第132 回「海程香川」句会(2022.09.17)
事前投句参加者の一句
蝉の山は飢餓かな俺の樹が揺れる | 竹本 仰 |
横たわる自分の重さ月明かり | 河野 志保 |
学校を追われどこ行く西日の子 | 銀 次 |
月魄の電話ボックスといふ方舟 | すずき穂波 |
ラジオ体操全身に蝉しぐれ | 菅原香代子 |
熊楠の永遠に我らは夏薊 | 荒井まり子 |
枯向日葵旅に出たような空です | 佐孝 石画 |
かまきりに成り損ねている僕だから | 高木 水志 |
四、五人の真ん中の一人が野菊 | 柴田 清子 |
ばつた跳ぶ残像未だ草の中 | 川本 一葉 |
あけぼののサーフィンしるき日向灘 | 疋田恵美子 |
あと五年十年遊ぶ女郎蜘蛛 | 亀山祐美子 |
友よ肩にあなたの亡夫か盆の月 | 寺町志津子 |
ゆったりと円座で交わす濁酒 | 佐藤 仁美 |
がんばれと言わない9月朝の風 | 松本美智子 |
さるすべり何かするたび酸素吸う | 高橋 晴子 |
百日紅一葉の蔭に鬼女の恋 | 島田 章平 |
レモングラスティーの一杯暑気払う | 樽谷 宗寛 |
青春って密銀傘の片かげり | 藤川 宏樹 |
ぼんやりの反対は鬼秋彼岸 | 松本 勇二 |
蝉声の雄叫びの奥に空白 | 佐藤 稚鬼 |
断乳の子のくちびるへ柘榴の実 | あずお玲子 |
長い秋透明ばかり棲みにけり | 中村 セミ |
陵に火を捨てにゆく秋蛍 | 津田 将也 |
水に流した筈のことばが月夜茸 | 山田 哲夫 |
鳥威し烏の並ぶ高圧線 | 野澤 隆夫 |
幾度の指の汚れや石榴熟る | 小西 瞬夏 |
蓮の実の飛んで子宮は虚ろなり | 川崎千鶴子 |
秋バナナくねっと曲がる朝の影 | 豊原 清明 |
手術日のジャコウアゲハがこんなに | 新野 祐子 |
馬立ちて風を見てゐる大花野 | 風 子 |
後の月我は山姥かと思う | 石井 はな |
考える犬を見ており縄文人 | 鈴木 幸江 |
ていねいに頭まるめて原爆忌 | 田中アパート |
存在やむかし南瓜の蔓太し | 吉田 和恵 |
オクラの穴よりこぼれる罪と嘘 | 向井 桐華 |
桃を食う干物のような朴念仁 | 十河 宣洋 |
黙って逝ってしまうなんてね白木槿 | 桂 凜火 |
鉦叩国葬ノーという兜太 | 菅原 春み |
無言館を出て青柚子の繁り | 飯土井志乃 |
銃口の先に置きたし花野かな | 野口思づゑ |
寡黙なる母は強きよ紫苑咲く | 植松 まめ |
山の神の裏に増殖夏落葉 | 稲葉 千尋 |
味噌汁をすこし濃いめに今朝の秋 | 夏谷 胡桃 |
実家(さと)守る甥も孫持ち柿熟れる | 山本 弥生 |
晩夏光鍵の匂いを深く嗅ぐ | 重松 敬子 |
早稲の香と低い山とがすぐそこに | 谷 孝江 |
鈴虫や音楽室は施錠中 | 松岡 早苗 |
白桃や弾みでその身を持ち崩す | 森本由美子 |
先生の言葉が使われてます鱗雲 | 田中 怜子 |
青蜜柑きのう知らない人と居て | 伊藤 幸 |
斑猫を少年の眼が捉えたる | 河田 清峰 |
丁寧に歯磨きそして秋思う | 榎本 祐子 |
文化の日巻き取られない人だった | 山下 一夫 |
振り向けばたった一人の冬銀河 | 小山やす子 |
一夏去る山湖の人ら影絵のように | 野田 信章 |
秋蝶や止まり木探す老いの恋 | 藤田 乙女 |
魚の眼の沖の色して魚市場 | 久保 智恵 |
女には長くつかまりきりぎりす | 男波 弘志 |
ネットの中を一日泳ぎ八月尽 | 中野 佑海 |
中也詩集を野分の宿に開きけり | 大西 健司 |
月光や父のカオスに母ひとり | 大浦ともこ |
鳥渡る磁感のままに我風のまま | 塩野 正春 |
地図なぞる指先の旅あきあかね | 増田 天志 |
よく噛んで顔の輪郭に追いつく | 三枝みずほ |
古希過ぎて裏が表につくつくし | 増田 暁子 |
盆過ぎの風が変われば人を恋う | 滝澤 泰斗 |
初めての恋の色です稲の花 | 漆原 義典 |
夕ぐれの背骨は鉄線花の昏さ | 月野ぽぽな |
蜘蛛の巣を払いても蜘蛛巣を張れり | 福井 明子 |
月欠けている殺人未遂の刑 | 淡路 放生 |
里芋の親とか子とか白書とか | 伏 兎 |
飛び魚と競いて着きし隠岐の島 | 三好三香穂 |
核ある暮らし私に届く今年米 | 若森 京子 |
てきの鐘みかたの鐘やいわし雲 | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 増田 天志
特選句「蝉の山は飢餓かな俺の樹が揺れる」。共感を望まない作句姿勢が、潔い。エロティックな作品かも。所詮、生きものは、雄と雌。
- 豊原 清明
特選句「寡黙なる母は強きよ紫苑咲く」。家族の句に、感じるものがある。寡黙の人が、強く見える。一言二言、話すことの重み。問題句「黙って逝ってしまうなんてね白木槿」。残された人の呟き、生きていたい。
- 松本 勇二
特選句「子盗ろ唄洩らしてしまう裂け石榴(津田将也)」。ザクロを不気味がる俳句は多くあるが、子盗ろ唄で一気にトップランナーの句となった。
- 小西 瞬夏
特選句「四、五人の真ん中の一人が野菊」。大好きな河原枇杷男の「野菊まで行くに四五人斃れけり」を思う。きっとこれを下敷きにしているのだと思うが、それを踏まえたうえでの「真ん中の一人が野菊」という展開のしかたに感服しました。あたらしい野菊のありようだと思います。
