしながら盆に子供は帰ってこず、親兄弟もいなくなり、しばし、忘れていた風景に共鳴。「母の日記に破かれた頁カキ氷」。ミステリアスな中七が物語を紡ぎだす・・・。「病む父に一つの決断梅雨の月」。私の場合は病む母だったが・・・気づいたときはステージ5の末期の癌。ターミナルケアを思案している時に医者に言われたモルヒネという引導。

松岡 早苗

特選句「百日紅画廊に空の余白かな」。郊外か、避暑地の画廊でしょうか。広いガラスの一枚窓から外の百日紅と夏の空が見えて、それもまた一枚の美しい絵のごとく目や心を癒やしてくれているようです。特選句「白骨の白絵の具剥ぐ何層も」。一句の中に、死と生、冷淡さと執拗さといったアンビバレントなイメージが内在されていて、その上で根源的な何かを追究しようとする強烈なエネルギーのようなものを感じました。

寺町志津子

特選句「空海が来る大夕焼けの水平線」。殺伐とした今の日本!いや、世界!それを空海師は気にかけて海から来られたという俳句。心明るくなりいただきました。特選句『「桜桃忌私はしゃきっとした人が好き」。して得たり、の好きな句です。このところ、ことにしゃきっとしない私ですが、この句に力を頂きました。

田中 怜子

特選句「ソーダ水あなたの嘘が透けている」。若い男女がソーダ水を前にして、相手の本意を探っている ソーダ水の泡も少なくなり、そのへんの白けも感じられて、ドラマのシーンのよう。

山本 弥生

特選句「海よりも浮輪が好きな女の子」。コロナ禍で、待ちに待ったやっと海へ行ける日が来たので浮輪を買いに行ってどれにしようかと選ぶ女の子の目の輝きを見守る母親の嬉しそうな顔も見えてくる。

田中アパート

特選句「炎昼や男がひとり死んでいる」。そうか、一人で死んでいったか。特選句「先生の初潮の話姉と蚊帳」。なるほど見たこと、聞いたことない俳句。問題句「夏野菜のこと妻に言い出勤す」。出勤することないだろう。なんで出勤するんや。

石井 はな

特選句「蝸牛いつも無所属マイペース」。蝸牛の生き方良いですね。こう在りたいものです。

中村 セミ

特選句「万象の全てとなりぬ骨一片」。人間結局は死んで、たった白い骨になってしまう。それは自然をつくる様々なものの、ひとつに、かえる、と作者は、哲学の如く、静止し、消えてしまう、人間を切なく読んでいるように,感じられた。

吉田 和恵

特選句「辣韭の漬け方鶏の殺め方」。辣韭と鶏の取り合せが絶妙。今時、らっきょうはともかく鶏を捌く家は皆無かと思いますが、我が暮しの中ではどちらもやります。鶏の方は愉快なものではありませんが、慣れれば難しくはありません。らっきょうは、らっきょう酢なるものがありますが、今だに虎の巻頼みです。一粒づつ洗うのが面倒でいつ止めようかと思いつつずるずるやっています。特選句「枇杷剥いて憚りながら独りです」。枇杷の滴り。独りでも孤独でない豊潤な時を感じます。   

たとえば休み明けのような・・・。またよろしくお願いいたします。 

新野 祐子

特選句「蝸牛いつも無所属マイペース」。こういう意思表明がきっぱりできる社会でなければなりませんね。言論統制が厳しくなる方向にあるように思えてなりませんから。特選句「短夜のまた寝違えるろくろ首」。発想がおもしろいです。一人あんまをして(これはろくろ首では大変ですね)治してください。葛根湯も効くそうな。

