2022年9月3日 (土)

第131回「海程香川」句会(2022.08.20)

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事前投句参加者の一句

                                                                       
五十年ぶりの石鎚散骨す 吉田 和恵
人逝きて温もり更に夏の空 小山やす子
無益なる死を包む八月の闇 風   子
芭蕉布に献上きりり夏深し 森本由美子
夏草や熊くずれ落つ不憫です 十河 宣洋
黒葡萄指を汚して透きとほる 大浦ともこ
夕焼けに白球転がる敗戦忌 重松 敬子
ヒロシマもナガサキも居ず核会議 滝澤 泰斗
天使の輪入道雲にすつぽりと 福井 明子
蒼天より鳥落ちてくる炎暑かな 新野 祐子
白南風や海に向かって深呼吸 菅原香代子
灼け花に生きて生きて水遣りす 川崎千鶴子
人類のニンゲンごっこを原爆忌 竹本  仰
夜鷹鳴く明日へ進むか留まるか 高木 水志
やわらかな拳の中の金魚の死 榎本 祐子
ゆらゆらとまくなぎ立てて野のうつろ 月野ぽぽな
白き帆へなりゆく少年の抜糸 三枝みずほ
夏草や毛筆の字を淡々と 高橋 晴子
揺れるたび数が違って向日葵咲く 河野 志保
ねじり花黙って見つめる愛しかた 増田 暁子
夏蝶のさまよう鉄路空襲忌 稲   暁
今ごろは入道雲の肩あたり 亀山祐美子
過去未来すべて忘れて水鉄砲 藤田 乙女
もくもくの夏雲追いかけ地を駆ける 三好三香穂
柔らかき旅する心地昼寝かな 銀   次
終戦日茶色い日々に赤を差す 山下 一夫
ソーダ水地球の青を吸い上げる 菅原 春み
エトランゼ合わせ違える浴衣かな 松本美智子
五感みな研ぎ澄ます秋探します 柴田 清子
絶対と三度聞いたね原爆忌 藤川 宏樹
コロナ陽性ひとり寝のわれ蚯蚓鳴く 漆原 義典
みずほさはさは天の川ゆらりゆら 島田 章平
きな臭き対岸悌梧も玫瑰も 山田 哲夫
天蓋花濁世透かせてをりにけり 稲葉 千尋
瓜漬でさらさら二杯どこ行くの 大西 健司
茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る 松本 勇二
むせかえるむくろの死臭野糞たれ 田中アパート
盆帰省母に信じられて帰る 津田 将也
秋蝶のついと寄りくる淋しいか 谷  孝江
指差せばみんな指差す初蛍 吉田亜紀子
自粛中曲がる胡瓜の酢みそ和え 山本 弥生
高野切なぞる筆さき夕蛍 松岡 早苗
日盛りやキリンの睡り二十分 <高橋美弥子改め>向井 桐華
しゃらしゃらと緑降りけり狐雨 川本 一葉
いっせいに写経はじめる蝉しぐれ 増田 天志
まっすぐに立たぬ老松長崎忌 河田 清峰
接着剤剥がすよう脱ぐTシャツ 野口思づゑ
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森 京子
白い綿棒黒い綿棒終戦日 伏   兎
八月を生き戦後から戦中へ 荒井まり子
八月や弥次郎兵衛のごとく揺れる 石井 はな
広島や水平線に音のなく 男波 弘志
遠花火ははの本音を聞きたきに 植松 まめ
爆死童子の墓前山楝蛇走るよ 野田 信章
蝉時雨抱きしめる程の絶望をください 佐孝 石画
銀漢や銃弾放つ少年の悲しみ 田中 怜子
盆の月我より若き亡(は)母(は)恋し 寺町志津子
ホタル掌に韋駄天のごと勇む母 樽谷 宗寛
じゃじゃ馬の泡立ち秋の薔薇と化す 中野 佑海
秋霖に身動き出来ぬ程抱かれ 久保 智恵
帰省子のえのころ草のなか抜ける 佐藤 稚鬼
フェノロサと晴れた甘藍畑行く 淡路 放生
白き父赤き父ゐて晩夏光 すずき穂波
玉葱の中の私のわたしかな 鈴木 幸江
八月やヴィヴィと鳴く虫多し 豊原 清明
少年の稚魚が青きをさがす旅 中村 セミ
また一つ軍靴西日に呑まれけり あずお玲子
短夜のディキシーランド君は元気か 伊藤  幸
風死せりコロナ禍に読むアラン・ポー 野澤 隆夫
パラアスリートに学ぶ人体天高し 塩野 正春
露万朶地球の民と思ふべし 野﨑 憲子

句会の窓

島田 章平

特選句「黒猫や夏野の波に呑まれゆく(川本一葉)」。広がる夏野に消えてゆく黒猫。ただそれだけの描写なのに無限の世界を感じさせる。黒猫だからだろうか。作者の内面にまで入る様な異様な空間を思わせる。特選句「しゃらしゃらと緑降りけり狐雨」。「緑降る」が夏そのものが降っているような壮大な句。「狐雨」とは日が照っているのに小雨が降っている現象。「狐雨」としたことで、神秘的な句になった。

増田 天志

特選句「白き帆へなりゆく少年の抜糸」。抜糸跡は、赤黒い。抜く糸も、白い帆と、感じられない。包帯なら、白い帆とのアナロジー。でも、ポエジーは、リアルな物事ではなく、感性の問題。目に見えない心理、心境の描写。少年、抜糸は、希望、未来へ。未知の世界への、航海。詩情は、知性ではなく、感性。