- すずき穂波
特選句「蝉の山は飢餓かな俺の樹が揺れる」。夕ぐれの裏山に散歩の日々。汗をかきたくて?夏を乗り切るため?体力を落とさないため?いや違う。飢餓!そうだ、俺の中で何かが叫んでいるんだ。………自然界と己の一体に生まれた情感が素直、みずみずしい感覚の句だと頂きました。
- あずお玲子
特選句「幾度の指の汚れや柘榴熟る」。清廉潔白に生きたいと思う。でも自分は今日も嘘をついた。これからも大小の嘘をつき続けていくだろう。そうやって生き永らえてゆくのだ。柘榴が熟れている。指先がまた汚れている。特選句「ととのった青田の上でならいいわ(竹本 仰)」。生命力溢れる青田の上で一体何を始めるのか。ととのっている事が重要ポイント。答えを聞いてみたい。
- 塩野 正春
特選句「馬立ちて風を見てゐる大花野」。広大な草原を旅する武士あるいは商人の一団。連れている馬もふと立ち止まって花野に目を奪われる光景。何とも言えないポエムを醸し出してくれます。この喧噪の地球にこんなのどかな風景がある、あったとは信じられません。人類は何処で道を誤ったんだろう。一度どこかでリセットできればと思う。特選句「人類の偉大な一歩夜這星(藤川宏樹)」。人類が流れ星に気付いたのはいつのことだろう。その不思議な現象、物体を恐々観察し、その規則性や不連続性から宇宙の不思議な光景を読み解き始めたのか。視力が素晴らしかった様で、降り注ぐ流れ星の数は私たちが今見ている数百倍、数千倍だったに違いない。物理や数学、幾何学から占いの分野まで発展し、その現象を知る者のみが世界を支配し得たと思う。Nasaの月面着陸の有名な言葉も俳句を引き立たせている。問題句「あと五年十年遊ぶ女郎蜘蛛」。作者が元気で長生きされることを祈ります。が、男の生き血を吸われるのは程々にとお願いしたい。自句自解「NASA探す姥とばすとこ住むところ」。のようにいずれ宙を旅することも現実味を帯びてきました。「鳥渡る磁感のままに我風のまま」。最近の研究で鳥が定期的に旅するのは磁感に基づくという説がでてきた。風でもなければ食料でもない‥と言うわけで第七感に納得する次第。
- 月野ぽぽな
特選句「黙って逝ってしまうなんてね白木槿」。呆気ない終わり方もあるのでしょう。とても親しかった方でしょうか。気取らない美しさのシロムクゲに、亡き人の人柄が思われるとともに、呟くような語りかけが響き、心情が漂います。
- 山田 哲夫
特選句「身の狭量やさしく忘れて鰯雲(増田暁子)」。自分の度量の狭さ、人としての未熟さに気付くことは、残念なことだが、妙に肩肘張って生きるよりは、「やさしく忘れて」ありのままの自分を見つめ、あるがままに生きる方を許容する作者に共感。「やさしく」の一語が巧妙。「鰯雲」も効果的。
- 小山やす子
特選句「オクラの穴よりこぼれる罪と嘘」。オクラの穴というのは作者にとって特別な物かも知れない。罪と嘘が面白い。
- 藤川 宏樹
特選句「枯向日葵旅に出たような空です」。暑い盛りの向日葵、高々と威勢よいがそのうち気に留めなくなる。やがて、黒ずんだ枯向日葵に目が止まるとき季節は移ろい、旅先に見るいつもと違う空が映える。そういうこと、確かにあると共感します。
- 増田 暁子
特選句「身中の分水嶺を月渡る(すずき穂波)」。気持ちの切り替えや決心の時、月の光が励ましてくれたのか。特選句「ネットの中を一日泳ぎ八月尽」。暑くて、コロナの日々、一日中ネットで過ごした8月でしたね。判ります。「手にすれば消えゆく想ひ朝の露」。綺麗で透明感のある句で好きです。
- 樽谷 宗寛
特選句「鉦叩国葬ノーという兜太」。リズムよし。よくわかる句で亡き師のお姿まで浮かんできました。
- 風 子
特選句「丁寧に歯磨きそして秋思う」。最近私も歯科衛生士さんのご指導通り、できるだけ丁寧に歯を磨いています。そんなこんなことの日常に季節は変わり、日々是好日であります。
- 福井 明子
特選句「熊楠の永遠に我らは夏薊」。大いなるものに回帰しようとする意思が、象徴的に提示されていて共感します。特選句「晩夏光草木のごと佇んで(榎本祐子)」。風になびく草木に我も一体となりながらなびいてゆく。そんな感覚を、晩夏光が大きく包んでいるようです。こういう感慨に打たれます。
- 大西 健司
特選句「振り向けばたった一人の冬銀河」。やりきれないほどの寂しさ、ふっと振り向けば冬銀河に包まれている。繊細な感覚を佳とした。問題句「血尿の溲瓶も二百十日かな(淡路放生)」。私たちの仲間内では溲瓶俳句の存在は肯定的だが、さすがに血尿までとなるとかなり厳しいものがある。ただ二百十日の働きが何とかこの句を支えている。
- 佐孝 石画
特選句「青蜜柑きのう知らない人と居て」。言い切らない良さ。それは曖昧さにも繋がるが、この句の場合、不明瞭さは多面性と捉えて良いと思う。まずは「切れ」の解釈。上五「青蜜柑」で切れて、「きのう知らない人と居て」の回想との取り合わせと見るか、一句一章で「青蜜柑」の物語と見るか。「きのう知らない人と居て」というシチュエーション自体がミステリアスでやや淫靡なニュアンスを帯びたものだが、一句一章で見ると、青蜜柑自体が転生後の姿で、誰かと密会した後に、涼しげな顔をして木に生っていると見ると、不思議なメルヘンに見えてくる。また、「青」というものが、少女や少年を想起させ、何かいけない交際めいたものも見えてくる。「青蜜柑」で切れたとしても、やはり「知らない人」と会っていたことを目撃した時の衝撃、戸惑いが見えてくる。「青」蜜柑との組み合わせで、片想いの人が誰かと会っていたことを知ってしまった青春時代の切ない思い出の一シーンとも重なって来る。「きのう知らない人と居て」はまた、自身あるいは身近な人の物語として、自分のことさえも不明瞭な認知症の浮遊感覚を表しているとも解釈し得る。その場合、「青蜜柑」はその白痴的無垢感覚の象徴となる。このように、様々な幻想を想起させる多面的な作品とは名句の部類に入るのではないかとしみじみ思う。