竹本  仰

特選句「夏鳶や足が離れてからの海」。海にうろつく夏鳶はさびしそうに見えます。そのさびしさが人の自立のさびしさと重なっているように見えるのがいいと思います。「足が離れてから」の「から」が特に、浮薄な生のありさまをリアルに感じさせます。海水浴などでふいに水の中で足が離れた時のあの感じでしょうか。特選句「始まりは詩集の余韻白雨来る」。「詩集」という表現に好みが分かれる所なのかとも思いながら、でも、こういう風景というのはあるあるだなという感じがします。「白雨」がいいですね。あてどない明るさというか、何のために生きてるんだろうとメタフィジックに来る瞬間というか、つかみきれないけど確かに有る何かなんだが、とそういう所が描かれているのかと思いました。特選句「水無月の母の水より生まれけん」。「母の水より」というのが心にくいところだと思います。しかも「生まれけん」とさりげなく過去推量にまかせ、説話の一節を読んだように普遍化させているのは、なかなかのものだと感心します。自然に流れるようなリズムがあるのもいですね。〈物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる〉という和泉式部の目線に近いものを感じました。以上です。今回は母の登場する句が多く、夏、それからお盆という流れのようなものからでしょうか。みなさんの夏の表情読みとるように斜め読みしています。香川句会の「生きもの感覚」味わっています。次回もよろしくお願いします。

前回(第129回)は選句しませんでしたが、「古書市に軍事郵便あり暑し」について、昔から、神戸元町の高架下の「元高」と呼ばれる古道具屋で、軍事郵便もよく見ました。何でしょう、訳の分からない朱の角印が捺されてあったり、こんなもの誰が買うんだろうと、不思議に思ったものでしたが。でも、私も変人なのでしょうね、ガラスケース越しに文面を読もうとしたりもしましたが、昔の人は達筆です。万年筆の草書体、こんなのでも読めたんだと、驚きました。家族の歴史が曝されて、でも不思議なのは、そういう葉書だったり写真だったりが、何か救いを求めているような感じがしたことでした。さまよっているのかな。ひょっとしてまだ相手に渡っていないものも。とにかく、妙に身につまされるものではありました。選んではいないものの、ああ、あれだと、なつかしいものでした。

川本 一葉

特選句「顔に水ぶっかけ洗う夏がきた」。夏の眩しさと若さに溢れていると思いました。暗いニュースなどが多い昨今、活力漲る句は清々しいです。

榎本 祐子

特選句「炎昼や男がひとり死んでいる」。男の死のみがクローズアップされている。炎昼と死の静寂に打たれる。

川崎千鶴子

特選句「呟きに似て十薬の花点々(寺町志津子)」。十薬の花を呟きに見立て末尾に「点々」が見事です。

漆原 義典

特選句「蝸牛いつも無所属マイペース」。ほっとする句です。古希を1年後に迎える年齢になりました。このような穏やかな日々を過ごしていきたいと思います。

佐藤 仁美

特選句「空めくりて花火マニアの友逝きぬ」。楽しいこと大好き!…の友だちが、逝ってしまった。「空めくりて」がユニークで、この友の朗らかさ、飄々とした仕草など想像できる表現でした。特選句「呟きに似て十薬の花点々」。暗い緑色の葉と、白い十薬の花の対比が浮かびました。呟きという比喩が、ひっそりと咲く様子と重なります。

河田 清峰

特選句「三匹の蛇を見た日の茹で玉子」。気になる句ですが、玉子の白いすべすべした艶と蛇との取り合わせが微妙。

植松 まめ

特選句「人の世の数多の狂気梅雨の空」。安部元総理が亡くなった、突然の事件は衝撃的ではあったがああこれで森友も加計も桜もすべて蓋をされてしまうのだろうと感じた。戻り梅雨だろうか豪雨が人の心をさらに不安にする。特選句「連れ添いて不協和音の夏落ち葉」。仲の良い夫婦と思っていたが私達夫婦も金婚式を前にして諍いが増えた。不協和音の夏落ち葉に納得だ。

藤田 乙女

特選句「思い出を食べつくせよと盆料理」。 盆料理とはそういう意味合いだったかと妙に合点する句でした。特選句「子燕や早とちりしてネオンの街」。子燕を愛しむ気持ちがよく伝わってきました。

大浦ともこ

特選句「幼友達足投げ出して西瓜食む(山本弥生)」。”足投げ出して”、”食む”のざっくばらんな表現に幼友達同士の気の置けないひとときが伝わってきて懐かしい気持ちになりました。特選句「大きくなれよく笑う児よ夏銀河」。”大きくなれ”というささやかで慎ましい願いの中に児への愛情が真っ直ぐに伝わってきます。”笑う児”も明るく、季語の夏銀河も句の中で生き生きとしてると思います。