すずき穂波

特選句「八月やただ幽体として過ぎる(若森京子)」。オカルトなるものは全く信じはしないが、幽体と表示されると至極日本的、能楽での幽玄をおもう。薪能は俳句では春の季語だが、歌道では季節を問わない。八月ならさしずめ、幽けき深山に棲む 夏の曲『山婆』の鬼女、人間、自然、宇宙に開けた叡智をもつ不可思議な鬼女のように、この八月を過ごしている作者なのかもしれない。特選「黄金虫今朝は異界につながれて」。異界は人間界のことだろう。逆にコガネムシの世界になら捕らわれの身になってみたいです。

山田 哲夫

特選句「撃つなイワンよひまわりの中母が居る」。ひまわりはウクライナの国花。国に居残る母を撃ってくれるなと切に願う子の立場にたっての戦地想望の一句で、「撃つなイワンよ」という生の呼びかけがいきなり読む側の心に訴えてくる。「ひまわりの中母が居る」という比喩的場面設定も素敵で心憎いと思います。特選句「玉葱の中の私のわたしかな」。私とは何者か。誰しも分かっているようで、案外分かっていない厄介な存在。誰もが私?わたし?ワタシ?等と問い続けて日常を送っている。そして、まるで玉葱の皮が剥けるように、私のなかのわたしに少しずつ気付きながら年をとる。自分の中の多様な自分という存在を「私」と「わたし」と表記分けすることで、本当の自分に迫ろうとする真摯な生きる姿勢が伺われているところに惹かれました。  ♡古風な自分の句に、少しでも皆さんの新鮮な発想や視点に富む句から刺激をいただきたく、この八月号から初めて参加させていただきました。どうぞよろしくご指導ください。

伏   兎

特選句「パラアスリートに学ぶ人体天高し」。肉体のハンディを乗りこえ、記録に挑むアスリートの底知れぬ力に、神々しさを覚える。天高しの季語も素敵で、私にとってぶっちぎりの秀句。特選句「白き父赤き父ゐて晩夏光」。 若き日の父のことだろうか。夏の終わりの甘やかで、ほろ苦い心象を、二つの色で表現した句に出会ったことがなく、とても惹かれた。入選句「茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る」 お酒が好きな、人懐っこい生前の父親像が浮かび、ほのぼのとした。入選句「やわらかな拳の中の金魚の死」 うまく説明できないが、生きている側に優しく寄り添う死のありようを、捉えているのだと思う

松本 勇二

特選句「盆帰省母に信じられて帰る」。母親に言えないことは増えるばかりでしょうが、「信じられて帰る」ことが最大の母への心配りです。

樽谷 宗寛

特選句「撃つなイワンよひまわりの中母が居る」。イワンのばかの民話を思い出しました。世世をつぎ幾千万の母が育て上げたひまわり。母なる大地です。時事を作品にされ胸うたれました。

福井 明子

特選句「ヒロシマもナガサキも居ず核会議」。七十七年前のあの惨状を知っているはず。だのにいまだ核ありきの議論が続く。人類はもう二度と同じ轍を踏んではいけない。込められた万感が沁みてきます。特選句「ねじり花黙って見つめる愛し方」。いかに愛するか、その永遠の課題を、「ねじり花」に托した一句。みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに、ふっとこの歌が浮かんできました。 

中野 佑海

特選句「白き帆へなりゆく少年の抜糸」。孫が夏休み、歯の生え具合で前歯を抜きました。食欲満点の子が、あまり良く食べられず、少しふらっとしているのが、風の間に間に漂う小舟の帆の様に頼りなさそうで、やっぱりまだ、まだ、子供なんだと思いました。特選句「梅花藻やうす味染み入る人生観(増田暁子)」。梅花藻の小さいけれど流されてしまわない花。だんだんと人の流れの中で、生きて経験して行く様子が、良い味出している。「芭蕉布に献上きりり夏深し」。夏に着物をきりりと着て涼しげに歩ける人でいたい。「天使の輪入道雲にすっぽりと」。天使の輪の髪はちょっと悪戯しても婆さん入道許しちゃう。「過去未来すべて忘れて水鉄砲」。周りなんか見てない。水鉄砲持ったら撃ちまくれ。ロシアも同じ。武器持つことは同じ。「ソーダ水地球の青を吸い上げる」。ソーダ水は何時まで見ていても飽きません。地球の海も。空も。「みずほさはさは天の川ゆらりゆら」。瑞穂の国の日本。そして、天の国の星。どちらも豊かに。秋は実り。「接着剤剥がすよう脱ぐTシャツ」。汗でぴったり引っ付いたTシャツ。脱ぐのが大変。時々破れる。「花オクラ朝はとってもピュアなり」。最近、薄いマット2枚、高反発マット、綿布団の4枚敷で、腰痛も無く、快適な朝を手に入れました。「秋霖に身動き出来ぬ程抱かれ」。本当、最近の線状降水帯と化した雨はどうにも動くことすらできません。彼なら許すけど。ほんと先日の豪雨の中、午後2時頃、税務署に納税証明書を取りに行ったら、客は私だけ。受付の人はカウンターに5人。寒いくらい、クーラーが効いて、おまけに扇風機がバリバリ回っていた。直ぐにスイッチを切った私。15分程待たされたあげく、「もし、インターネットバンキングお持ちなら、インターネットでしたら、来なくて良いですよ。」私に喧嘩売ってる? 