- 桂 凜火
特選句「古希過ぎて裏が表につくつくし」。裏と表はなになのか書いていないので生き方や気持ちやありようのことかと想像します。肯定感なのか否定なのかも書いてなくて随分とあなた任せですがそこに想像の余地をいただけたようで、そうですよねと勝手な共感もでき好きでした。つくつくしがよく効いているのでしょう。
- 高木 水志
特選句「核ある暮らし私に届く今年米」。一瞬忘れかけていた現実と日々の暮らしのギャップに引き寄せられた。
- 柴田 清子
特選句「がんばれと言わない9月朝の風」。初秋の朝の風の中で、自分らしく、ありのままの一日を過す心根が、あふれている気持のいい句です。特選句「味噌汁をすこし濃いめに今朝の秋」。この句は俳句の原点に戻してくれる。いつ読んでも佳句と思える。しみじみ日本人であること、佳句と思える。
- 稲葉 千尋
特選句「初めての恋の色です稲の花」。稲の花が初恋の色とは、レモンより稲の花がいい。小さな稲の花の思いがびっしりと、そして稲の花は知らない人も多い。かすかな恋を思う。
- 十河 宣洋
特選句「蝉の山は飢餓かな俺の木が揺れる」。一見豊かなように見える蝉の声である。あふれる様に蝉の声があるが飢えた泣き声にも聞こえる。俺の木が揺れるに作者の心の揺れがある。特選句「振り向けばたった一人の冬銀河」。冬の凍てつく山道を歩くとふっと後ろに気配を感じることがある。振りむくと見えてくるのは冬の天の川だけである。思わず身震いする。孤独感が伝わってくる。
- 山本 弥生
特選句「早稲の香と低い山とがすぐそこに」。低い山裾の今は過疎地となった先祖伝来の棚田を守り早稲が実った喜びが手に取るように伝わります。
- 夏谷 胡桃
特選句「地図なぞる指先の旅あきあかね」。すこし類想感がありますが、このコロナの時期の旅に出られずに、地図をながめている日々を思いました。
- 鈴木 幸江
特選句「終は誰も一引くひとつ流れ星(野口思づゑ)」。“終”とは「死」のことであろう。“一”は漢字だから中国文化の思想概念だろうか。でも、数字の1も直ぐ脳裏に浮かぶ、ここで早やわたしに混乱が始まってしまった。“ひとつ”は日本語であり個体を数える時の一個であろうか、それとも漢字の「一」を日本語に訳した「ひとつ」なのだろうか。すると“世界はひとつ”となり、老荘思想の「一」の概念だ。わたしの混乱はまだまだ流れるように続く。老荘思想の「一」とすると“ひとつ”は個体となり、個人を意味するのだろうから、人の死は宇宙全体から個体が消えてゆく流れ星のごとくという解釈になり、背景に宇宙秩序が登場してきてよくわかる。だが、数字の1とすると個体から反対に全体が引かれることになり、小さなものから大きなものを引くという存在の根本への問いかけのようで、まるで答えのない公案のようだ。そこに大変惹かれる自分を見つけて何故か安心をしてしまったので特選にさせていただいた。
- 中野 佑海
特選句「熊楠の永遠に我らは夏薊」。熊楠のように自分の信念を貫く生き方は薊の花言葉そのもの。憧れるけど、縁の無い一生だったな!特選句「秋の風深く糺すということを(男波弘志)」。9月になって食べ物が美味しくなったのに、私の食いしん坊のせいで、また、歯を折ってしまいました。掛かり付けの歯科医院は休業中。ああ、この65年間の、お菓子の食べ過ぎが、今頃たたって、とうとう、美味しく食べられなくなってしまいました。秋風に今までの私の生き方を糺されてしまいました。今、歯医者難民なんです。「ばつた跳ぶ残像未だ草の中」。バッタは本当に草叢の中では分かりません「水に流した筈のことばが月夜茸」。言った方は忘れていても、言われた方はだんだん茸の菌糸がはびこるように、気持ちの中にめり込んでゆく。「オクラの穴よりこぼれる罪と嘘」。オクラの種のように罪と嘘がぽろぽろと。これはやばい。「稲妻やぶっちゃけたいことがある」。はい、キムタクが、申しています。ハンドルから手を離し、「行っちゃえ、行っちゃえ」但し、山の神の怒りを買うは必定。「青蜜柑きのう知らない人と居て」。先の句のぶっちゃけた結果が、これですか?「文化の日巻き取られない人だった」。これも熊楠と一緒。こう思ったことは曲げない。我が道を行く。「発想を飛ばし蟇と深呼吸」。飛ばしすぎて、ヒキガエルと意気投合したんですね?カエルでも分かり合えたら、可愛いもんです。「終は誰も一ひく一つ流れ星」。死ぬときは誰も一人。一ひく一つがとても象徴的。今月は、教訓的な俳句を選んでしまいました。あまりにも自由に生き過ぎて、少し反省してる(本当かな?)今日この頃の中野佑海です。
- 若森 京子