重松 敬子

特選句「枇杷剥いて憚りながら独りです」。簡潔にして、簡潔。しかしながら作者の心情は十分伝わります。 

伊藤  幸

特選句「生きしものの匂いに満ちし梅雨に月」。スケールの大きい句だ。この句を只今現在を必死に生きている、否、必死でなくとも生きている世界中のすべての人に捧げたい。如何なる人間であろうと如何なる動物であろうと月は平等に照らす。その有難さを忘れてはならぬと作者は言っているのかもしれない。  

山下 一夫

特選句「ソーダ水あなたの嘘が透けている」。決まりはありませんがソーダ水に透明な容器は付き物。細かい泡に実体はないので嘘。罪はない感じですが次から次に出てくるのでしょうか。軽い味わいに好感を持ちます。特選句「父親によく似た娘花かぼちゃ(植松まめ)」。視点には父親、母親、他人、自身、花かぼちゃには雌花、雄花があり得ます。父親、母親、他人の視点では娘のほのぼのとした愛嬌が浮かんできますが、自身だと自嘲や一抹のさみしさも伴います。味わい深い句だと思います。問題句「母の日記に破かれた頁カキ氷」。中七(字余り)までは軽いショックを連想しますが、リズムが今一つです。「落丁が母の日記に」とかはいかがでしょうか。座五は軽いショックに近い含みがある季語よりも遠い方が良いのかもしれません。例えば…と結構楽しませていただきました。

森本由美子

特選句「螢袋あの日還らぬ慰問袋」。晒し木綿の袋に詰められた思いは何人の兵士に届いたのだろう。NHKの尋ね人の時間は記憶から消すことができない。特選句「生きしものの匂い満ちし梅雨に月」。動物、植物に加えて、たとえば辞書一冊、梅雨時の机上で存在感という菌の匂いを放っている。これもいきしものと考えれば、連想は途切れることがない。

三好三香穂

「ソーダ水あなたの嘘が透けている」。そうなの。あなたの嘘はお見通し。何処で何をしているかもお見通し。だけど、あえて言わないの。そうなの。としか。「炎昼や男がひとり死んでいる」。安倍さん、物音に振り向いて、前を見た途端、その次の瞬間、散弾銃の弾が首と胸に命中した。炎昼、衆目の中、倒れ、心肺停止。死んだ。「しずかなる父母へ風鈴吊るしおり」。もう、ものを言うことなく、叱るでもなく、励ますでもなく、しずかになってしまった父母。時に、話したくなる。これで良かったのとか、料理の味つけとか。せめて風鈴をプレゼントして、風の力を借りて話したい。「母の日記に破れた頁カキ氷」。消したい日、消したい出来事、消したいポートレート。男の子しかいない私には、気付いてもくれないことかもしれません。

野田 信章

特選句「ががんぼよ一杯やるかこんな夜は」。ここには夏の宴の喧噪はない。そこがわが暑気払いの一句として味読するところである。日常詠ながら「ががんぼよ一杯やるか」には、無類の底抜けしたと言うか構えのない呼びかけがある。それを受けて「こんな夜は」というやや翳りを帯びたフレーズには読み手にとっても、吾れもまたと思わせるだけの普遍性がある。一句自体が特段取り立てて言うほどのこともない呟きというほかあるまい。そこに込もるペーソスの意外なしたたかさーこれをしも昭和という時代相を生き抜いてきた者の体感のぬくもりを伝えてくれるものではないだろうか。

菅原 春み

特選句「老犬の背ナ波打って熱帯夜」。熱帯夜は老人にとっても、ましてや毛皮をまとった老犬にとっては厳しい寝苦しい夜です。そこを背ナ波打つという具体的な表現であらわされたところに共感します。文句ひとついわずに現実を従容している動物の姿に感動します。特選句「巡回医湯上りを来し半夏生」。湯上りで汗水たらして駆けつけてくれる巡回医がいるなんてすばらしい。季語がなんとも合っています。景がはっきり見えます。

松本美智子

特選句「夏空や大きな計画始まった」。夏休みに入りました。まだまだコロナの影響が色濃くすっきりとしない日々が続いていますが,こどもたちは嬉々として風のごとく,校舎を去っていきました。大いなる冒険や挑戦を心に抱いて・・・いや、小さくても確実な一歩をあゆみ続ける子も・・・学校に来れないあの子も・・転校していった子も・・今年の夏よ・・・それぞれの子にそれぞれの恵みを・・。?自句自解「梅雨音やローズアロマのホットヨガ」。最近、ダイエットのためにホットヨガの体験をしました。続けようか迷っていますが、その時の体験を詠みました。「捨て猫をまた戻す道夕焼道」。は、小学校の頃、弟と捨て猫を拾ってきて飼うことを許されずにまた戻しに行ったという、つらい体験を思い出し句にしました。→自句自解有難うございました。