月野ぽぽな

特選句「まっすぐに立たぬ老松長崎忌」。老松が長崎の、またそこに住む人々の、ひいては歴史を共有する日本人全ての来し方の象徴として働き、深みのある一句だと思いました。

十河 宣洋

特選句「夏蝶のさまよう鉄路空襲忌」。戦後七十二年を経過してなお語り継がれる空襲。今年の報道を見るとその掘り起しは例年とは違ったように思う。記憶の中にある空襲が蘇ってくる。蝶までが彷徨っているような思い。

♡十河宣洋さんが旭川文学資料館の会報に寄稿された文章を紹介させていただきます。「楽しい思い出の場として・・中学生の頃、私の育った町の盆踊りは、お盆に三日間位行われた。知った顔の人に交じって、山へ造材の出稼ぎに来ている人達も一緒に踊っていた。皆が楽しむ行事であった。 その中に一人だけみんなと違う踊をする人がいた。腰を曲げ、手を突き上げ、足はぴょこぴょこと跳ねながら踊る。皆の知らない踊である。若い娘は指をさしながら酔っぱらっているのなどと、笑っている。それを見ながら、私の父と祖父は、あれは阿波踊りと言うんだと周りの人に説明をしていた。頷く人や笑いながら見ている人、様々であった。踊りが終るとその人は十キロ近くある飯場まで歩いて帰って行く。盆踊りの期間中毎日見かけた。私が高校生になった頃は見かけなくなった。若い頃一度体験したことは人の心や体に沁み込んでいる。踊だけでなく、スポーツも習い事も詩や小説、物語など心をとらえたものは生涯忘れることはない。その人の心に懐かしさと共に仕舞われていく。横溝正史、江戸川乱歩や有島武郎の「一房の葡萄」、下村胡人の「次郎物語」など数えると切りがないが中学高校生の頃読んだ小説のタイトルや作家名を聞くだけでなにか懐かしく、ほっとする。旭川文学資料館が沢山の人にほっとする場を提供する。そして一人ひとりの胸にあの頃よく行って資料を見た、あの作家の写真を見たと、後年言えるような空間になることを思いながら十数年ボランテイアとして関わって来れたことを嬉しく思っています。今後、文学資料館がもっと市民に認知され利用されることを期待しています。

田中 怜子

特選句「揺れるたび数が違って向日葵咲く」。わかるな、一面の向日葵畑にいて見ている感じが。特選句「もくもくの夏雲追いかけ地を駆ける」。これも、ふと空を見ると入道雲がダイナミックにもくもく湧き上がっている。追いかけっこしたくなりますね。「落日にあーんと裂けている西瓜」。も面白いけど、中七の「裂けている」の「ている」が重いな。

藤川 宏樹

特選句「茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る」。盆に迎えた父の霊が、炎暑で「ぐにゃり」となった「茄子の馬」にて霊界へ還る様が目に浮かびます。それにしてもこの暑さ。これからの子らが夏の猛暑と少子高負担の暮らしを過ごさざるを得ないこと、ほんとに気の毒に思います。

若森 京子

特選句「人類のニンゲンごっこ原爆忌」。人間のエゴと欲望によって核を盾に駆け引きする世界情勢を「ニンゲンごっこ」というイロニーがぴったりする「を」を取って頂きました。特選句「梅花藻やうす味染み入る人生観」。透明な川の流れの中に梅花藻が自然に咲いているのを見て感激したが、この一句はまさにその時の思いを再現させてくれる。

稲葉 千尋

特選句「あんぱんは旨い核兵器は愚か(向井桐華)」。確かに、あんぱんは旨い。好き。こんなに簡単に反核を表現できる作者 グウ。

谷  孝江

特選句「絶対と三度聞いたね原爆忌」。私は、もう七十数回「絶対」を聞いています。いつになったらこの言葉を聞いたり言わなくてもいい時がくるのでしょう。八月がくると、気持ちのどこかが痛みます。戦前、戦中、戦後を生きてきた人たちが年々少なくなります。ヒロシマ・ナガサキは決して忘れてはならない言葉です。秋空にトンボが飛び始めました。セミ声も聞こえます。今日もいち日が過ぎてゆきます。明日も、セミ声。トンボ、散りかけの百日紅、向日葵の咲く中で暮らしたいです。

塩野 正春

特選句「高野切なぞる筆先夕蛍」。高野切からの切り口が凄いですね。ひらがなの力強さとしなやかさ、写経の静けさ、さらに夕蛍の景色に何とも言えぬ落ち着きとハーモニーを感じます。混沌とした世相を離れ、こんな時空に身を置くことが出来ればうれしい限りです。「いっせいに写経始める蝉しぐれ」では蝉しぐれと写経がよく合っていることに気付きました。特選句「コロナ陽性ひとり寝のわれ蚯蚓鳴く」。辛い体験をされ、お見舞い申し上げます。一人寝の不安を蚯蚓鳴くと表現されたことに敬服します。自句自解「日盛りや百鬼夜行の吐息満つ」。通常の人間世界を実とすれば虚の世界に百鬼夜行がたむろし機会をうかがって実の世界に入ろうとするでしょうがこの夏の暑さはそれすらも不可能にします。「パラアスリートに学ぶ人体天高し」。パラアスリートが例えば脚が無きにも関わらず金属のバネで地を駆ける様、感激と驚きの極みです。 人間という生物の知恵と可能性素晴らしいですね。

川本 一葉

特選句「夏草や毛筆の字を淡々と」。あはあはと読むのが普通でしょうが、たんたんでもとても素敵な句だと思います。夏草と毛筆の払いが呼応して、黒と緑が一体化して来るように感じました。広い広い夏野が、硯の小さな海から生まれるような。特選句「みずほさはさは天の川ゆらりゆら」。瑞穂と天の川が響き合って、地の恵みは天からと改めて感謝する気持ち、オノマトペでゆったりとした景に広がって行くようです。