特選句「水に流した筈のことばが月夜茸」。言葉ほど難しいものはないとつくづく思う。人を生かすも殺すも言葉だと云われる。季語「月夜茸」が効いている。特選句「古希過ぎて裏が表につくつくし」。軽く書かれた一行に人生の教訓が含まれている様に思う。「つくつくし」の季語が上手い。
- 三枝みずほ
特選句「文化の日巻き取られない人だった」。子規がそうであったように、巻き取られない意志こそが芸術文化を革新してきたのだろう。型ばかりを踏襲し生命力を失っていないか、大いに考えさせられた。
- 疋田恵美子
特選句「ゆったりと円座で交わす濁酒」。秋の収穫も終えほっと一息、手伝い人も交え互いの労を労うどぶ酒。故郷の昔を思います。特選句「蝉声の雄叫びの奥に空白」。ロシアのウクライナ侵攻に、争う両国の若者の心中を思うにつけ無念でなりません。
私生活も少しずつ自分の時間がもてるようになりました。残り少ない時間を大切に、尊敬します皆さまと共に俳句を楽しんでいけたら幸に思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
- 滝澤 泰斗
特選句「中也詩集を野分の宿に開きけり」。中也詩集でいただけないという声もあると思うが、なぜか魅かれた。詩集を開いている人にいつしか寄り添っている自分がいた。五木寛之氏の小説に出てくるような・・・。特選句「八月の溺るる地球クオヴァディス(大浦ともこ)」。ペテロがローマのはずれのアッピア街道でいよいよ自分の天命を知り、「クオヴァディス」と叫んで、逆さ十字の刑に付く。二千年前の切羽詰まった状況と現在地球で起こっている様々な切迫感に溺れる様に「我々はどこに行けばいいのか」と問う。共鳴句「蝉の山は飢餓かな俺の樹が揺れる」。今年の夏の蝉は、思いっきり鳴いている様が薄かった印象。天候不順でいきなり暑くなって鳴くタイミングを逸したかのような感じがしていたところにこの句が飛び込んできた。まさに、俺の樹も揺れた。「てきの鐘みかたの鐘やいわし雲」。コロナで行けなくなった遠い東欧のとある町の鐘の音を思いだした。正教あり、カトリックあり、プロテスタントあり、本来、同根なのに、いつしか、敵味方で鳴らし合う。そんな人間の所業とは関係ないいわし雲が空に泳いでいる。「泣けや哭け笑へや嗤へ夜の虫」。秋の虫たちが前段の蝉の句とは異なり、今年はその鳴き声に勢いを感じていた。それが、わが獅子身中の虫と呼応するように、様々な表情を持って泣き笑いしている。「月光や父のカオスに母ひとり」。尊敬から同情へと変化してゆく児の心。訳の分からないオヤジの気持ちに寄り添えるのは、やはり母ひとりか。
- 津田 将也
特選句「黙って逝ってしまうなんてね白木槿」。彼若しくは彼女のこの死にざまを、潔い、誇らしい、と思う一方、なんて水くさい、冷たい、薄情だ、とも思ってしまう。独語「黙って逝ってしまうなんてね」と、季語「白木槿」には、作者の心情が、このように二つ内包された俳句となった。特選句「文化の日巻き取られない人だった」。十一月三日は「文化の日」、国民の祝日である。「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として、昭和二十三年(一九四八)に制定された。「文化の日」の俳句には、まともに向き合わず「斜」に構えたもの、あるいは、「生真面目」に捉えたものが多い。阿波野青畝に「うごく大阪うごく大阪文化の日」があるが、この句は前者だ。星野幸子には「父と子と同じ本買う文化の日」があり、この句は後者である。掲句は、この中間の俳句と言えようか。「巻き取られない人だった」の、「だった」からは、この人物がすでに故人であることも推量できた。
- 河田 清峰
特選句「核ある暮らし私に届く今年米」。核被害を受けた国が核を棄てられない国に住むわれらが食べる今年米。声が届かない。
- 中村 セミ
特選句「月魄の電話ボックスという方舟」。月光に電話ボックスが浮かび上がる様を、月の魂の一部方舟なんかという,いいかた、ちょっと,文学的比喩できにいりました。
- 川本 一葉
特選句「地図なぞる指先の旅あきあかね」。世相を反映しているのはもちろんのこと、諦めと希望が混ざった素晴らしい句だと思いました。地図を見るのは意外と多いものです。戦争、災害、気象。あきあかねの着地もなるほど、です。世界各地にもあきあかねいるんでしょうか。
- 淡路 放生
特選句「蓮の実の飛んで子宮は虚ろなり」。―「虚ろなり」としかいいようのない、子宮の肉を感じさせてくる。「蓮の実飛んで」が実に巧みであろう。
- 田中 怜子
特選句「実家を守る甥も孫持ち柿熟れる」。こういう風景も残してほしい、でも、直系でなく甥御さんとのこと。家を守るということの社会的背景も背後に見えてますね。特選句「飛び魚と競いて着きし隠岐の島」。気持ちいいですね。隠岐の島というのが、神、源郷をたどるような、土俗的な匂いもしてきます。
- 野澤 隆夫
特選句「学校を追われどこ行く西日の子」。事情あって学校へ行けない子の悲哀がなんとも痛々しい!特選句「青春って密銀傘の片かげり」。甲子園の内野スタンドに集う大応援団!密集密接の高校生の歓喜!「西日の子」とは真逆の生徒たちです。
- 野口思づゑ
特選句「鳥威し烏の並ぶ高圧線」。カラスも、高圧線も人間には違った意味で危険な面があるのですが、何と高圧線にカラスを並ばせ、その景を季語と巧みに組み合わせています。 「鉦叩き国葬ノーという兜太」。金子先生がそうおっしゃっている姿がはっきり思い浮かびます。「ととのった青田の上でならいいわ」。何がいいのか、幅広く色々な場面を想像できる楽しい句。