吉田亜紀子

特選句「踊り子草川音辿れば生家見ゆ」。踊り子草は、薔薇や百合のように大胆に華やかに咲く花ではない。ゆっくりと道を歩いていないと気がつかない、とても小さいが可憐な花だ。この句は、踊り子草を見つけた喜びの歩と、川水の流れる音といった、視覚や聴覚に加え、「生家見ゆ」という言葉から、心の動きが受け取れる。それは、とても優しく、やわらかな感情だ。また、「辿れば」の言葉から、ゆっくりと歩きだす時間の感覚を滑らかに味わう事が出来る。特選句「木苺の笑みとびとびに島の道(稲 暁)」。木苺を見つけたら、世代を超え、誰しも笑んでしまう。その瞬間を切り取った一句。この句は、「とびとびに」という表現で躍動的且つ、生き生きと、木苺を見つけた喜びが表現されている。何度も口遊みたくなる、楽しい一句だ。

銀   次

今月の誤読●「炎天行く己れの影の重さかな」。わたしは一本道を歩いている。暑い。陽は中天にかかり、灼熱が頭上から降り注いでいる。あたかも煮え湯のなかを歩いているような心地だ。いや、歩いているというより、交互に足を引きずっているというほうがいまの状態にはふさわしい。全身から汗が噴き出している。おまけに荷物まで持っている。紙袋だ。なかには町にいったついでに立ち寄った骨董屋で買ったアールデコまがいの花瓶が入っている。たかがガラスの花瓶なのに、いまは鉄アレイのように重い。新聞紙にくるんだそれが紙袋のなかでガサガサ音を立てている。普段はなんでもない音だが、いまのわたしの耳にはそれがまるで無数のゴキブリが這いずりまわっているような音に聞こえる。ああ、イライラする。それでもこの道をゆかねばならんのだ。でなきゃうちに帰れない。暑い。ひどく暑い。あとどれくらい歩けばうちにたどり着けるのだろう。それよりここはどこなんだ。と、脳内で、ボン、というはじけるような音がして、目のなかに閃光が走った。同時に、手に持った紙袋が路上に落ちた。わたしは放心したように、突っ立ったままで、ガシャとガラスの割れる音を聞いていた。「わかったぞ!」わたしは声に出していった。そしておそるおそる来た道を振り返った。案の定だ。後方にはゴム状の影があり、それがわたしの足取りを重くしていたのだ。わたしはその影から足を引き剥がそうとするのだが、ベッタリと靴裏にくっついて離れない。ならばと紙袋からガラスの破片を取り出し、その尖った先で、がむしゃらに切り裂こうとした。影は路上をのたうちまわった。最初は右足、次に左足と突き刺すと次第に影はおとなしくなった。やれやれと汗をぬぐい改めて歩こうとした。さあ一歩、と歩を進めたとたん、影はムクムクと起き上がり、わたしの背中から這い上ってきて、やがて全身を包み込んだ。わたしは影になった。

高橋 晴子

特選句「始まりは詩集の余韻白雨来る」。余韻が生きている。いい時間ですね。

亀山祐美子

特選句『少年の抜け殻付けて蓮の花』抜け殻を付けているのは私か蓮の花か。普通に鑑賞すれば「少年の抜け殻を付けた」私が蓮の花を見ているのだが、蓮の花に「少年の抜け殻」がくっついている。少年は何処へ…。どちらともとれてそれなりに面白い空想を楽しめる一句だ。 問題句『死ねるやうな暑さの二日三日四日(柴田清子)』俳句はただ今この瞬間を詠うものだと教わった。また季語が動かないことが肝心だとも教わった。この句は「寒さ」と置いても成立するし「二日目三日目四日目」とだらだらと時間の経過の報告をしているだけで緊張感が無い。無いから「死ねるやうな」と刺激的な言葉を選択した割には響かない。言葉だけに頼っているから読者の想像の余地が無い。感情はものに託せと教わった。感情を述べずものに託せば詠み手の想い以上のものを読み手は受け止めふくらませる。それが俳句だと私は教わった。