津田 将也

特選句「指差せばみんな指差す初蛍」。「みんな」という言葉で、指呼の連鎖が巧く表現され、「初蛍」が新鮮になった。特選句「高野切なぞる筆さき夕蛍」。「高野切」は、古今和歌集(巻)の、現存する最古の写本のことである。写本の「切(きれ)」というのは、その「断簡」ということ。つまり、切れ切れに残っている「断片」ということ。整った旧仮名の字姿もさることながら、和歌の連綿の美しさ、伸びやかさ、優美さは秀逸である。筆さきでなぞるとき、その運筆の行方は、夕蛍の光跡にも相似て雅やかである。問題句「茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る」。お盆の時期によく見かける精霊馬(しょうりょううま)は、ナスで作られたものが「牛」、キュウリで作られたものが「馬」に見立てられており、この句は合致しない。ご先祖様があの世から往き来に使う乗り物とされているため、キュウリの馬は「早くおいでね」という願いが、ナスの牛には「ゆっくりあの世へ帰ってね」という、家族の願いが込められている。

菅原 春み

特選句「茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る」。いままでにない暑さに、載ってきた茄子の馬もぐにゃりとなったなどという表現が新鮮です。御父上はもちろん無事還られたと思いますが。特選句「爆死童子の墓前山楝蛇走るよ」。『海程』句会にふさわしい反戦の句。でもひとこともその言葉を使わないところにさらに深みが増します。

鈴木 幸江

特選句「空蝉の剥がす吾が手に抗いぬ(石井はな)」。この空蝉がプラスチックか何かであればこんな思いは起こらなかったであろう。たとえ、生命は宿っていないと頭では理解していても感情では、なかなかそうはいかない。蝉の“いのち”がまだ宿っていると感じてしまうのだ。理性と情念がひとりの人の中で戦っている有様でもあろう。“剥がす”の解釈を私は最初、壊すようなことをしているのだと思ってしまった。人の狂気を感じさらにドッキとしてしまったが、でも木から外そうとしていることだろう。ちょっと、感情を揺さぶられつつ共鳴した面白い作品と思った。特選句「ホタル拳に韋駄天のごと勇む母」。人は高齢になるとよく幼児性が現れてくる。それは、時として人間の本来性の有態を再確認させてくれる。ホタル(他の生きもの)からの刺激に感応することで生きる力がパッと光るように生じた老母の姿から圧倒的なエネルギーが伝わってきた。良い作品だと思った。

風   子

特選句「遠花火ははの本音を聞きたきに」。一人娘の私は、母との密着度が高く母のことを当然何でも分かっていると思っていました。が、それは私のわがままな思い込みでしかなかったようです。母には私に言わない本音があったかも知れないと。遠くに花火の音がしています。母の心は私から遠いところにあった時もあったのかも知れません。

川崎千鶴子

特選句「愛想なき猫が添い寝の昼寝かな(植松まめ)」。作者との昼寝は愛想のない猫とだったと言う面白さ。本当は仲の良い「猫と作者」なのです。「水母たち三宅一世悼むかな」。「水母」で服地のデザインと織り方が画期的に表現がされています。広島県出身の名誉な方。

小山やす子

特選句「フエノロサと晴れた甘藍畑行く」。高校だったか中学だったか法隆寺に200年眠っていた白い布に包まれていた救世観音菩薩像に光を当ててくれた、と習った記憶がある。嬉しかったです。/P>

淡路 放生

特選句「白い綿棒黒い綿棒終戦日」―戦中戦後の悲惨をフィルムを通して、色々見て来たが、年を取るにつれて、「バカヤロウ」と怒鳴りたくなる。戦争で人間が「綿棒」に見えるようになるのを「コッケイ」とすませられるものだろうか。戯画もここまでくれば作者の精神の多様化に感じいる。

柴田 清子

特選句「白い綿棒黒い綿棒終戦日」。五センチ程の小さい白と黒の綿棒が、世の中が大きく変わってしまった終戦日を、しっかり受け止めている不思議な句。この句に自分なりの説明も理解も及ばないでゐても特選です。

中村 セミ

特選句「白き帆になりゆく少年の抜糸」。心情を、言っている様に思う。画像もかさなるが、ケガしたところの、糸を抜いていく事で、白き純粋が帆にはられていくようで、といっているようで、見事かなこの言い方。

松岡 早苗

特選句「今ごろは入道雲の肩あたり」。小さく光って夏雲のあたりに消えていく機影。旅立ちを見送るシンプルな描写の奥に、夢を抱いたまま若くして亡くなった御霊を追想する切なさがあり、しみじみと鑑賞いたしました。特選句「しゃらしゃらと緑降りけり狐雨」。「しゃらしゃら」というオノマトペ、「緑が降」るという視覚表現。作者の感性のすばらしさに惹かれました。結句の「狐雨」での納め方も魅力的でした。雨上がりの濡れて落ちた葉っぱを見ると、ふっと狐の行列が落としていったのではないかと思う。いっとき化かされていたかのようなお天気雨の不思議な感覚が余韻として残りました。

菅原香代子

「高野切なぞる筆先夕蛍」。高野切りを選んだところがみごとです。これが特撰です。「黒猫や夏野の波に呑まれゆく」。黒猫の怪しさと夏野の雰囲気があっていると思います。

野田 信章

特選句「帰省子のえのころ草のなか抜ける」は、結句の「抜ける」によって一句の視覚的映像がさわやかに反転している句ともいえよう。「えのころ草」の本有する作用ともいえる暗喩によって帰省している子の成長をも充分に感得させるものがある。