- 松岡 早苗
特選句「枯向日葵旅に出たような空です」。夏から初秋への空の移ろいが、「旅に出たような空」という措辞で巧みに表現されていると思いました。枯れ向日葵の上に広がる高い空に、旅への誘いや旅情を感じさせられたのでしょうか。夏空自身が旅に出てしまったようにも読めて、イメージが膨らみました。特選句「無言館を出て青柚子の繁り」。若くして閉ざされた夢、美、命。それらを想うとき、「青柚子の繁り」はあまりに切なく、悲しみに満ちた色と匂いで迫ってきました。
- 佐藤 仁美
特選句「がんばれと言わない9月朝の風」。夏休みあけ、自殺が増えるそうです。悩んでいる人に、がんばれと言わない私でありたい。そして私にもがんばれと言わない、9月でいて欲しい。やさしい朝の風が、全部包み込んでくれそうです。特選句「桃を食う干物のような朴念仁」。この朴念仁って…?色々想像できて、面白かったです。
- 石井 はな
特選句「断乳の子のくちびるへ柘榴の実」。娘を育てていた遠い昔を思い出して幸せな気持ちになりました。
- 河野 志保
特選句「丁寧に歯磨きそして秋思う」。秋の訪れはこんなふうだなあと思う。そして俳句もこんな時に生まれるなあと思う。シンプルで素敵な句。
- 島田 章平
特選句「無言館を出て青柚子の繁り」。先日、日本テレビ系列のドラマで 「無言館」が放送された。普段寝ている時間だが最後まで見てしまった。友達と一緒に歩いた坂や薄暗い照明の中の一枚一枚の絵が、鮮やかに 蘇ってきた。一番印象に残っていたのは飛行服を着た兵士の自画像。もう絵具は剥げ落ち、顔は定かではない。しかし確実に私を見つめて いた。生きたかったでしょう、無念でしょう、もう一度続きの絵を 描きたかったでしょう、一枚一枚の絵の声を聴きながらそう呼び掛けて いた。掲句の「青柚子の繁り」があまりにも鮮烈。若くして散った一人一人の兵士を彷彿とさせる。無言館にまだ行かれておられない方は、いつかどうぞ行ってみてください。そして、絵の声を聴いてください。特選句「よく噛んで顔の輪郭に追いつく」。「無言館」の句とは一変して無季の現代俳句。捉えどころがないが、何故か心を惹かれる。このような句ができると言うことが、平和と言うことなのだろうか。その時代性を大事にしたい。
- 伏 兎
特選句「斑猫を少年の目が捉えたる」。クワガタやカブトムシではなく、ハンミョウに魅せられる少年は、多感でナイーブなのだろう。「道をしへ」とも呼ばれるこの虫の妖しい美しさは、性に目覚めた少年を誘う年上の女を連想させ、興味深い。特選句「よく噛んで顔の輪郭に追いつく」。マスクの生活に慣れて、弛んでしまった顔に喝を入れるべく、全部の歯を意識して食べている作者が目に浮かぶ。元気をくれる句だ。「ピアニカの音の純情九月尽」。ハーモニカやリコーダーのように、子どもの合奏会で親しまれているピアニカ。そんな楽器の音色を純情と表現した、作者の優しさに好感。「古稀すぎて裏が表につくつくし」。古稀をきっかけに、上辺だけの生き方はやめよう、とする心意気に惹かれた。
- 吉田 和恵
特選句「魚の眼の沖の色して魚市場」。陸に揚ったばかりの魚の眼は海の色を湛えて、願わくは、ずっとそのまま。 魚の眼の。?
9/3~9/5 もうアカンと言いつつ、性懲りもなく木曽駒ヶ岳に登りました。 やっほう ほほほほ…町田康的ココロ???
- 藤田 乙女
特選句「手にすれば消えゆく想ひ朝の露(川本一葉)」。しみじみとした思いになり、とても惹かれた句です。特選句「振り向けばたった一人の冬銀河」。「振り向けば」にふと自分の人生を振り返り、孤独を感じた刹那のような感覚が伝わってきました。
- 榎本 祐子
特選句「月光や父のカオスに母ひとり」。父と母との関係性が月の光の中で浮き彫りにされている。
- 伊藤 幸
特選句「ばつた跳ぶ残像未だ草の中」。喩による形容が切なく心に響く。旅立ち笑顔で送ったものの忘れ得ぬ日々と葛藤する作者が浮かびあがる。特選句「陵に火を捨てにゆく秋蛍」。感覚が鋭い。陵(みささぎ)とは天子の墓。その措辞そして中下の表現に祈りさえ窺える。
- 川崎千鶴子
特選句「ばった跳ぶ残像未だ草の中」。ばったの保護色の草色にその存在にいつも全然気づきませんが、ぱーんと跳ばれて初めて気付き、その速さに姿は追えず「残像」しか残りません。表現の素晴らしさ。「肩ほぐして腰をほぐして水母」。水母の形態を見事に捉えた素晴らしさ。乾杯です。
- 谷 孝江
特選句「枯向日葵旅に出たような空です」。今年の春、何十年振りかで向日葵の苗を二本買ってきて植えました。特別な世話をする事もなく半ば放っておいたのが元気に育ってくれました。家族のみんなより背が伸びて大きな花が付きました。誰に阿るでもなく、自分なりに咲いている姿が私は大好きです。もう花の盛りが過ぎようとしています。空を見て遠くを眺めてそして私の家族の事も毎日見ていてくれたのだなと枯れかけの向日葵に「ありがとう」を言ってあげたい気持ちになります。向日葵と一緒だった季節も旅ももう終りそうです。今日はきれいな秋空です。
- 漆原 義典