荒井まり子

特選句「瞬夏瞬冬 夢の世の天の川」。宇宙の何光年という単位からみれば瞬夏瞬冬とはよくぞいったもの。人類の歴史は繰返し。悪戯に時は過ぎゆくのみ。 宜しくお願い致します。

稲   暁
菅原香代子

「思い出を食べつくせよと盆料理」。家族がお盆に集まり個人の思い出を話している情景が目に浮かびます。

高橋美弥子

特選句「枇杷剥いて憚りながら独りです」。やわらかい枇杷の実を丁寧に剥きながら、独り身である自分と向き合う時間。ちょっとせつなく、ちょっと照れくさいような。好きな視点です。問題句「夏目漱石入ってゐますメロン」。とてもおもしろい発想だと思う。何度も繰り返して音読するといよいよおもしろい。選は外れたが気になる気になる。

野﨑 憲子

特選句「頬かむりして案山子よ退屈かい」。私の散歩道にも頬かむりして手持無沙汰の案山子さんが居る。いつも声をかけて通るのだが、つくづく元気で歩けることの幸いを思う。作者も、きっと同じ気持ちのように感じる。優しく美しい調べに魅せられた。問題句「夏空や大きな計画始まった」。問題句というより、もう一つの特選句。一読、<計画>を具体的に、とも思ったが、<始まった>がいい。このままがいい。この作品を見ていると、未来から吹いてくる風を感じる。宮沢賢治の『生徒諸君に寄せる』の詩の一節「新たな詩人よ嵐から雲から光から透明なエネルギーを得て人と地球にとるべき形を暗示せよ」。が浮かんできて猛烈に嬉しくなった。  兜太師が東京新聞の第一面で企画推進されていた『平和の俳句』の願いを胸に、不穏な世界へ、五七五の愛語を熱く発信して行きたいと言う思いが渦巻くばかりです。皆様の作品を楽しみにいたしております。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

夏空
夏空よなべて数式だつたのか
野﨑 憲子
夏空を駆けゆく少女汗清し
銀   次
巡り来る怨蹉の響き夏の空
三好三香穂
勢いの余って夏の空へ飛ぶ
柴田 清子
夏雲が好物だつてね明烏
野﨑 憲子
夏空を背負つて阿吽の鳶仕事
大浦ともこ
父母よ還る場所あり盆の月
三好三香穂
盂蘭盆会若き尼僧の経ほがら
大浦ともこ
足音にひよいとふり向く盆提灯
野﨑 憲子
盆に寄るわが一族に罪の色
淡路 放生
浮いてこい
浮いて来いもうこれ切りよこれ切り
柴田 清子
一流の縁者はおらぬ浮いて来い
藤川 宏樹
そのかみの不比等の海女よ浮いてこい
野﨑 憲子
昏い昏い昏い水の底より浮いてこい
大浦ともこ
寺町の葭簀の蔭の店に入る
淡路 放生
大夕焼背負って小さき酒肆行かむ
大浦ともこ
橋桁に水の来てゐる夜店かな
柴田 清子
あの日夜店でウルトラの面欲しかつた
野﨑 憲子
タバコ屋の店先暑し招き猫
銀   次
夏帽子
夏帽子船は港を離れけり
柴田 清子
顔のなき大夏帽子の歩いて来
三好三香穂
カンカン帽好きに勝手にしてるだけ
藤川 宏樹
理科室に教師の麦藁帽がある
淡路 放生
ヘップバーンの頬骨をかし夏帽子
大浦ともこ
ついてゆきたかつたことも夏帽子
野﨑 憲子

【句会メモ】

猛暑の中、コロナ感染者激増の中、高松での句会は7名の参加で開催しました。少人数ながら、熱く楽しい句会でした。袋回し句会も、自由題無しで、5つの題限定で創りましたが、佳句がたくさん生まれました。あっという間の四時間でした。藤川さん、お世話になりました。次回もよろしくお願い申し上げます。

事前投句は、150句が集まりました。カラフルで光を帯びた作品がきっしりで、句稿作成がとても楽しかったです。皆さまありがとうございました。お休みされていた、矢野千代子さんや吉田和恵さんが投句を再開され嬉しかったです。次回も楽しみにいたしております。

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