重松 敬子

特選句「人類のニンゲンごっこ原爆忌」。ニンゲンごっこにしてしまっては、いけないこと。しかし、ずばり言い当てています。月日を経るにつれ、我々の心に薄れていくものがあることは、悲しいかな現実でしょう。

桂  凜火

特選句「白い綿棒黒い綿棒終戦日」。戦争はないに決まっているが、戦争のすべてにおいて黒白はつけがたいと思う。そんなことをこの句から思いを馳せることができた。綿棒が妙にくっきり目に見えるのは終戦日の力かと思う。

田中アパート

特選句「生ビール負けじとホラを吹きにけり(稲暁)」。うちのカミさんもホラ話がすきでして。

漆原 義典

特選句「いつせいに写経はじめる蝉しぐれ」。蝉しぐれと写経の組み合わせがたいへん面白いです。上五のいっせいにが、蝉しぐれの状況をよく表現されています。俳句と書道を両輪にしている私にとってうれしい句です。私は書道を長年続けています。今年度の毎日書道展で5年ぶりに入賞でき、東京での表彰式に出席できると楽しみにしていました。しかしながら、新型コロナ感染の激増で、出席を断念しました。

吉田 和恵

特選句「蒼天より鳥落ちてくる炎暑かな」。鳥の目をも眩ます程の猛暑。納得!問題句「接着剤剥がすよう脱ぐTシャツ」。汗で張り付いたシャツ。接着剤よりもむしろ粘着シートか。 ♡自句自解「五十年ぶりの石鎚散骨す」。石鎚山頂で一月に急逝した友人の散骨をしました。それまでたち込めていた霧がスーッと晴れたのは不思議なことでした。石鎚もこれが最後になるだろうと思いつつ振り返り振り返り下山したのでした。

大浦ともこ

特選句「あんぱんは旨い核兵器は愚か」。あんぱんと核兵器、かけ離れた二つの取り合わせが伝える原爆や戦争の愚かさにぞっとしました。特選句「白き帆へなりゆく少年の抜糸」。少年のもつ潔さや真っ直ぐさ、痛々しさが伝わってきました。「なりゆく」がとても響きます。

大西 健司

「銀漢や銃弾放つ少年の悲しみ」。特選句でありまた問題句という位置づけ。少年兵の苦悩だろう。ただ悲しみで完結できるのか迷いつついただいた。また先般の事件を思わないでも無いが少し違うように思うがどうだろう。

増田 暁子

特選句「しゃらしゃらと緑降りけり狐雨」。句全体から緑の中の狐雨を感じ爽やかで素敵です。特選句「撃つなイワンよひまわりの中母が居る」。ソ連の侵略戦争に抗議したい思いが、中7、下5の柔らかい言葉でかえって身に沁みます。問題句「今ごろは入道雲の肩あたり」。お盆に帰られた身内の魂かと思い、勝手に共鳴しました。「ヒロシマもナガサキも居ず核会議」。どこかに遠慮して会議にも参加できず意気地が無い日本ですね。「柔らかき旅する心地昼寝かな」。中7の旅する心地が言い得て上手いです。「天蓋花濁世透かせてをりにけり」。中7の措辞が素晴らしい。ひまわりにぴったりです。「自粛中曲がる胡瓜の酢みそ和え」。中7、下5のユーモアに自粛のイライラが救われます。「高野切なぞる筆さき夕蛍」。格調高い句ですね。「日盛りやキリンの睡りニ十分」。キリンの眠りの事だけなのに人間社会に通じます。「塀内に咲くは合歓らし独居らし」。中7、下5の洒落た措辞に感心です。

滝澤 泰斗

「(広島原爆の日の朝)あんぱんは旨い核兵器は愚か」。八月ならではの句がたくさんあり、選が難しかったが、この句を特選にしました.。以下、終戦の八月に因む句から共鳴句を四句。「夕焼けに白球転がる敗戦忌」「夏蝶のさまよう鉄路空襲忌」「 広島忌幼の上着残りけり」「また一つ軍靴西日に呑まれけり」もう一つの特選はお盆の句から「茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る」。迎え盆から送り盆の景。茄子の馬ぐにゃりが良かった。同様にお盆の句から共鳴二句「今ごろは入道雲の肩あたり」「盆の月我より若き亡(は)母(は)恋し」。破調ながら対比に新鮮味がありました。最後の共鳴句はウクライナ侵攻の句から「撃つなイワンよひまわりの中母が居る」 

高木 水志

特選句「蝉時雨抱きしめる程の絶望をください」。蝉時雨と作者のやりきれない気持ちを取り合わせたことで、生々しく生きている人間の暮らしが見えてくる。

石井 はな

特選句「今ごろは入道雲の肩あたり」。最近亡くなった方でしょうか。お彼岸の帰り道でしょうか。ゆっくりと天に戻られる方に心を寄せて、今ごろは入道雲の肩の辺りかしらと亡き人を思う気持ちが伝わります。