特選句「無言館を出て青柚子の繁り」。2018(平成28)年の海程全国大会に参加し、金子兜太先生にお会いし感激し、その後、有志吟行で信州上田に行きました。その時、無言館を訪問したことが鮮明に思い出されました。太平洋戦争で将来の活躍が絶たれた若き画家の心情が、青柚子の繁りと素晴らしく表現されています。感激しました。ありがとうございます。
- 亀山祐美子
特選句「横たわる自分の重さ月明かり」。月明かりの中で横たわる自分を俯瞰する。一種の幽体離脱現象だろうか。肉体を離れた身の軽さ自由さと横たわる肉体の重さを月明かりが醸しだす不思議。現実で有りながら不可思議に遊ぶ。それも月明かりの幻想か。特選句「てきの鐘みかたの鐘やいわし雲」。並べ立てられた「鐘」「鐘」「雲」の漢字が平仮名表記に浮かび上がる。漂う雲と消えゆく鐘の音が穏やかに交錯する時空を演出しながら「鐘」を「弾」と置き換えるとやにわに物騒になる。戦火の中の弔の鐘と祈りの鐘。誰もが平和を願う群衆としての「いわし雲」。想いのこもった反戦歌だ。皆様の選評楽しみに致しております。
- 久保 智恵
特選句「熊楠の永遠に我らは夏薊」。熊楠を持ちだしたのは新鮮。
- 竹本 仰
特選句「蓮の実の飛んで子宮は虚ろなり」。正岡子規に「蓮の実のこぼれ尽して何もなし」という句があるそうですが、この作者のは生まれたものを手放した後のさびしさを詠んだものでしょう。そのへんすごく切なく生々しい句なのですが、こういう女性のさびしさは体験できないという男性のさびしさもあることは分かっていただけないものでしょうね。そういう辛さのない辛さというのを感じました。映画『男はつらいよ』の辛さは、そういう所で成り立ってるんだろうなと思います。毎回、泳ぐのは女性陣ばかりでそれを受け止めるのが男の辛さ。あの話の中の男性は殆どデクノボーじゃないですか。でもそれが平和というものの原理なんでしょうね。特選句「晩夏光鍵の匂いを深く嗅ぐ」。この鍵は、古びた木造アパートの鍵穴に差し込まれる真鍮でできたものだと思いました。安部公房の短編に『無関係な死』というのがあり、自分の部屋に帰ってみると見知らぬ男の死体があり、そこからずるずると死体にはめられてゆく悲惨な話ですが、その時の初めに鍵穴の中に抵抗が無かったのがすべての取っ掛かりでした。その初めの何かありそうな、ゾッとする感じ、この句に感じました。何か始まりそうな。もう鍵は開いてるよ、とふいに言われそうな、リアルな感じでしょうか。特選句「青蜜柑きのう知らない人と居て」。気軽に人に声を掛けられ、すんなりと他人につながれる。そんな時代もあったような、そういう思い出をくすぐるような句です。かつて知り合いがその土地土地で働いては食いつないで世界一周したというのを思い出しました。その最後に行き詰ったのがニューヨークで、レストランの皿洗いをしながらそこに出来た同じような友人たちと楽しく遊ぶうち、ふとなぜだか極楽のような地獄にいる感覚にとらわれ、こりゃ一生抜け出せないと心底感じた恐怖から帰国したようです。八十年代の話ですが、多分そのまままだ抜け出せない奴もいっぱいいただろうなとも、さびしそうに語っていたのを覚えています。そんな深くもあれば浅くもあった身軽な昨日を語っているようで、目を止めました。 以上です。
台風一過、今朝、九月二十日の涼しすぎること。幸い、淡路島はこれという大きな被害はありませんでしたが、明日は我が身、「八月の溺るる地球クオヴァディス」を感じてしまいます。その一方で、台風一過はみのりの季節の到来です。みなさん、ご無事で、またこの場でお会いしましょう。
自句自解「ととのった青田の上でならいいわ」について、質問があるようですので、少し解説を。何のこと?ということですが、実は作者にもよくわからない。ただ、言葉が勝手に作ってしまい、作者が置き去りにされた、という句です。何だろう?というのと、しかし抗えない何かがある。よくあることなので、一応出すことにして、ふいに後で、ああ、風か、と思い当たることがありました。しかし、或る方に見せたところ、これ、虫?と。そうか、虫でもいいのか。青田の上の空間で起こっていることであるのは間違いないようです。時々、そういう句もあるので、こういう場合は、レシーバーとして、書きとめることにしています。「蝉の山飢餓かな俺の樹が揺れる」は、故郷の山です。いつも気になっている、怒濤をかぶるがごとき急峻な、蝉の鳴き声凄まじい山です。なぜ気になるのか。兄に聞いたところ、無名のその山はわが村の十人くらいが共同管理者になっているようで、山頂の樹々にそれぞれの家の名前が彫られているということ。そうか、俺の樹があるんだと、この夏初めて知った次第。子供のころからガキ仲間でよく冒険をした山で、一度だけ切り株が胸に刺さって血が滲みわたったのを覚えています。飢餓というのも、子どものころからの記憶が詰まったものだからです。ま、そんな訳で、一度詠んでみなければ、と義理のような気持ちでやっと出来たかなあと。また、来月もよろしくお願いします。
- 植松 まめ
特選句「地図なぞる指先の旅あきあかね」。私も地図が好きで地図を見ながら旅をした気分になります。指先の旅あきあかねという表現素敵です。特選句「夕霧や声をたよりの山路越え(飯土井志乃)」。山登りをしていたころ、前を行く人の背中が見えなくなるような霧に遭遇したことがありました。仲間同士声を出し合い無事下山することができました。
- 野田 信章