竹本  仰

特選句「人逝きて温もり更に夏の空」。葬式は出るべきもの、なぜなら、出ることで人間が変わるから。と、養老孟司さんは言ったが、どう変わるかは言語の領域では示せないものかも知れない。だがこうやって、温もりに、夏の空、と来ると、妙に納得できる。死は共有されるものだろうと思う。そんなの関係ないと思っても、亡くなった五年後に墓参りに初めて来てくれる人だっている。それほど我々はものが見えていないのかも知れない。更に夏の空。こういう夏の空を見つけるために生きて来たんだと言っている。特選句「盆帰省母に信じられて帰る」。帰省は故郷に帰ること。最後の帰るは、またいつもの生活に帰る、という読みをしました。故郷の母の前では、どんな現実が背後にあっても、いい格好をしたいもの。それは子の宿命だから。また母の眼によい子供でありたいと殊更願ってしまうもの。何となく『男はつらいよ』に出て来そうなシチュエーション。子としての痛みを感じてしまう句です。特選句「椅子ひとつ真ん中に置く盆の月(亀山祐美子)」。不思議な句です。誰のための椅子なのか。その部屋は、どういうもの?そういえば、かつて入った宮澤賢治の羅須地人協会の建物が、そんなだったか。また「月光旅館/開けても開けてもドアがある」という高柳重信の句を思い出した。多分、真ん中に置く椅子には、故人となった夫が座るのだと思うが、どんな会話が展開されるのか、自然に想像が掻き立てられる。中也の「湖上」という詩の「月は聴き耳立てるでせう、すこしは降りても来るでせう、われら接唇(くちづけ)する時に、月は頭上にあるでせう。//あなたはなほも、語るでせう、よしないことや拗語(すねごと)や、洩らさず私は聴くでせう・・・」というような会話でしょうか。   ♡みなさん、お元気ですか?今回「風死せりコロナ禍に読むアラン・ポー」。の句にエドガー・アラン・ポーが出て来ましたが、彼の小説の中では「赤き死の仮面」が好きです。赤死病という架空の疫病が流行する中世の話だったかと思いますが、仮面舞踏会の最後にはぎ取られた赤死病の装いの男は、まさに赤死病そのものの顔をしていたとあり、魔物の正体そのものが見えた、見てはいけないものを見てしまった、という終わりでした。シェイクスピアの活躍した時代は上演のロンドン市街の劇場がつねに疫病に見舞われ、かの劇作家はそのたびごとに再スタートしては作品を強化していったとも言われています。流行病との追っかけっこという情況が、あの名作の裏にあったようです。古人も多く乗り越えた坂。生きるとは抗う事でしょうか。次回もよろしくお願いします。

野口思づゑ

特選句「梅花藻やうす味染み入る人生観」。経験豊富な人生を過ごされた方が、今は湧き立つようなワクワクより、地道な日常を選びたい、そんな落ち着きを感じました。特選句「玉葱の中の私のわたしかな」。玉葱の皮を剥くごとに、馴染みのある自分や、気がつかなかった自分に出会えるのでしょうか。次玉葱を料理する時、意識します。「蝉時雨抱きしめる程の絶望をください」。何があったのでしょう。ただの絶望ですら普通は欲しくないのですが。

河野 志保

特選句「ねじり花黙って見つめる愛しかた」。独自な咲き方で不思議な魅力のねじり花。「黙って見つめる愛しかた」がぴったり。人と人との愛でも同じことが言えそう。広がりを持つ素敵な句。

豊原 清明

特選句「夜鷹鳴く明日へ進むか留まるか」。ぴったりと言葉が決まっている。良いなと感じました。問題句「ソーダ水地球の青を吸い上げる」。ソーダ水と地球の青。青一色。ソーダ水は炭酸だから、ぱちぱちしていて、夏らしい。

伊藤  幸

特選句「ねじり花黙って見つめる愛しかた」。時節柄 反戦句の多かった中で掲句の柔らかい響きに目を奪われた。男女間であれ親子であれ静観するという愛し方もあるのだ。淡い香りの薄紅色、ねじり花の季語も効いていると思う。

荒井まり子

特選句「八月やただ幽体として過ぎる」。有るような無いような。いる様ないない様な。三年目のコロナで四回目のワクチン接種。春からのウクライナへのロシア侵攻。核使用を脅しに使う。今の世相を不安定さが幽体にぴったり。

植松 まめ

特選句「いっせいに写経はじめる蟬しぐれ」。亡き姑がお寺で写経をしておりました。きっとこの句のように蟬しぐれを聞きながら写経をしていたことと思います。特選句「柔らかき旅する心地昼寝かな」。規制のない夏休みとして多くの人が旅行に行っていますがわれわれ夫婦はまだステイホームです。せめて夢で旅をしたいです。

男波 弘志

「人影のなき道白き残暑かな」。この道はどこへ続くのだろうか 砂の白さになった道を誰が踏めるだろうか 誰が追いつけるだろうか人は何処へ失せたのだろうか 暑ということ それだけが 只 存在している。秀作です。

森本由美子

特選句「灼け花に生きて生きて水遣りす」。戦争体験が背景と考えてよいのか。灼け花とは一度火焔をくぐった花、または作者自身なのか。蘇る希望を捨てず執念とも言える水遣りを繰り返す。強烈な生へのエネルギーが感じられる。特選句「いっせいに写経はじめる蝉しぐれ」。  俗世を離れ、開け放たれた座敷での佇まいの美しさに胸が打たれる。蝉しぐれは時には読経の音程。

河田 清峰

特選句「過去未来すべて忘れて水鉄砲」。終ることのない戦争が続く今、水鉄砲の昔を思い出す。武器をすべて失くしてしまいたい。

銀   次

今月の誤読●「愛想なき猫が添い寝の昼寝かな」。あたしは猫である。名前はまだない。というのは嘘で、ほんとうはちゃんと名前がある。言うのも恥ずかしいが「アナベラ」、なんとまあ気取った名だろう。もっともこれがペルシャやシャムならまだ格好がつくだろうが、あたしときたら雑種の三毛猫、ミスマッチも甚だしい。せめて「タマ」とか「モモ」とか普通の名前にしてもらいたかった。なんてことを隣のおトラねえさんにグチったら、ねえさんは「それも困りもんだけど、あたしのようにトラ猫だからトラというのも味気ないものよ」と二匹して人間のセンスのなさにため息をついたものだった。と、ここまででおわかりのように、あたしはれっきとした飼い猫である。飼い主は一般家庭。ごく普通のごくありふれた両親一男一女のスタンダードを絵に描いたようなうちのペットにおさまっている。人間の世界で生きていくための処世術はみんなおトラねえさんから教わった。その第一はなんといっても「媚びないこと」だ。ねえさんがいうには「簡単なことよ。お愛想なんかもってのほか。自由気ままに、勝手にふるまえばふるまうほど、人間はかまいたがるものなの。そこが犬との違い。名前を呼ばれても簡単に尻尾なんか振らない。ましてや飛びついたりしちゃ猫として失格よ」。次に「人間の役に立つようなことはしないこと」である。「よく猫の手も借りたいなんていうけど、決して手を貸したりなんかしちゃダメ。人間どもがあくせく働いているときにはよけいそう。なんだったら適度に仕事の邪魔をするのもいいかも。んもう、とか邪険にされるかもしれないけど、内心そんなあなたを可愛いと思うはずだから、遊んでりゃいいの」。そして極めつけは「暇があったら寝ること」である。「とにかく朝昼晩いつでも、どこでもいいから寝なさい。いいえ、怠けるとかそういうんじゃなく、それを仕事と思って寝るのよ」「仕事?」「そうなの仕事なの。あたしたち猫が寝ていると、人間はとっても幸せな気持ちになるの。それこそあたしたちの天職」「でも踏まれたらどうすんの?」「そのときはね・・・・」とねえさんはニンマリ笑った。「歌にあるように引っ掻きゃいいのよ。その爪はそのときのためにあるの」

三好三香穂

「八月やただ幽体として過ぎる」。8月ももう後半。7月に安倍さんが殺されて1月半。例の統一教会と自民党清和会のズブズブの関係が次々に明かになり、議員さん達ののらりくらりの言い訳が始まった。マスコミは教会が代々のアメリカ大統領をも取り込み、講演には1000万円も支払ってた事実も報道。山上徹也の母の献金も流れていただろう。韓国の宗教が政治に潜り込み、世界を牛耳ろうとしていた、恐ろしい話。モリかけさくらの時のように有耶無耶にせず日本のジャーナリズムにがんばって欲しい。私は新聞、TV、ネット、雑誌の記事を追いかけただ幽体のようにウオッチして過ぎた8月です。「いっせいに写経はじめる蝉しぐれ」。気持ちのいい8月の句。「またひとつ軍靴西日に呑まれけり」。いつまでも続くウクライナ。ロシア兵もかわいそう。戦争は巨悪。100年の遺恨を残す巨悪でしかない

榎本 祐子

特選句「ゆらゆらとまくなぎ立てて野のうつろ」。「ゆらゆら」「まくなぎ」「うつろ」と、同じトーンの言葉だが上手く作用し合って確かな世界を感じる。

野澤 隆夫

特選句「撃つなイワンよひまわりの中母が居る」。イワンと呼びかけてる作者の思い!そしてひまわりの中に母が…。激戦と恐怖の光景が浮かびます。特選句「二階から行ってらっしゃい鬼やんま(桂凜火)」。俵万智のとれたての短歌が俳句になったようで…。「鬼やんま」が効果的です。

山本 弥生

特選句「夏負けや今朝のチラシの多いこと(松岡早苗)」。余生を送る日々。今年は、猛暑で外出するような体力も無く、今朝の郵便受けを開けると沢山のチラシが入っていた。あまり関心も無くゴミに出す為の整理箱に入れた。

三枝みずほ

特選句「八月や弥次郎兵衛のごとく揺れる」。幼少期に祖父から聞いた戦争の惨状に今でも恐怖が消えることはない。平和を希求する八月がその頃はどっしりとあった。昨今の八月は弥次郎兵衛が揺れ動く。簡単に戦争、改憲やむなしという言葉を聞くが誰が戦場へ前線へ行くのだろうかと考え込んでしまう。特選句「みずほさはさは天の川ゆらりゆら」。稲穂の揺れと天の川の流れが共鳴し、古来の豊かな暮らしを想いました。こうありたいものです。ありがとうございます。

山下 一夫

特選句「やわらかな拳の中の金魚の死」。いくらやわらかであっても拳は拳で金魚が生きられる環境ではありません。ソフトな見せ掛けながらも紛う方なき現代的な暴力が巧みに表現されていると思います。特選句「ねじり花黙って見つめる愛しかた」。ねじり花を見つけるとその特徴的な花の並びに思わず目を引かれます。最初、中七以降はそのことを言っているのかと思いましたが、調べてみると花言葉は「思慕」で、由来には万葉集などの古い和歌が。言い換えと言えば言い換えなのですが、ねじり花のように目を引かれた句でした。問題句「白い綿棒黒い綿棒終戦日」。綿棒は白いのがデフォルトで清潔感に通じ、黒い綿棒もよく流通していて機能性やスタイリッシュさを連想します。しかし「終戦日」との関係となると…肌の色の戦争に終戦日は来ていないと思われますし、物事の白黒?そうすると「綿棒」というのがわからない。なぜか惹かれる謎の一句です。