特選句「核ある暮らし私に届く今年米」。の「核」には、二様の解釈が成り立つが、今日の暮らしの必然性としては核兵器や原子力発電のこととして読んだ。単調な核反対の句柄でないところに、生活者としての自問自答を伴う日常の姿勢の裏打ちも自ずと伝わってくるものがある。それが「私に届く今年米」の修辞としての暗喩のはたらきであろう。選句したうえで、勝手に推敲して味読している句があります。ご自考までに。「しゃりしゃりと無花果食べる母のこと」→「食べてた」に。「あと五年十年遊ぶ女郎蜘蛛」→「遊ぼう」に。「桃を食う干物のような朴念仁」→「干物のようなり」に。あと、「四、五人の真ん中の一人が野菊」→「野菊です」。「銃口の先に置きたし花野かな」→「置きたる」。ご反論あればどうぞ。
- 新野 祐子
特選句「水に流した筈のことばが月夜茸」。うっそうとした広葉樹の森の中に入ると、妖しく光るのが月夜茸。とても美味しそうだけれど、大変な毒きのこ。これを「水に流したはずのことば」にたとえるなんておもしろい!「月魄の電話ボックスという方舟」。単なる月ではなく月魄を用いたことによって目前の風景が、ぐっと詩的になりました。
- 山下 一夫
特選句「陵に火を捨てにゆく秋蛍」。陵墓の方向に秋蛍が明滅しながら飛んで行くことを「火を捨てにゆく」と表現しているのが目を引きます。心象が託されているとすれば、愛憎渦巻く故人だがやはり拝まずにはおれないといった複雑な心境でしょうか。特選句「水に流した筈のことばが月夜茸」。気に障ることがあったが自分としてはけりを付けたつもりだった。しかし、いつの間にか憤懣が頭をもたげてきていた、といったところでしょうか。月夜茸が常に合理に収まり切れない非合理を抱えている心の在り様によく照応しているようです。問題句「オクラの穴よりこぼれる罪と嘘」。まず「オクラの穴」がわかりません。一応、鞘?の中の空洞として「こぼれる」のは若い種でしょうか。座五は語呂からは、罪と罰、虚と実のはずですが、あえて「罪と嘘」としている意図はさて。次々と謎が纏い付きます。オクラだけに…
- 荒井まり子
特選句「枯向日葵旅に出たような空です」。損保会社が購入した絵画が昔ニュースになっていた。ゴッホの「ヒマワリ」である。ブラウン系が混じった黄色のバックにとても惹かれた。枯れている向日葵を余計に際立たせていた。人生の夕陽を思わせる自死の旅への一直線だったのか。
- 向井 桐華
特選句「虫鳴くや点滴流れゆくからだ(高木水志)」。語順が良い。体言止めでぴしっと切っているので、点滴が血管を通って体に満ちていく様子と、外では虫が鳴く様子がうまく呼応している。
- 銀 次
今月の誤読●「初めての恋の色です稲の花」。稲の花を見たことがありますか? 白い、ほんのちっぽけな花です。午前中からお昼にかけて四十分ほどわずかな時間だけ咲きます。わたしは農家の次男坊でした。子どものころから田んぼのなかで育ったようなものです。小学五年のことでした。その日は夏の暑い盛りで、わたしも田に入り草取りに追われていました。ふと気配を感じて見上げると、空からなにか、ふわり、白くてキレイなものが降ってきました。それはお日さまの逆光を受けて、なにやらはかなげで、それでいて神々しいもののように思われました。それがわたしの身近にポトリと落ちてきたのです。日傘でした。振り返るとあぜ道を駆けてくる若い女性の姿が見えました。避暑にきている都会の人だと一目でわかりました。日傘と同じようにフリルのついた白い洋服を着て、髪を洋風に結っていたからです。そのころ、このあたりにそんな身なりの人など一人もいませんでした。わたしは日傘の柄の部分を指でつまんでその人のところにもっていきました。というのもわたしの両手は泥だらけだったからです。わたしがその日傘を差し出すと「ありがとう」とやさしくお礼をいってくださいました。「お仕事?」。わたしは無言でうなずきました。「感心ね」と頭を撫でてくださいました。わたしはただボーっとなって、顔が火照るのを感じていました。「あら」と急に驚いたような声が聞こえました。「これ、なあに?」と指さすので「稲です」と小さく答えました。「違うの。ほらこれ白いの」「花です」「稲の、花?」。わたしはコクリとうなずきました。「キレイね、ひとつ貰ってもいいかしら?」。やはり無言でうなずきました。その人はハンカチを取りだして稲の花をそのなかに包み込みました。ハンカチからは甘やかな香水の香りがしていました。たったそれだけのこと。それなのに、どうしてこの年になってもありありと憶えているのでしょう。……ちっぽけで、真っ白い、稲の花の記憶。
- 森本由美子
特選句「陵に火を捨てにゆく秋蛍」。幻想のクオリテイが素晴らしいと思います。四次元の詩想の世界とでもいいましょうか。特選句「存在や昔南瓜の蔓太し」。大きな葉っぱの下を覗くと力強く親蔓がはっていた。懐かしい原風景。戦後の上等な代用食のひとつ、その時代のエネルギーに郷愁を感じる。
- 大浦ともこ
特選句「断乳の子のくちびるへ石榴の実」。断乳と石榴の実の大胆な取り合わせながら、自分の子の断乳の時のことを鮮やかに思い出した。特選句「黙って逝ってしまうなんてね白木槿」。口語の突き放した表現に残された者の悲しみがいっそう伝わる。季語の白木槿も合っていると思う。
- 菅原香代子
「しゃりしゃりと無花果食べる母のこと」。オノパトペがとても効果的です。「母に言はぬこと花野に膝を抱き」。秘密を、美しい花野で黙して語らずという情景が見事です。
- 寺町志津子