向井 桐華

特選句「高野切なぞる指さき夕蛍」。光景がはっきりと描かれていて美しい。高野切を練習していた時代を懐かしく思い、筆を持ってみたくなりました。

寺町志津子

特選句「無益なる死を包む八月の闇」。原爆、敗戦。戦争の無残さを言い得て妙。私自身は原爆にあっておりませんが、被爆地ヒロシマで育ち、被爆者の方々、被爆死された方々の悲惨さに、胸が痛み、言い様もない悲しみが湧きます。「ヒロシマもナガサキも居ず核会議」。核会議の記事を読む度、同じ思いを抱き、まどろこしさを感じています。「暑き日よ母口ずさむ反戦歌」。戦争の悲しみを忘れられない母世代の思い。選句をしながら、戦争の愚かさ、悲惨さ、無残さを、まざまざ思い、俳句の力を感じました。 

新野 祐子

特選句「街空ふかく鵲の濁声敗戦忌(野田信章)」。カササギは九州北西部や朝鮮半島に生息していると。以前ソウルのビル街で目にしたことがあります。十七世紀に日本に持ち込まれたと言われていますが、豊臣秀吉の朝鮮侵略の頃と考えられなくもない?この句、上五中七下五の絶妙な調和で敗戦忌の重苦しい雰囲気がかもし出されています。加害の歴史を忘れてはならないことを改めて思います。私の好きな北原志満子さんの「鵲の巣の昏くやさしき高さ想え」を思い出しました。問題句「平和ボケって笑っていろよ山滴る(三枝みずほ)」。「いろよ」が気に掛かりました。「いよう」なら、私は特選にしました。

あずお玲子

特選句「遠花火ははの本音を聞きたきに」。母も私も随分歳を重ねた。今だからあの時の本音を聞いてみたい。今聞かないともう二度と聞けない気がする。真正面から目を見据えて聞くには重すぎる。遠くであがる花火を二人並んで見ながら、軽さを装って聞いてみようか。…などと自分と母を重ね合わせてしまいました。

稲   暁

特選句「八月を生き戦後から戦中へ」。誤解かも知れないが、不気味な預言的一句と私には思われる。ウクライナ侵略のようなことが東アジアで起こらないことを願うのみ。

松本美智子

特選句「少年の稚魚が青きを探す旅」。この句を選んだものの今一度じっくりと鑑賞してみるとこの句には季語がないのでしょうか?しかし,一句の雰囲気は初夏,少年が若い魚に姿を変えて勢いよく川を遡っている様子を思い浮かべます。夏休みに様々な経験やちょっとした冒険をしてちょっぴり大人になった子どもたちが9月には真っ黒な顔をして登校してくることでしょう。     → 何だか少年真魚をおもいますね。

野﨑 憲子

特選句「平和ボケって笑っていろよ山滴る(三枝みずほ)」。山が発した言葉と思う。平和な日常が続く日本。ウクライナの山々は戦っている。人類よ、地球の民よ、目を覚ませと、戦っている。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

茄子
ほっとけばどこまで増長茄子実る
中野 佑海
ここを曲がれば教会の雨茄子の花
三枝みずほ
茄子糠に沈めて指のほくそ笑む
大浦ともこ
サイレンの静けき正午茄子の馬
藤川 宏樹
マリリンのきっと知らない秋の茄子
柴田 清子
茄子の木に茄子成るそして離婚の日
淡路 放生
波音にまじる心経蛇走る
野﨑 憲子
生活の音は仕舞って虫の声
中野 佑海
ブラバンの音けたたまし黒日傘
藤川 宏樹
糠床のしくしく音す月下かな
淡路 放生
芝横切りてスニーカーに露しとど
風   子
ひよんなことから風に好かれ露の玉
野﨑 憲子
露葎すがし足裏も踝も
大浦ともこ
露の木のパンの木だったころもある
淡路 放生
露の玉ころがってころがって消ゆ
柴田 清子
問題は山積み蠅は一匹だけ
中野 佑海
蠅たかるただそれだけの八月だつた
野﨑 憲子
蠅叩きあのプーチンを叩きたし
三好三香穂
秋の蠅歩かないではいられない
野﨑 憲子
とびきりの笑顔アイドル雑誌で蠅叩く
銀   次
良夜
久し友銘酒携へ良夜かな
三好三香穂
犬が水飲む音聞こゆ良夜かな
風   子
一人居に少しの風の添ふ良夜
風   子
うしろから抱きしめられたから良夜
柴田 清子
ずぶ濡れの少年がくる良夜かな
野﨑 憲子
古アパートに古ピアノきて良夜かな
大浦ともこ
納豆まぜる百回まぜる良夜かな
中野 佑海
自由題
風に聞く風が答へる秋だから
柴田 清子
蛇が卵を丸のみした貌をして少年
野﨑 憲子
不都合は知らぬ存ぜぬ秋の空
三好三香穂
マスクして透明人間の花の
中野 佑海
わが佇てる渚のここが泉山
野﨑 憲子

【句会メモ】

20日の高松での句会の参加者は11名。中野佑海さんが、投句作品の「芭蕉布に献上きりり夏深し」に因み、能登上布(麻織物)に献上の帯をきりりと結び句会に参加してくださいました。今月も藤川宏樹さんのスタヂオでお世話になりました。皆様、猛暑の中、コロナ感染者激増の中、マスクを付けてのご参加ありがとうございました。

今回も、多様性に満ちた作品が集まりました。次回のご参加楽しみにいたしております。

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