特選句「味噌汁をすこし濃いめに今朝の秋」。一読、何気ない句にもみえるが、朝の 微妙な秋の気配に、味噌汁を少し濃いめに仕立てた作者の繊細かつ温かな感覚、人柄が偲ばれ好感が湧き頂きました。「寡黙なる母は強気よ紫苑咲く」。言い得て妙であると同時に、マンネリ的とも思われますが、寡黙なお母様の表情までみえるようで親しみを覚えました。
野﨑様の愛情に満ちた献身的なお世話で、いつも、楽しく選句させて頂いております。また、会友皆様の的確なご選評、ユニークなご選評に多くを学ばせて頂き、明るく心豊かな思いになります。
- 男波 弘志
「ぼんやりの反対は鬼秋彼岸」。ぼんやりの魔にひそむのが鬼、闇の少なくなった現在の鬼の棲む闇が、魔が、まだ残っていた。「手術日のジャコウアゲハがこんなに」。麝香の麻酔がすでに効き始めている。美という麻酔が遍満している。「先生の言葉が使われてます鰯雲」。同じ言葉であってもそれはもう先生の言葉ではない。肉声も場面も違う同じ言葉、それでも作者は追体験をしているのだろう。何れも秀作です。宜しくお願い致します。
- 三好三香穂
「横たわる自分の重さ月明かり」。夏の疲れか、横になると、体がとても重く、起き上がる気になれない。そこに月明かり。それだけのことですが、共感句です。「振り向けばたった一人の冬銀河」。冬銀河は、ちょっと早いが、寂寥感がよい。人は孤独なもの。振り向けばたった一人と思うかもしれないが、実は多くの人の手助けで生かされている。ありがたいことです。春の星が瞬く時は巡ってきますよ。たった一人は、錯覚、幻です。
- 松本美智子
特選句「火蛾飛んで履歴に残る痣の色(伏兎)」。生きてきた証拠として痣のような痛みのような疵のような悲しみや後悔が誰しもあるのではないでしょうか。その思いを,激しい感情をもって思いめぐらしている意思を感じる一句ではと思いました。
- 田中アパート
特選句「味噌汁をすこし濃いめに今朝の秋」。うちのカミさんも今月はこれがエエと云うとった。?ゴダール、ゴルバチョフ、エリザベス英女王死去。今年は、歴史的に特に記憶に残る年になりそうです。新型コロナさっぱり終わりませんな。ふじかわ建築スタヂオ行きたいのに。
- 野﨑 憲子
特選句「一夏去る山湖の人ら影絵のように」。こんな安らかな時間を世界中で共有できればどんなに良いかと思う。特選句「友よ肩にあなたの亡夫か盆の月」。身近に夫を亡くした人がいる。他界は貴女の隣りにある・・兜太先生も言われていた。問題句「青春って密銀傘の片かげり」。「青春って密」は先の甲子園大会の覇者仙台育英高校監督の言葉。知らなくて問題句&特選句。
袋回し句会
杖
- たましひのはなるるけはひ霧の杖
- 野﨑 憲子
- 一歩二歩三歩目のある杖の人
- 銀 次
- 行く先はこの杖が知る秋の暮
- 柴田 清子
- 月の底つついているよ秋の杖
- 三枝みずほ
颱風
- 台風の目のやうなあんたに惚れた
- 柴田 清子
- 颱風の眼の中の真蛇かな
- 野﨑 憲子
- 颱風の心音のよう少年来
- 三枝みずほ
桔梗
- 桔梗や子を産めぬ娘と猫の子と
- 淡路 放生
- 影しみ入る桔梗に風の言の葉
- 野﨑 憲子
- まなかひに桔梗の揺るる銀閣寺
- 三好三香穂
- 嫌いでも好きでもないと白桔梗
- 藤川 宏樹
鰯雲
- いわし雲宇宙の始源探究者
- 藤川 宏樹
- 鰯雲どつぼの中でこそ笑へ
- 野﨑 憲子
- 海に来て上半分が鰯雲
- 銀 次
- のっけからわがことばかり鰯雲
- 野﨑 憲子
- 鰯雲風の電話は鳴りやまず
- 島田 章平
- 鰯雲会いたい人にアポがいる
- 淡路 放生
- 戦争のニュースを消せば鰯雲
- 島田 章平
- 鰯雲かをに嘘だと書いてある
- 野﨑 憲子
- 鰯雲まで大谷のホームラン
- 島田 章平
- 赤ぶつかけて鰯雲西へ西へ
- 野﨑 憲子
秋
- 口すすぐ手に持つものなくて秋
- 三枝みずほ
- 道巾が広ければ淋しい秋ね
- 柴田 清子
- リトルダンサー路地に踊れば秋が来る
- 銀 次
- 秋深む遠くの家の物の音
- 柴田 清子
- 染み入るごと鳴くがごと秋の風
- 三好三香穂
- 秋学期夜間中学灯を点す
- 島田 章平
- 秋日あかあかわが名を返せと戦友は
- 野﨑 憲子
- 秋に生れて傘寿の秋を一人なり
- 淡路 放生
【句会メモ】
9月23日は金子兜太先生のお誕生日でした。秋分の日で、香川でも至る所で曼珠沙華が咲いていました。ロシアのウクライナ侵攻も未だ終りが見えず、不穏な空気が地球を包み込もうとしています。師も他界から案じられていると強く感じています。今だからこそ、愛語に満ちた作品の数々を世界に向けて発信して行きたいと切願しています。
コロナ感染者数が高止まりの中、高松での句会は、八名の参加でしたが、熱く楽しい句会でした。句座の生菓子の名の一つの<桔梗>や、近づく颱風14号に因み<颱風>の題も出て三十分の制限時間の中色んな作品が生まれました。あっという間の四時間余でした。
コロナ禍の中、終了時間の午後5時を過ぎても、句会が続きました。お集まりくださったご参加の方々、そして快適な句会場を準備して下さる藤川さんに心から感謝申し上げます。
Posted at 2022年9月28日 午前 03:10 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]